【緊急寄稿】 香港の「逃亡犯条例」改定反対運動とキリスト教会 最前線で歌い続けられた「賛美歌」 倉田明子 2019年6月16日

香港 司法の独立が有名無実化することへの懸念

 6月9日、香港で「逃亡犯条例」の改定に反対する大規模なデモ行進が行われた。12日には再び多数の学生や市民がデモを行い、一時は道路を占拠したが、警察はこれを容赦なく排除した。その様子は日本でも大きく報道されたところである。今回の一連の運動の背景には何があり、現状はどうなっているのか、現地でのレポートも交えて報告する。

 今回の問題の発端となった「逃亡犯条例」とは、香港内に逃げ込んだ刑事事件容疑者を、当事国(地域)の当局に引き渡すことを可能にする法律である。昨年2月、香港人の男が台湾で殺人事件を起こした後、香港に逃げ帰り、台湾当局からの訴追を免れるという事件が起こった。台湾は逃亡犯引き渡しの対象外とされていたためである。この一件をきっかけに、香港政府は今年2月、「逃亡犯条例」の改定案を提出する。ところが、この改定案が新たに認めた引き渡し先に台湾のみならず中国大陸も含まれていたことが、香港の人々に不安を抱かせることになった。この改正案通りに条例が可決されれば、中国の法律を犯したとみなされた人物が香港内で拘束され、中国に引き渡される可能性が出てくるからである。

 中国本土においては、法は往々にして共産党政権の統治の道具として運用される。例えば、昨年末に中国で最大規模の「家庭教会(非公認教会)」であった「秋雨聖約教会」が取り締まりにあい、王怡(おうい、Wang Yi)牧師や信徒が拘束されたことは記憶に新しいが、その後王怡牧師に適用された罪状は「国家政権転覆煽動罪」であった。政権側の「判断」によって罪状がいかようにも定められてしまうことを示している。またその先の裁判においてもしばしば、審理の過程は不透明である。一方、香港は中華人民共和国に返還された後も「一国二制度」のもと、中国本土とは異なる体制下に置かれてきた。司法に関して言えば、イギリス領時代の法体系が返還後も維持され、司法の独立が保たれてきた。

【速報】 「国家政権転覆扇動罪」の嫌疑で中国の家庭教会の牧師、逮捕・拘留  2018年12月17日

 しかし2015年には、共産党政権にとって不都合な内容の書籍を販売していた書店の関係者が次々と中国本土に連れ去られる事件(銅鑼湾書店事件)が起きた。そのうちの1人は香港の中で「失踪」しており、市民の間には司法の独立が脅かされているとの危機感が強まっていた。今回の条例改正案は、中国本土の「法律」に基づく容疑者の拘束と引き渡しを合法化してしまう、つまり香港の司法の独立が有名無実化してしまう、との強い懸念を生んだのである。

 香港政府はこの条例改正を急ぎ、今月末にも立法会(議会)で採決を行えるよう、6月12日に本会議で審議入りすることを決めた。6月9日のデモの目的は、審議入りの前に反対の民意を示し、それを阻止することだった。結果的にこの日のデモの参加者は主催者発表によれば103万人、1997年の香港返還以降最大規模のデモとなった。香港政府は同日夕刻、改正の審議を止めるつもりはない、と表明した。デモ終了後も終着点の立法会周辺に残り、広場や道路での座り込みを試みた学生や市民もいたが、警察によって強制排除された。

 しかしその直後から、審議入りを阻止するための新たな運動として12日の授業ボイコットやストライキ実施が呼びかけられた。一部の市民は11日の夕刻から再び立法会周辺を取り囲み、12日には一時道路を占拠したが、同日夕刻から警察による催涙スプレーや催涙弾、ビーンバッグ弾(布製の袋に鉛弾を詰めたもの)、ゴム弾などを用いた排除が強行される。発射された催涙弾は150発にも及び、11人の逮捕者(14日警察発表、15日『明報』では20人以上)と80人近い負傷者を出した。道路占拠は解除されたが、その後も立法会付近の陸橋や公園には断続的に抗議者が集まり、集会が開かれるなどしている。

 こうした状況を受け、予定されていた立法会の本会議審議は開始できない状態が続き、この間に親政府派の議員からも、審議は当面延期すべきだ、との声があがり始めた。そして15日、林鄭月娥行政長官はこの条例の改定を無期限に延期すると発表した。今月末にも成立が見込まれていた「逃亡犯条例」は、市民の粘り強い抵抗によって香港政府から大きな譲歩を引き出したと言えるだろう。しかし、9日のデモを組織した「民間人権陣線」はあくまで改正案の撤回を求めるとして、16日に予定通り再びデモを行うと発表した。

メッセージが貼られた陸橋の壁

キリスト教界の反応 陸橋で歌われた「賛美歌」

 これまでも香港のキリスト教会は社会運動に積極的に関与してきた。今回の運動について言えば、例えば法案の審議入りの日程が近づく中、改定案に反対する署名活動が行われ、署名活動を行った組織がネット上に次々と署名リストを公開した。6月9日時点での集計によれば署名の総数は27万筆あまり、そのうち中学、高校で集められた署名が17万4千筆ほどとなったが、学校ごとの署名数で上位10校に入ったのはすべてミッションスクールであった。このほかに各教派、教会ごとに集められたキリスト教界の署名も8千筆を超えた。また9日のデモの開始直前には、大規模デモでは恒例だが、カトリック、プロテスタントそれぞれの団体が主催する祈祷会も開かれた。

 このように、今回の運動にも一定数のキリスト教徒が積極的に参与していたが、11日以降の事態の推移の中で、彼らの存在感が急速に増すことになった。キリスト教徒たちが現場で歌い続けたある賛美歌が、事実上この運動のテーマソングとみなされるほどに有名になったからである。

 プロテスタントの教職者が改定案反対の署名運動のために組織した、超教派のグループ「香港キリスト教教職者署名準備委員会」は香港のクリスチャンに向けて、6月10日から12日の3日間「祈りのマラソン」運動に参加するよう呼びかけた。信徒それぞれが毎時間ごとに祈りを捧げるとともに、10日から12日の毎晩、そして12日の朝に祈祷集会が開かれた。場所は、12日の朝の集会までは、立法会に隣接する政府庁舎の前に配置された封鎖線とそれを守る警官隊の目の前であった。そして11日の夜の祈祷会の後、多くの信徒がその場に残り、賛美歌〝Sing Hallelujah to the Lord〟1曲だけを翌朝までほぼ途切れることなく、実に9時間もの間歌い続けるという現象が起きたのである。12日早朝の祈祷会の参加者は2千人近かったという。

 その後、混乱した1日を経て、一般市民の立ち入りを禁止するエリアは拡大し、封鎖線の一部は立法会や政府の建物から幹線道路を隔てた陸橋の上に移動した。この陸橋上の封鎖線前と、立法会に隣接するタマール公園では12日の夕刻以降も、断続的にこの賛美歌の歌唱が続いている。特に陸橋の方は日夜問わず、誰かがこの賛美歌を歌っているといってもよい状況になり、市民の広範な注目を集めた。こうして〝Sing Hallelujah to the Lord〟は、今回の運動で最もよく歌われ、人々の耳に届いた歌、いわばテーマソングになったのである。

 現地のメディアは、キリスト教徒たちによる最前線での賛美歌歌唱という行為が、警察と市民の間の緊張を幾分か緩和する役割を果たしたとも評している。賛美歌の歌声が絶えないこの陸橋を、冗談めかして「ハレルヤ橋」と呼ぶ呼び方も現れている。

 一方、警察による排除が行われた12日の夜、カトリック香港教区の夏志誠補佐司教が語ったミサ説教も大きな反響を呼んだ。夏司教は、抗議活動に参加していた若者との出会いについて語り、涙ながらに「主のお姿があの若者たちの魂の奥深くに刻印されているのを私は見ました。彼らがあの場に出て行ったのは、自分のためではありません」と若者たちを弁護したのである。この説教の録画映像はFacebook上で54万回以上再生され、1万2千件以上シェアされた。夏司教の言葉は、カトリック教会内部のみならず、一般市民の間でも共感を得たと言えるだろう。

 筆者は15日の夕刻、立法会の周辺を歩いてみた。数日前には催涙弾やゴム弾まで用いて路上の人々を排除していたとは思えないほど、車が走行する幹線道路は平常に戻っていた。だが「ハレルヤ橋」の近くまで行くと、警察の封鎖線に続く一角の両側の壁に、訪れた人々が残したメッセージが所狭しと貼られていた。ちょうど小規模な礼拝が行われているところで、短い説教の後、やはり〝Sing Hallelujah to the Lord〟が歌われていた。数十名がその場に集まっていたが、行政長官が改正案審議の延期を発表した後だったこともあり、緊張感はほとんど感じられなかった。タマール公園もこの日は特に集会も開かれておらず、非常に静かであった。それでも園内のあちこちで、明らかに抗議活動として静座しているであろう人々の姿が見られた。

タマール公園

 16日のデモは結局、9日を上回る規模となった。15日の夕刻、立法会の近くの商業施設に設置されていた工事用足場に上り、抗議の垂れ幕を掲げた男性が転落死した。16日のデモにはその死を悼んで白い花を一輪持ってこようとの呼びかけが急速に広まり、デモの規模をさらに拡大させたようである。主催者は夜遅く、デモ参加者は200万人近くに上ると発表した。行政長官は21時過ぎに声明を発表し、今回の事態について謝罪した上で、条例改正に関わる立法会の手続きは停止したと述べている。しかし「撤回」という言葉は使われておらず、香港の人々の不満と不安は拭われていない。

 この改正案が仮に成立すれば、香港を訪れる外国人も、場合によっては拘束され中国に引き渡される可能性がないとは言えなくなる。日本の私たちにとっても無関係ではないかもしれないこの問題の先行きを、今後も注視する必要がある。

倉田明子
 くらた・あきこ 1976年、埼玉生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院准教授。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了、博士(学術)。学生時代に北京で1年、香港で3年を過ごす。愛猫家。専門は中国近代史(太平天国史、プロテスタント史、香港・華南地域研究)。

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