【映画評】 『天のしずく 辰巳芳子〝いのちのスープ〟』 スープで共にあずかる 「いのちへの祝福」 2012年11月3日
一人の料理家が、脳梗塞で倒れた父のために丹念に作り上げたスープ。それがやがて、人々に希望を与える「いのちのスープ」として全国に広がり、そのために食材を提供する生産者、「スープ教室」の教え子たち、スープを口にする老若男女をつなげていく。そして、「愛と平和」を守り育んでいくのが「スープの湯気の向こうに見える実存的使命」だと辰巳芳子さんはいう。
終末期医療に携わる医師や看護師らを招いた特別教室を機に、緩和ケア病棟でスープを提供する試みも広がった。辰巳さんが参加者に投げかけた激励の言葉を、身を粉にして仕える世の牧師たちへそのまま贈りたい。
「こんなに大変なお仕事を長くお続けになるなんて、一つの大きな恵みをいただいてらっしゃると思う。誰もがこのお仕事ができるとは限らない。非常に限られた方がおできになるんじゃないですか? ……だから、まず(自らスープを飲んで)自分の命を持ち運んでほしい。いつまでも末長く元気で、ご自分自身が楽しく仕事をできるように」
カトリックの洗礼を受けた辰巳さん。スープの定番「ポタージュ・ボン・ファム」を作りながら、「ボン・ファム」が貴婦人を意味することに触れ、赤ちゃんからお年寄りまで万人に抵抗なく受け入れられる「『ポタージュ・サンタ・マリア』かもしれないね」とぽつり。
画面からあふれ出る「美しさ」は、カメラの性能や撮影技術によるものだけでなく、四季折々の自然や、それらを愛でる辰巳さん自身のたたずまいによるのだろう。「食」にまつわるドキュメンタリーでありながら、原発、戦争、医療、農業、環境、ハンセン病、命の尊厳など、想起させられるテーマは限りなく広い。
この島国で営々と受け継がれてきた和食の知恵と、教会という共同体が伝承してきた聖晩餐には、どこか通じるものがある。食べものを食べ、おつゆもの(スープ)を飲むという人間の営みそのものが、実にサクラメンタルな行為だったのだと気づかされる。辰巳さんの言葉を借りるならば、「食すことは、いのちへの敬畏。食べものを用意することは、いのちへの祝福」であり、祈りであり、賛美でもあるのだ。
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