【書評】 『裸足で逃げる』 上間 陽子

語る者と聴く者との揺れ動く関係性浮き彫りにする祈りなき祈り

 

 9・11テロの直後、カウンセリングにおいて自身の体験を語った人の方が、カウンセリングを受けなかった人よりもPTSDが強く現れたと聞いたことがある。性暴力被害者が証言することで被る「セカンドレイプ」にも通じると。

 その意味でも、著者の調査対象者への聴き取りは困難を極めたであろう。そこでは想像を絶する出来事の数々が語られている。記憶として統合(もちろん解決も!)されず、断片化されたままの出来事もある。そもそも、解決とは何なのか。

 中学生くらいで妊娠した女性たち。助けを求める先も、助けを求める語彙さえ分からない。壁は途方もなく高く感じられ、すべてが億劫になり、諦める方がマシであることが常態化する。

 彼女らと深い信頼関係を築いていても、尋ねるのをためらうこと、尋ね得ないことがある。著者は聴き取るだけでなく、彼女らに介入し、共に泣き、怒る。同じ一人の沖縄の女性として、そして一社会学者として、語る者と聴く者との揺れ動く関係性を浮き彫りにする。

 「傾聴」という言葉がややもすれば安っぽく、介入しないことへの免罪符として用いられる今日。自分を相手に曝さず、ただ中立的に聴いていればいいのか。話の最後に祈ることで、相手の痛みを「信仰物語」に回収すればいいのか。著者の文体そのものが祈りなき祈りとして、牧師や教会に響き、そして問いかける。

【本体1,700円+税】
【太田出版】978-4-77831-560-3

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