『聖☆おにいさん』イエスとブッダが共同生活? 信徒ファンも急増中 〝究極の宗教間対話〟 2008年12月25日
下界で休暇中の〝最聖〟コンビ・イエスとブッダが東京・立川のアパートで共同生活――。そんな夢のような漫画が、性別、年齢、地域、そして宗教をも超えて広く読まれ、ファン層を拡大し続けている。2006年からモーニング増刊「モーニング・ツー」(講談社)で連載が始まった『聖(セイント)☆おにいさん』。これまでの〝聖人〟像を愛すべきキャラクターによって見事に打ち破ったという、まさに革命的なこの作品が、なぜこれほどまでに読者を惹きつけるのか。その魅力に迫るため、作者の中村光さんを訪ねた。
キリスト教の歴史を描いた学習漫画や漫画版「聖書物語」は、これまでも数多く出版されてきたが、そもそもこの作品は、いわゆるキリスト教の教義や聖書とはほぼ無関係。唯一、主人公が2大宗教の〝聖人〟(という設定)であるというだけ。しかし、キリスト教や仏教を少しでも知る者にとって、思わずニヤリとしてしまうような「小ネタ」が随所にちりばめられている。
1984年生まれの中村さんは、期待の新星として注目を集める弱冠24歳。自身はキリスト教徒でも仏教徒でもなく、特に大学や神学校で宗教を学んだわけでもない。そんな中村さんが、なぜこの漫画を描き始めたのか。
「わたしの家族は信者ではないんですが、クリスマスが大好きで、毎年かなり盛大に祝うんです(笑)。実家に本物のもみの木があって、それにイエス様や天使などの小物で本格的な飾り付けをします。陶芸家の父が、宗教画を描くのが好きで、よくお皿にマリア様や天使の絵を描いていました。そういう絵が家中にあって、よくそれらの説明も聞かされていたので、わたしも自然に好きになったみたいです」
小学生のころは、聖書や『ブッダの言葉』といった本もたくさん読んだという中村さん。父親は「どの神さまも素敵」「尊敬できる人の話はきちんと聞いた方がいい」というのがモットー。キリスト教に限らず、さまざまな神さまの絵を描くのが好きだという。しかも、お寺から依頼され、掛け軸に仏画を描いて奉納するほどの本格派。そうした関係で僧侶の知り合いも多く、お寺にもよく出入りしていた。漫画の原点はここにあった。
「初め男性2人が主人公の(女性キャラが出てこない)漫画を描いていいと言われて、一番のんびりしていて描くのが楽しいのは誰かなといろいろキャラクターを描いていて、最終的にこの2人が残ったんです」
最初に描いた4ページを見た編集部の反応は、意外にもすんなりOK。「モーニングは昔から憧れていたんですが、普通に『いいですよ』と言われたので、逆に怖かったですね。こんなんでいいんですか?って」
業界記者の立場から最も気になるのは、宗教界からの反応。教祖を絵に描いただけで大問題になるような海外事情もある中、そうした指摘や批判は来ないのだろうか。
「初めは全然気にせず楽しく描いていたんですが、後で母から『よくよく考えてみたら、どうなのかしら』って言われて、ようやく3話目ぐらいから意識し始めました。今のところ、そういう声はいただいていないので、ありがたく描かせてもらっています」
一度でも読んだことのある者には、その理由もうなずける。この漫画に込められた「笑い」は、現代風の「嘲笑」や「冷笑」とはほど遠く、宗教に対する誤解や偏見はまったく感じられない。むしろ、作者の宗教に対する愛情すら感じてしまうからだ。
中村さん自身、「けなすマンガって面白いと思えなくて……。嫌な気持ちになる人がいない漫画がいいなって思うんです。ただ、宗教の場合、基準が人によってずいぶん違うと思うので、気を付けるようにはしています」と、その姿勢はどこまでも謙虚。「サイン会で『実はキリスト教徒なんです』って言われたりすると、嬉しい以上に緊張しちゃうんです。『わたしの漫画大丈夫?』みたいな……」
事実、キリスト教徒、仏教徒の間にも熱心なファンが多い。最近では、牧師、神学生、カトリック学校の教師、僧侶などからファンレターをもらうことも増えた。「『聖職者になるための勉強をしている者ですが、学内で流行ってます』というお手紙をいただいたことがあって、今でも机の前に貼っています」
ただ、そうした〝専門家〟がいる領域だけに、ネタ作りには苦労もあるようだ。イエスとブッダのやり取りには、元ネタが分からないと笑えないようなマニアックな内容もしばしば登場する。かなり取材をして勉強しているのかと思いきや、意外な答えが返ってきた。
「あんまり知識を入れちゃうと、普通の読者の目線になれないので、なるべく知らない状態でいなきゃと心がけています。資料を見る時も、きちんと読んじゃうとまったく違う説があったりするので、雑多に書かれた『ひと目で分かる』的な本をななめ読みするぐらいで止めるようにしてるんです。そうしないと、おそらく何も描けなくなっちゃう。基本は、昔読んだ本の記憶を引き出して使ってる感じですね」
教会へも度々足を運んでいる。母方の親族が住む山口県の教会が大のお気に入り。その教会では、シスターが編んだスリッパにマカロンのお菓子とイエス様の言葉を入れて、クリスマスに販売している。実家のスリッパはすべてそこで購入した物だという。
だが、上京してからはクリスマスもそれほど好きではなくなった。「もっと楽しかったのになぁ、みたいな思いはありますね」と寂しそうな中村さん。大好きだった中村家のクリスマスとは、一体どんなものだったのだろうか。
「家族全員が帰って来て、みんなで温かい夜を過ごすという雰囲気が好きでした。賛美歌が流れる中、飾り付けをしたりプレゼントを隠し合ったり……。夜になると、父がベルを振りながら庭を走り回るんです(笑)」
そこまで祝う人は信徒でも珍しい――。「わたしも今考えるとあり得ないと思います。すごいんですよ、何事も本気でやるので(笑)。あのテンションは、クリスマスと窯焚きの時だけでしたね」
そんなお茶目なお父さんの目に、この漫画はどう映っているのだろうか。「大好きみたいです。このイエスが父に似てるんですよ。痩せてて、昔は長髪でこういう感じだったみたいです」と目を輝かせた。
キリスト教や仏教への「敬愛」の念(好き)と、「信仰」(信じる)との違いをどう考えているのだろう。「わたしは〝好き〟という方がかなり大きいんですけど、イエスが復活したというのは信じてるんです。聖書の中にはいくつか、後世の人がイエス様のことが好き過ぎて作っちゃったのかな、と思える話もありますが、基本的なところは信じてる方だと思います。『考え方を貸してもらう』という気持ちに近いかもしれませんね」
気になる今後の展開については、「特に考えていません」とあっさり。「あまり変わらないようにしたいです。他の作品ではキャラが増えちゃう傾向にあるんですが、基本は2人のままで抑えたい。この2人であれば、おそらくどこに行っても楽しいだろうと思うので」
現実の宗教界では、他宗教同士がどう対話し、信徒レベルでどう交流するかというのが今日的課題として取り上げられているが――。イエスとブッダの共同生活。それはいわば、漫画だから実現できた〝究極の宗教間対話〟かもしれない。
単行本は、講談社より2巻まで発売中。第3巻は2009年3月に発売予定。
中村光(なかむら・ひかる)
1984年、静岡県生まれ。中学生で漫画家を目指し、2001年、17歳で月刊ガンガンWINGに商業誌デビュー。翌年同誌でショートギャグ連載『中村工房』をスタート。2004年からは掲載誌をヤングガンガンに移し、荒川土手に住む不思議な住人たちの奇妙な生活を描く『荒川アンダーザブリッジ』を連載開始。2006年からはキリストとブッダを主人公にした最聖コメディ『聖☆おにいさん』(セイント☆おにいさん)をモーニング増刊『モーニング・ツー』で連載開始。新鋭ギャグまんが家として急激に注目を集めつつある。