【書評】 『日英対訳で読みひらく新しい日本文化史』 斎藤公太
日本政府観光局(JNTO)の発表によると、2023年の訪日外国人数(インバウンド)は2500万人を超え、今年はそれを四割ほど上回る勢いで推移しているという。海外から人が押し寄せる背景には円安があるが、「日本」に対する興味や好意の影響も小さくない。彼らは「日本」を体験しようと、グルメやアート、歴史的景観などの「日本文化」を楽しむ。だが「日本文化」について説明することは、日本人でも難しい。海外から来た人に何か聞かれたとき、困惑したことがないだろうか。「当たり前」になっているために説明できないこともあれば、単に知らなくて答えられないこともある。できることなら説明したいと誰もが思うことだろう。そうしたニーズに応えたのが本書である。
神戸大学とオックスフォード大学が共同で進めている日本学プログラムで著者が行った授業をもとに、神戸大学文学部・人文学研究科教員が各分野から協力し、英文校閲を経て書籍化。特徴は、読みやすさと学術性を両立している点にある。
「日本文化に関しては、しばしば学術的な根拠にもとづかない説明が世の中に出回っている。そこで本書は、できるかぎり新しい学術的研究の成果を反映させることを心がけた。ただし普通の教科書のように項目を網羅することよりも、本としての読みやすさに重点を置いている。各章には内容に関連する写真やウェブサイトのQRコードも載せた」(はじめに)
では、「日本」は、いつどのように始まったのだろうか。縄文時代の遺跡から発掘される土器や土偶は、この時代からある種の文化が存在していたことを示している。それを根拠に、縄文時代に日本人の純粋な文化の起原を見出そうとする人びともいる。しかし、そうした見方には注意が必要である。縄文人から現代の日本人までには様々な変化や断絶があり、直接結びつけることができるようなものではないからだ。
弥生時代には多くの小さな国々が成立した。そして3~4世紀に大和地方を本拠地とする政治連合が出現した。古墳時代となった6世紀前半、後に継体天皇と呼ばれる大王が即位したことをきっかけとして、大王を中心とする国家の体制が形成されていった。7~8世紀にかけて、倭国では中国や新羅で採用されていた律令制を導入した。
「そしてこの頃から人々は、従来『倭』と呼ばれていた国の名前を『日本』と改め、『大王』と呼ばれていた王を『天皇』と呼びはじめた」
「このようにして、天皇の存在と密接に結びついた『日本』という国家のあり方が、古代のある時期に、特定の歴史的・政治的状況のなかで形作られていった。それは現代の『日本』にそのまま直結するものではない。むしろ、『日本』の基本的枠組みとなるものが、この時代にできあがったというべきだろう。……
またこの時代には、現代のような『日本人』や『日本文化』という概念はいまだ存在しなかった。『単一民族』としての『日本人』が、最初から存在していたわけではない。古代の日本(倭)は中国や朝鮮半島と積極的に交流し、人々の交流も盛んだった。また、日本(倭)の支配にしたがわない人々は常に列島のなかに存在し、戦いと併合が繰り返された。このような過程のなかで、さまざまな民族的集団が混じり合い、後世から『日本人』と呼ばれる集団が徐々に形成されていったのである。言い換えれば、『日本人』とは最初からあいまいで流動的な存在だった、ということだ」(以上、第1章)
中世から近世における神道や神仏習合についても解説されている。
「神道は、古代から存在する日本で最も伝統的な宗教であるとよくいわれる。しかし実際には歴史を通じて同じ姿が続いてきたわけではない。……中世には荘園制の展開にともなって、各地の荘園や村に新たな神社が建立され、有力な神々が守り神として祀られた。こうして人々にとってカミはより身近な存在となっていったのである」
「日本で本格的に仏教が広まった8世紀の奈良時代から、カミへの信仰と仏教との融合も見られるようになった。それを神仏習合という。たとえばカミが仏教を守るという言説や、カミが仏教による救済を求めているという言説が仏教側から語られた。また神社の境内に寺院が建てられ、カミに対する読経が行われることもあった。
こうした神仏習合を経て、平安時代には本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が登場し、中世になると社会に広く普及した。本地垂迹説とは、日本のカミの本体は仏や菩薩だという考え方である」
「現代の日本では、神仏習合は日本独特の現象で、日本人の宗教的寛容さを表していると語られることがある。しかし、日本の神仏習合に類似する言説や実践が中国仏教にもあったことから、神仏習合は中国から影響を受けたものであることが明らかになっている。……また日本の歴史を見渡せば、宗教的な『不寛容』の事例も少なからず見つかる。神仏習合を日本人の独自性と安易に結びつけるべきではないだろう」(以上、第7章)
終章である第15章では「『日本文化』のゆくえ」を扱う。文学・美術のほか、映画や現代のポップカルチャーまでふんだんに取り上げられている。
「日本の近現代は数多くの『日本文化』論が書かれた時代でもあった。明治時代には新渡戸稲造『武士道』(1899)や岡倉天心『茶の本』(1906)などが書かれた。しかし新渡戸が江戸時代の武士道論にもとづき、キリスト教と類似した道徳として『武士道』を再構成したように、そこには日本と西洋に共通する『文明』の普遍性への信頼もあった。また天心は日本と東洋の精神文化の共通性を(統合者としての日本の優位性を説きつつ)強調している。
大正期から昭和期にかけては西洋とは異なる『日本文化』の特殊性が強調されるようになり、戦争の拡大や総力戦体制の確立と連動しつつ、日本文化による『近代の超克』が盛んに語られた。戦後になるとルース・ベネディクト『菊の刀』(1946)をはじめ、日本人論と呼ばれる言説が数多く生まれ、消費された」(第15章)
一般に、学校教育を終えると自分の興味範囲外の知識が増えにくく、習った知識も時代遅れになりがちだが、本書をひも解けば、古代から現代までの「日本文化」について、ひと通りバージョンアップできる。海外の知人や日本に住む外国籍の人に贈るのはもちろん、大人の学び直しにも使えそうだ。
昨今では、「日本(人)らしさ」や「日本の伝統」を引き合いに出し、日本(人)の優秀さや優越性を説く言説を耳にすることがあるが、そうした本質主義的な考え方が妥当かどうか判断する材料になるだろう。正確に「日本文化」を知ることは、偏狭な自国中心主義や安易な日本礼賛に陥ることを防いでくれるものでもある。
日本列島で展開した、生き生きとして混沌とした多様な文化を知ることで、「日本」のあり方を考える手がかりにしたい。
【1,980円(本体1,800円+税)】
【神戸大学出版会】978-4909364272