「慰安婦」元衛生兵の松本栄好牧師が語る戦争の実態まざまざ 「敵性宗教か」に「はい」 2007年10月13日
戦時下の従軍「慰安婦」について、軍の関与や強制連行の事実は「証明できない」などとする「歴史修正主義」が台頭する中、日本兵として従軍し、戦争の実態を目の当たりにしてきた松本栄好氏(日本キリスト教会引退牧師)が9月24日、日本キリスト教会南浦和教会で証言した。同氏は1922年、福岡生まれ。21歳で入隊し、翌年中国・山西省孟県へ赴く。衛生兵として「慰安婦」の性病検査にも携わった。
この集会は、日本キリスト教会日本軍「慰安婦」問題と取り組む会が主催したもの。松本氏は、「『慰安婦』問題と戦争」と題する講演の中で、自らの信仰歴を交えながら戦時体験について静かに語った。太平洋戦争の最中に求道を始めたという同氏は1942年、日本基督教会柳川教会で洗礼を受け、同年に徴兵された。
ある時、牧師夫人が「松本さんを戦地に送らないでほしい。彼のような青年を戦争で殺すのは国のためにならない」と中隊長に嘆願した。また、戦地へ赴くことが決まった時、教会での壮行会で「この戦争は必ず負ける。何が何でも生きて帰って来い」と言った牧師の言葉は、終生忘れることができないという。日本の教会が次々と戦争へ加担していった時代のこと。「これは入隊してから受けた牧会だと思っている。青年を育てるとはこういうことだ」と力説した。
牧師夫人からもらった小さな聖書は、今でも肌身離さず持っている=写真下=と松本氏。出征後、私物検査でその聖書を見つけられ、「適性宗教の信者か」と怒鳴られたが、こちらも負けずに大声で「はい」と答えると、「誰にも言うな」と黙認されたという。
1944年、映画「蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち」(班忠義監督)の舞台ともなった孟県に派遣される。村に侵入して誰もいないと、兵隊がまず口にする言葉は、「娘はおらんのか」だった。逃げ遅れた8人の女性を兵舎に閉じ込めたこともある。衛生兵の役目は、性病検査。兵隊の衛生管理のために、コンドームを配るのも仕事だった。1千人ほどの大隊に6、7人の「慰安婦」がいたが、実際には将校や下士官のために集められ、下級の兵隊たちは接触できなかった。ある時は、民家に押し入ろうとした同じ部隊の兵士が、戸を空けた途端に仕掛けられた爆弾で爆死した。
戦後、国会に提出された靖国法案の第一条は、「英霊の偉業」を永遠に褒め称えるというもの。当時、同氏が先頭に立って反対した背景には、「こんなことが偉業か」との思いがあったという。
松本氏は言う。「問われているのは日本人のモラル。天皇制が維持されている限り、その再生はあり得ない。……モラルを構築できていくものは聖書しかない。わたしたちはキリストの体なる教会の手足として、この日本の只中に派遣されている。その使命は重い」。
会場からは、松本氏とほぼ同年齢で、似た境遇を経験したという渡辺信夫氏が発言。「(戦時中の)わたしは、天皇制と妥協した名ばかりのクリスチャンだった。キリスト教は、信仰を貫いて言い表す者を生み出してこなかった。再び同じ過ちを犯したら、今度こそ日本のキリスト教は意味を持たなくなる」と語った。
年々減り続ける「歴史の証人」から、日本の教会は何を学ぶべきなのか。残された課題はあまりにも大きい。
「慰安婦」「集団自決」をめぐる最近の主な出来事
05年4月 中学校の教科書検定で、「従軍慰安婦」の記述が全教科書の本文から削除。
05年8月 「集団自決」の記述をめぐり、大江健三郎氏と岩波書店が提訴される。
06年6月 上田清司埼玉県知事が、県議会本会議で「『従軍慰安婦』はいない」と発言。
07年1月 「従軍慰安婦」番組訴訟で、東京地裁がNHKに賠償命令。
07年3月 安倍首相(当時)が「(慰安婦の)強制性を裏付ける証拠はない」と発言。
高校の教科書検定で、沖縄戦での「集団自決」を軍が強制したとの記述が削除。
07年6月 日本の議員らが米紙に、「慰安婦」動員で強制はなかったとする全面広告を掲載。
07年7月 米下院本会議が、日本政府に元「慰安婦」への公式な謝罪を求める決議を採択。