【映画評】 『わすれない ふくしま』 ふくしまの〝現実〞 えぐり出す 2013年3月2日
震災からもうすぐ2年。福島県に住む知人は、何よりも目下最大の不安は、メディアが取り上げなくなり、世間から忘れられることだと漏らした。先の衆院選の結果を見るにつけても、その不安には同調せざるを得ない。
この2年間、震災にまつわる映画は種々撮られてきたが、福島県飯館村の、しかも特定の個人や家族に焦点を絞って密着したドキュメンタリーは珍しい。『忘れられた子供たち』などでフィリピンの貧困を描いてきた監督が、足しげく現場を訪ね、忘却にあらがう。エンディングテーマを歌うのは、カトリック六甲教会信徒の音楽家、こいずみゆりさん。
福島第一原発から40キロ北西に位置する、「日本一美しい村」といわれた村。緑豊かな田園風景。のどかに響き渡るうぐいすの鳴き声。テレビを見ながら食卓を囲む家族。一見するとごくありふれた日常だが、まだあどけなさの残る幼稚園児のまさとくん(4歳)とその一家には、見えない不安が影を落とす。
仮の住まいを転々とする避難生活、日常的に「放射能」という言葉を口にする子どもたち、牛舎につながれたまま白骨化した牛たちの死骸、今も壁に残されている自殺した酪農家の遺言、建設現場での事故で半身不随になる父。そこには、お手軽な希望などかけらもない。そしてその裏側には、震災前からすでに突き付けられていた過疎地の実態が見え隠れする。
「自死遺族」にカメラを向け、粘り強く問いかける場面など、撮影手法に異論も出そうだが、何としても伝えたいというスタッフの情念は伝わる。数々の修羅場をくぐってきた監督ならではの荒業だろうが、そこまでしなければ到底えぐり出せないふくしまの〝現実〞が、確かにある。
決して後味のいい映画ではない。胸に生じた〝ざわめき〞もなかなか消えない。淡々とした記録映像が何かを声高に主張することはないが、底流にふつふつと流れる監督の憤りが聞こえてくる。
「日本人の仕事や大切な故郷を根こそぎ奪い、善良なるひとびとを病気や死に追いやるものなどは絶対にこの日本にはいらないのです」
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