【書評】 『古代オリエントガイドブック』 安倍雅史、津本英利、長谷川修一 編
「オリエント」というと、エキゾチックな文化や風土、遺跡が連想され、憧れを誘う。「古代」であればなおさらだ。本書では、東はパキスタンから西はトルコまでの西アジアを中心に、エジプトなど北アフリカの一部も含んだ地域を「古代オリエント」として扱い、それぞれの地域ごとに文明の痕跡をたどる。各地の発掘調査の最前線にいる研究者が分担執筆することで、「古代オリエント」の全体像を浮かび上がらせている。
「日本の研究者による古代オリエントを対象にした調査は、1956年の東京大学イラク・イラン遺跡調査団によるメソポタミア北部(イラク北部)のテル・サラサートの発掘調査にさかのぼります。この調査は日本による戦後初の海外発掘調査で、日本の戦後復興を象徴する一大事業でした。騎馬民族征服王朝説で有名な江上波夫が団長を務め、考古学や美術史、人類学など多様な専門分野から選抜された12名の研究者が参加しました。第一次調査は、1956年の8月から丸一年に及びました。……
それから65年以上の歳月が流れました。さまざまな大学や研究機関が新たに参入し、先達の調査団で経験を積んだ若い研究者が次々に独立していった結果、いまでは20を超える日本の調査団が、西アジア、中央アジアのほとんどの国で発掘調査をおこなっています。研究テーマも多様化しました。……日本の調査団による成果はしばしば現地のメディアをにぎわし、研究者が講演のために欧米の大学や博物館に招待されることもめずらしくありません。いま日本の研究者による古代オリエントの現地調査は、かつてないほどの盛り上がりをみせているのです」(03 長谷川修一「日本の研究者による調査の歴史」)
聖書世界の舞台となったレヴァントに関しては、文明の起こりから聖書考古学まで4パートに分けて述べられている。
「現在のシリア、レバノン、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン西部にあたる地域をレヴァントとよびます。レヴァントは、東をメソポタミア、南をエジプト、西を地中海に囲まれた、まさに『はざま』とよべる地域です。
このような地理的条件のもと、レヴァントには古くから多くの人々が往来していました。そういったなかで、周壁で囲まれ、その内部に一般の住居のほか、神殿や政治的有力者の大きな建物があるなど、階層化された社会を伴う『都市』とよばれる集落が次第に発達していきました。日本では縄文時代にあたる前3000年ごろにレヴァントの都市文明は始まり、発展と衰退をくり返しながら、前1200年ごろまで続きました」(08 間舎裕生「レヴァント1 大国のはざま」)
「かつてキリスト教による世界の見方が支配的だった西欧では、聖書に記されている出来事は史実であると考えられていました。時代が進んで19世紀以降、西アジアの各地で発掘調査が始まると、聖書考古学といわれる学問が発達するようになりました。当初、この学問分野ではしばしば、考古学によって聖書という書物に記された出来事の史実性を証明しようという意図が働くことがありました。……
しかし20世紀後半になると、このような学問的態度が批判されるようになります。聖書の内容を文学的に研究する聖書学という学問が発達し、聖書におさめられた書物が書かれたのが、実際の出来事の時代よりもはるか後の時代であることがわかりました。その結果、聖書の記述の史実性に対する批判的な見方が優勢になりました。また、考古学も自然科学の手法を取り入れ、より客観的なデータを示すことができるようになりました。こうして、考古学が示す当時の様子と、聖書に記された出来事が一致しないということがあっても、無理につじつまを合わせる必要がなくなったのです。……
聖書考古学は、かつてのような考古学による聖書記述の史実性の『答え合わせ』から、考古学によってもたらされる客観的な情報をもとに、聖書記述の歴史的・思想的背景を掘り下げるような学問に変化してきたとも言えるでしょう」(11 長谷川修一「レヴァント4 聖書考古学」)
文明の発展には文字が欠かせないが、現在世界中で使われているアルファベットもまた、古代オリエントに起源を持つ。前4千年紀後半に、メソポタミアでシュメールの絵文字が最初の文字として誕生し、それが楔形文字へと変化した。同じ頃、古代エジプトではヒエログリフが現れ、前2千年紀入るとギリシア方面で線文字や象形文字が生まれた。そして前11世紀になると、ABC順で記されたフェニキア文字が登場する。このフェニキア文字から前9世紀以降にヘブライ文字が、前8世紀以降にアラム文字が派生した。
「アラム文字は、前1千年紀のとくにアケメネス朝ペルシア帝国が広大な領土と多様な民族を支配するための共通の文字として使用したことによって、南はアラビア半島、西はエジプト、北はアルメニア、東はインドや中国まで広がりました。アラム文字はその後、インドの文字に発達したと考えられており、さらにインドの文字は東南アジアの諸文字へと発展しました」(15 竹内茂夫「アルファベットの誕生」)
アケメネス朝ペルシアはオリエントを統一した初めての覇権勢力だが、その起源には謎が多い。最初の首都パサルガダエの建造物には、エラム、アッシリア、エジプトといった文明を融合した浮彫が施されており、同時にペルシア文化様式の原型が見出される。この都市を築いたのはキュロス2世で、彼の墓もここにある。また、ペルシア文化の頂点がもう一つの首都ペルセポリスだが、数千人を収容できる大広間を備えた建造物群が林立していた。都市を壮麗な建築で彩ることは、広大な支配領域を安定的に治めるために必要な戦略でもあったと考えられる。
「ペルシアの文化慣習に憧れを抱かせ浸透を促すことは、多民族の統治にあたり重要な意味があったと考えられます。……
アケメネス朝のこうした多民族統治のしくみはそれまでの古代国家の集大成と位置づけられます。アケメネス朝は前330年、アレクサンドロス大王の侵攻で幕を閉じました。最後の王ダレイオス3世の墓はペルセポリスで建造途中のまま発見されています。しかしアケメネス朝が築いた古代国家としてのしくみは、ローマ帝国はじめ後世に大きな影響を与えたと考えられています。またその文化は、今日まで続くイラン文化の基礎となりました」(19 有松唯「イラン3 世界帝国アケメネス朝ペルシア」)
メソポタミアやエジプト、ペルシアといった、「ザ・オリエント」な文明だけでなく、近年詳細が明らかになったイランのジーロフト文明やオマーン半島に栄えたマガン、海洋王国ディルムン、大河文明オクサスなど、一般にはあまり知られていない重要な文明や王国も、現地をよく知る研究者がわかりやすく紹介。「ザ・オリエント」ならばある程度知っているという向きにも、新たな「古代オリエント」の姿を提示してくれる。
【1,980円(本体1,800円+税)】
【新泉社】978-4787723130