【書評】 『「信教の自由」の思想史――明治維新から旧統一教会問題まで』 小川原正道

昨今、報道などで取り上げられることの多い「信教の自由」。どのような歴史や経緯があって、この人権が憲法に明記されるまでになったのか。「信教の自由」と他の人権との衝突が議論されている今、この衝突を解消していく道が模索されている。日本における「信教の自由」をめぐる思想史を綿密に振り返り、問題を考えるヒントを与える書が出版された。
「近現代における日本の国家と宗教との関係、すなわち政教関係は、主に行政機関によって規定されてきた。
江戸時代に徳川幕府がとっていた宗教政策である寺檀制度(檀家制度、寺請制度)は、檀家が檀那寺と呼ばれる特定の寺院の葬儀を担い、布施を受けることで寺檀関係を築き、寺請や宗門人別帳への記載を通して、檀家がキリシタンでないことを示すなど、身分や身元を証明する戸籍制度であった」(原文ママ)
一方、欧米では、宗教をめぐる血みどろの戦争が繰り返されてきた。17世紀前半のイングランドやヨーロッパ大陸における宗教的迫害のために、ピューリタンはまずオランダに、そしてアメリカへと向かい、入植したのである。アメリカに渡ったのはピューリタンだけではない、さまざまな人々が入植し、宗教的共同体を築き、対立が生まれた。そこで憲法が起草され、国教の禁止と信教の自由が認められた(欧米の場合は、もっぱら「信じる」ことのみを表す「信教」という用語よりは、「宗教」あるいは「信仰」の自由と表現した方が適切であろうが、本書では日本の憲法の用語に合わせて、「信教の自由」で統一されている)。
「アメリカにおける『闘い』の武器は主として法であり、舞台は議会と法廷であった。そこで重んじられるのは法律と判例である。これに対し、行政機関に自由をめぐる権力の運用を大きく依存してきた日本では、行政機関がいかなる権限を持ち、それを運用するかという法制定と法解釈、法運用が、議論の対象となってきた。主たる舞台は法廷ではなく、議会と言論空間である。……
欧米のように血みどろの戦争と迫害の中から生み出されたわけではない、いわば『上』から降ってきた『信教の自由』を、先人たちはいかに受け止めて議論し、いかにして行政機関の権限が規定され、今日にいたっているのか。本書は明治維新以来、今日までの近現代日本における『信教の自由』の思想史を描き、その未来を展望しようとするものである」(以上、序章 「信教の自由」のこれまで・今・これから)
本書は序章と第一章から第七章、終章で構成されている。第一章では、西洋宗教との出会いを、浄土真宗本願寺派の僧・島地黙雷の欧米視察日記を通して記述する。明治初期は、日本人が西洋宗教の神観と、信教の自由、政教分離を学んでいく時代であった。第二章では第一次宗教法案をめぐる論争、第三章では第二次宗教法案と知識人・宗教者たちについて述べられている。近代日本で初めての包括的な宗教法案である、第一次宗教法案は1899年に帝国議会に提出されるも、結局否決された。その過程では、キリスト教総合雑誌『六合雑誌』や日本ハリストス正教会の機関誌『正教新報』などがそれぞれに論陣を張っていた。第二次宗教法案に関しては、吉野作造や田中耕太郎といった知識人がどう反応したかが取り上げられている。また、宗教界からの反応として、日本基督教青年会同盟の機関誌『開拓者』に掲載された内村鑑三の見解が紹介されている。
「内村は、宗教は『自存性』を有するため、いかなる勢力の『保護』を受けずとも自由に発達するとして、政治が宗教に干渉するのは『如何に愚かなる事である乎』と宗教法案を批判した。政治家が宗教のためにできる『至上の善』は、これを『放任』することであり、宗教の『非倫不徳』を取り締まる必要はあるが、それは『普通の法律』に依るべきで、特別に宗教法を定める必要はないという。
政教分離が『文明的政治の原則』だとする内村は、宗教が政治に干渉する弊害が大きいのと同様、政治が宗教に干渉する弊害は大きく、このために西洋諸国では政教を分離しており、日本が二〇世紀になって新法を定めて宗教を取り締まろうとするのは、文明に対する『逆行』だと指摘する。憲法が自由を保障した宗教に対して、政治が制裁を加えようとするのは『時代錯誤』であり、文部省は直轄の学校においてすら、教師・生徒の思想の悪化を制止することができていないとする内村は、同省が教育より『困難』な宗教を支配下に置いて取り締まれるとは思えないという」(第三章 政府の監督権をどこまで認めるか)
第四章では第一次宗教団体法案と憲法論議、第五章では第二次宗教団体法案と翼賛体制の構築を扱う。そして、第六章からは戦後に入る。
「太平洋戦争終結後、日本を占領した連合国軍は、『信教の自由』と『政教分離』、『軍国主義的』または『極端な国家主義的』な思想の除去を原則として、統治に臨んだ。……
こうして二月一五日、『国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件』、いわゆる『神道指令』が発令された。この指令は、国家が指定した宗教や祭式に対する信仰の強制から日本を解放するため、戦争犯罪や敗北、苦悩、困窮、現在の窮状を招来したイデオロギーに対する強制的・財政的援助から生じる日本国民の経済的負担を取り除くことを目的の一つに掲げている」(第六章 自由・自治・自主の実現に向けて)
第七章で扱われているのは、オウム真理教と創価学会をめぐる攻防と、宗教法人法改正である。そして、それまでの議論をふまえて、終章では旧統一教会(宗教法人世界平和統一家庭連合)の問題を取り上げる。2022年の安倍晋三元首相銃撃事件を契機として、旧統一教会が起こしてきた霊感商法や多額の献金要求、宗教二世問題などが広く世間に知られ、当該団体の活動のあり方が問題とされた。現在までに、旧統一教会への解散命令請求、消費者行政の観点からの救済措置、財産保全の特例法制定が行われている。だが、このような動きは、日本における信教の自由がもっぱら「行政」によって規定されてきたことを思い起こさせるものでもある。
「これまで見てきたように、旧統一教会の解散命令請求や消費者行政・財産保全面からの被害者救済の枠組みでは行政機関の裁量と運用に委ねる余地が大きくなっている。
行政機関が肥大化し、それが『信教の自由』と密接に関連する可能性が高いことを考慮するとき、我々はこれまで長い間、行政機関の介入から『信教の自由』を守るために、知識人や宗教者などが奮闘してきた日本の近現代史を、改めて回顧せざるを得ない」(終章 「信教の自由」のために)
著者は、第三者機関の設置と民主的統制を提起する。注目を集める政治と宗教の問題の中でも、宗教関係者が強い関心を抱くのは「信教の自由」の問題であろう。どのような歴史と議論があったのかを知ることで、長期的な視野を持って検討することが可能になる。
本書は、同著者による『日本政教関係史――宗教と政治の一五〇年』(筑摩選書、2023年)の姉妹編として上梓された。本書では大きく扱われていない、教育と宗教の衝突やキリスト教公認の過程、「大東亜共栄圏」と宗教者、満洲国、靖国神社に関しては、そちらを参照されたい。
【1,925円(本体1,750円+税)】
【筑摩書房】978-4480018045