【書評】 『知のアトラス 宇宙をめぐる教会と科学の歴史』 森 結 編
魚豊氏の原作による漫画『チ。 -地球の運動について-』がヒットし、アニメが放送される最中でのタイムリーな出版。地動説の研究に対し、教義に背く罪として徹底的に弾圧を加える架空の「C教」が、史実と異なりキリスト教への偏見を助長すると議論の的になっている。
アリストテレスの天動説は、聖書釈義と結びついて教会で支持されたが、天体観測に基づき疑義が呈されるようになる。教会は地動説学者の書を禁書とし宗教裁判を行うが、実は徹底的に排斥したわけではなかった。
拷問さえ伴った宗教裁判で有罪判決を受けたガリレオ・ガリレイは、釈放後、こう言った。「それでも地球は動く」
一般に流布されるこのイメージは、本書によればジュゼッペ・バルディーニ『イタリアン・ライブラリー』(1757年)に初めてそのような言及が見られるという。つまりガリレイの死後100年以上経ってからの、多分に潤色を加えられたフィクションである。実際のガリレイは検邪聖省による2度目の裁判で異端判決が下されるものの、拷問は受けておらず、それどころか終身刑から大使館での軟禁へと減刑されたという(51頁)。
教会は自然科学を敵対視する旧態依然の組織であった(今もそうである)という偏見を社会から取り去ることは難しい。しかし歴史をひもといてみれば、ガリレオ・ガリレイを、大航海時代にあって世界宣教を志すイエズス会は、当初歓待した。最新の天文学的知見は危険を伴う航海にとって重要だったからである。イエズス会そのものからも、アタナシウス・キルヒャーが太陽黒点の発見などに寄与している。皮肉なことに、この黒点をめぐる論争がガリレイとイエズス会との関係を悪化させ、異端裁判にまで至らしめたという。
「自然科学」は教会と対立したというよりも、「自然科学」という概念そのものが成立するまでには長く、多様な過程が必要であったことを、本書において概観できる。というのもキリスト教成立以前のアリストテレスの時代から、天文学や医学などの、今日「自然科学」と呼ばれる諸学は、やはり今日「宗教」と呼ばれる諸分野と混然一体、不可分の営為であったからだ。神を探究する者が神の秩序としての自然を観察することは、信仰的かつ科学的な営みであり、自然学的研究を行う聖職者も存在した。しかし発見の積み重ねが、次第に教会との緊張を生むようにもなっていく。
豊富なカラー図版をもとに、自然科学と宗教との、一体から分離に至るダイナミズムを感じとることができる貴重な資料集。
【1,100円(本体1,000円+税)】
【西南学院大学博物館】978-4910038995