【雑誌紹介】 熱狂の先にある終末 『福音と世界』10月号

特集「ファナティシズム――『狂信』と『熱狂』の狭間で」。特集の前書きによると、「ファナティシズムfanaticism。『狂信』や『熱狂』と訳されるこの言葉は、ある人物や人々が何かに熱中し、時には自身の生命をも顧みないほどに非妥協的な姿勢において何かを強く信じている状態を指して用いられてきた」。
横田祐美子と伊藤潤一郎による哲学コレクティブ「敷衍(パラフラゼ)」の初の寄稿「自己への熱狂――絶望の時代の走りかた」。
「なぜ、仮定できないのか。今日がまぎれもない世紀末であり、終末であり、世界の終わりだと」
「戦後八〇年にして人々はふたたび戦争への道を歩みはじめ、原子爆弾による悲劇すら忘却しつつある。グローバル化による人口移動やオーバーツーリズムは異質な他者とのあいだに軋轢を生み、その小さな悪感情に大義名分を与えるべく排外主義者たちはせっせとデマを流す。あらゆる問題はテクノロジーによって解決できるという思想以下の思想が「効果的加速主義」などという立派な看板だけを背負い、大手を振るって歩いている。三、四〇年前に蔑視の対象であったはずのオタク文化は大きく姿を変えながら人口に膾炙し、さまざまな言説が『推し活』語法に乗っ取られている。『ケアの倫理』『生活』『子ども』などを批判しようとすれば入稿前に止められ、善人の顔をした全体主義が一部の書き手のペン先を曲げる。右傾化への熱狂、排外主義への熱狂、テクノロジーへの熱狂があれば、アイドルへの熱狂、キャラクターへの熱狂、特定のテーマへの熱狂がある。ある運動の未来は不寛容な熱狂に左右されるとヒトラーは述べたが、これらの熱狂の先にはたして未来はあるのだろうか。終わる世界が、そこにあるだけではないのか」
【660円(本体600円+税)】
【新教出版社】