【書評】 『聖と性 私のほんとうの話』 まりてん

 著者が小学生のころ、末妹が生後数カ月で突然死する。そのことが契機となり、母親がキリスト教系の宗教に入信。著者姉妹を連れて「集会」に通うようになる。その教えに従い、著者は運動会や武道など、いわゆる競争(争い)とみなされるもの、修学旅行での寺社巡り、流行りの音楽やキャラクターなど、あらゆるものを禁じられる。また、輸血ができないため盲腸に苦しむ。そんな状況下、学校では友だちにあわせて「ふつう」であることを懸命に装い、また渇望する。宗教から離れて風俗の仕事をするようになってからは、教えの欺瞞を否定するため、男性客たちのなかにある「サタン」を見出すことで「答え合わせ」をし始める。

 著者は性的な技術よりもピロートークや風俗店のブログに書く文章を磨くことで男性客を虜にする。それは男性客のどろりとした内奥/サタンをどれだけ深く覗き込めるかに対する、著者のこだわりである。著者はキリスト教系の「言葉の宗教」を子ども時代に経験し、それを疑い、そこから離れていくことで、自己と他者(と否定すべき神)との関係性を言葉にする技術を研ぎ澄ませていったと思われる。

 大河ドラマ『べらぼう』における花魁のように、身体のみならず言葉をもって男性客を魅了し、蔦屋重三郎のようにSNSを駆使して遠い場所の人々にも風俗界の情報を伝達する。その根底に、神的な視座からの覚めた自己吟味がつねに存在するように見えるのは、やはり著者が「宗教二世」だからなのかもしれない。

 「私は、人間らしさが愛おしい。私が子どものころに押しつけられた聖書には『隣人を愛せよ』だとか『嘘はつくな』『騙すな』『裏切られても愛せよ』などと奇麗事の言葉が並べられていましたが、その奇麗さが昔から恐ろしかったんです」(170頁)

 著者の言葉に対し「ウチはカルトではないから関係ない」と、「異端でない、伝統的」教会の人々は果たして言い切れるのか。

(評者・沼田和也=日本基督教団王子北教会牧師)

【2,420円(本体円2,200+税)】
【講談社】978-4065384411

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