【夕暮れに、なお光あり】 後悔しないために 島 しづ子 2020年3月11日
よく失敗をする面白い神父がいた。同じ町のカトリック教会の神父だった。ある日、私がいたプロテスタント教会に訪ねてきて「核廃絶のために和尚と3人でピースキャラバンをしよう!」と誘ってくれた。3人と有志で広島・長崎の原爆の映像の上映会などを始めた。私が本を出した時は、お寺で出版記念会を開いてくれた。一緒に野宿労働者のための「いこいの家」の支援活動も続けた。時々会長としてあいさつ原稿を書いてくれた。が、「島先生、僕は何もできなくてごめんね」とよく言っていた。私は「何もしないで威張る人も多い中、神父は威張らないからいいですよ」と言ったものだ。他の言い方もあったはずだが、失敗ばかりする彼を軽視していたかもしれない。
ある時、神父が遠くの教区に行ってしまった。何もしないから、いなくても同じだと思っていたが、スタッフたちの元気がなくなってしまった。「これでいこいの家は終わりかなあ」と思っていたころ、神父が帰ってきた。スタッフが元気になりスタッフの数が増えた。なぜ?
娘の記念会の司式では、「島しづ子の霊に~~」と故人の名前を間違えた。知人の葬儀ミサの時、名前を間違えないようにと案じていたら、やっぱり間違えた。ある秋の日に神父の訃報が他の神父からあった。号泣し、次の人に伝えるとその人も号泣。「えっ! こんなに愛し、愛されていたの?」と思った。
神父の死後、神父のかつての教会の信徒たちは「U神父に自分の葬式をしてもらいたかった」と語った。慕われた神父の実像を考える。私自身が娘の記念会をお願いした時の心境も振り返る。「僕でいいの?」と言いながら喜んで助けてくれた。偉ぶらない。失敗を隠さない。
「神父らしくない神父」と言われたU神父。「神父らしさって何だろう?」私自身も「牧師らしさ」というわけの分からないものに振り回されてきた。誰にとっても自分にないものを求められるのは暴力を受けるようなものだと思う。教会では時々、権威主義的なあり方を求められる。神父は権威主義とは無縁だった。弱さを隠すことなくひとりの人間として生きた神父。周囲は神父を見守りながら慕い通した。活動も楽しかったけれど、神父になったきっかけや内的なことを話し合いたかったと後悔している。老いの日々は友と語り合うことを大事にしよう。
「公正を水のように 正義を大河のように 尽きることなく流れさせよ」(アモス書5:24)
しま・しづこ 1948年長野県生まれ。農村伝道神学校卒業。2009年度愛知県弁護士会人権賞受賞。日本基督教団名古屋堀川伝道所牧師。NPO愛実の会(障がい者通所施設)理事長。(社)さふらん会理事長。著書に『あたたかいまなざし――イエスに出会った女性達』『イエスのまなざし――福音は地の果てまで』『尊敬のまなざし』(いずれも燦葉出版社)。