差別に抗う黒人神学の闘い ジェイムズ・コーンを読む意義 『誰にも言わないと言ったけれど』訳者 榎本 空さんインタビュー 2020年6月21日

 米中西部ミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警官に首を押さえつけられて死亡した事件をめぐり、警察の暴力と差別構造に抗議するデモが5月末から6月にかけて全米に拡大した。トランプ大統領が1日夜、ホワイトハウスそばのセント・ジョーンズ教会(聖公会)前で聖書を掲げ写真撮影に臨んだことを受け、ワシントン教区のマリアン・ブッド主教をはじめ多くの聖職者が、聖書を「小道具」に利用したと強く反発した。

 「黒人解放の神学」の提唱者であるジェイムズ・H・コーン(アフリカン・メソジスト監督教会牧師、ユニオン神学校教授)に師事し、遺作となった自伝『誰にも言わないと言ったけれど』(新教出版社)の翻訳を手掛けた榎本空(そら)さんに、改めて今、黒人神学を学ぶ意義について話を聞いた。

〝キング牧師もマルコムXも〟
アップデートされてきた抵抗の仕方

――榎本さんがお住まいの地域では、抗議デモの現状はいかがでしょうか。

 私は東海岸南部のノースカロライナ州のチャペルヒルという大学街に住んでいるのですが、学生を中心とした平和的なデモが行われています。ここは留学生を含め多様な人種が混在していますが、一歩街を出ると黒人の割合が多い地域でもあります。

――コロナ禍によって潜在的にあった格差が浮き彫りになったとの報道もありますが。

 コロナ禍が始まった当初は、社会の変化に対する漫然とした期待がありました。しかし、コロナ禍が長引くにつれて明らかになったことは、結局ウイルスは平等ではないのでは、ということです。新型コロナウイルスによる死者には人種的な偏りがありますし、それは「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる労働従事者に有色人種が多いこと、医療へのアクセスの制限、貧困などの原因があります。そうした差別的な構造への憤りが、ジョージ・フロイドさんの死によって一気に噴き出たという側面はあると思います。

 もともとノースカロライナ州はトランプ大統領の支持者も比較的多かったのですが、今回は政権の対応に対する批判や警察組織の改革を迫る声も上がっていて、黒人だけでなくさまざまな人種の人々が賛同している状況です。

――トランプ大統領が教会前で写真撮影をしたことについて、キリスト教界からも批判の声が上が
りましたね。

 確かに反トランプの姿勢を明確にしているキリスト者も少なくありませんが、公民権運動の時のように教団組織が前面に出ている情勢とはやや異なります。「Black Lives Matter」運動*は、人種だけでなく、性的マイノリティの差別問題も射程に捉えているので、アメリカの保守的な教団は参加しにくいかもしれません。

 ただ、教会による人種差別への加担は今に始まったことではなく、週日は黒人を奴隷として酷使しながら日曜日には教会で天国について語るというようなキリスト教は、歴史上連綿と続いてきたわけです。ジェイムズ・コーンが闘ってきたのは、まさにこうした聖書や宗教の使い方だったんだ、と聖書を掲げるトランプ大統領の姿を見て、まざまざと突き付けられる思いがしました。私たちはトランプ大統領を例外的な存在としてではなく、むしろ神学や警察組織を含む諸制度が巧妙に構造化している白人優越主義的な部分を、彼が具体化していると見ることが必要ではないでしょうか。トランプ大統領は、そのような意味において典型的な存在なのです。

――抗議デモを機にキング牧師の言葉や活動が再注目されているようです。

 「Black Lives Matter」運動の中では、キング牧師は暗殺後、ミッキーマウス化されてしまった、人種的融和の象徴として時の政権によって利用されてしまったという認識があります。当時、キング牧師がリスクを冒してでも立ち上がったラディカルな部分を再評価するためにも、彼をどう記憶するか、何のために記憶するかが問われねばなりません。

 特に1963年以後、つまりワシントン行進以後のキング牧師が重要です。ベトナム戦争に反対し、貧困の問題に積極的に関わる中で、友人を含む多くの支持者がキング牧師から離れました。暗殺される1年前には「ベトナムを超えて」という素晴らしい演説がありますが、ほとんど忘れられています。やはり、コーンが主張したように、私たちはキング牧師を語る際、マルコムXの怒りも常に覚えておかなければならないのです。

 オバマ大統領に対しても批判的な声があります。「10インチ刺さったナイフを6インチまで引き抜いたからといって、それを進歩と呼ぶのか」というマルコムXの言葉がよく引用されますが、結局、警察による暴力も格差の問題も十分に改善はされませんでした。それだけに「エスタブリッシュメント」と呼ばれる政府の中枢に対する失望は大きかったと思います。今回も反トランプ票としてバイデン氏が支持率を伸ばしていますが、結局、中道的な政策――それは多くの有色人種にとって悪夢なのですが――に落ち着いてしまうことを危惧しています。

――公民権運動の時代と比べて何か変わったのでしょうか?

 黒人の苦しみや常に死の脅威にさらされているという感覚は、奴隷制の時代から変わっていないと思います。もちろんそれに対する抵抗も。ただ、「Black Lives Matter」運動には、男性指導者によるトップダウンの運動やピラミッド型の組織では持続性に欠け、運動内部のマイノリティーを排除してしまうという公民権運動の反省も生かされており、意識的に女性やLGBTQの方々も組織の中心に参加し、草の根の運動をそれぞれの場に分散させるという手法をとっています。抵抗の仕方は少しずつアップデートされていると思います。

――『誰にも言わないと言ったけれど』の翻訳に着手した経緯を教えてください。

 ジェイムズ・コーンには、指導教授として師事した期間も含め最晩年の2年ほど教えを受けました。コーンが亡くなった2018年、叔母にあたる榎本てる子(関西学院大学准教授)も召され、途方に暮れていたころに同書が出ることを知り、他にもふさわしい方がいらっしゃるだろうとは思いましたが、このタイミングでできるなら自分が訳したいと思い、新教出版社に相談したのが発端です。期せずしてこういう時期に訳出できたことは意義があると思いますし、コーンからも黒人の困難な現実を改めて突きつけられている気がします。

 コーンは本書で「Black Lives Matter」運動を、現在のアメリカの希望と呼んでいます。同時に、運動の創始者の1人であるオーパル・トメティなどが指摘しているように、コーンの神学をはじめとする黒人神学は、まさに現在声を上げている人々の間で読まれています。それは、コーンの神学が、人種差別と闘っていく上での霊的な基盤の一つとなっているからではないでしょうか。

 差別構造と闘うには、社会の批判的な分析が必要不可欠ですが、それだけでは十分ではなく、真理を語るための勇気が必要になります。もちろんここで言う真理の条件とは、コーネル・ウェスト教授が本書の序文でも述べているように、苦しみが言葉を発するのを助けることなのですが。霊性とは、まさにそのような勇気を備えるもので、コーンの神学が強調したことです。本書からは、そうしたメッセージを受け取ることができると思います。

――アジア人差別を実感することはありますか?

 普段はあまり感じなかったのですが、コロナ禍以後はアジア人に対する見方が厳しくなったと思います。子連れで買い物に行くと声をかけられることも頻繁にあったのですが、最近は避けられていると感じることが増えました。直接殴られたり、暴言を吐かれたりということはありませんが、差別される側だったんだなと。同時に、治安が悪化してきて人通りも少なくなってきた際、警察のパトロールを増やしてくれないかと学校側に訴えたことがありました。でもよく考えれば、黒人の側からすれば警察は必ずしも彼らを守ってくれる存在ではないわけで、差別される側にも差別する側にも容易になり得るという複雑さを痛感しました。

――日本社会ではリアルに人種差別を理解することが難しい側面もあると思います。

 ジェイムズ・コーンやコーネル・ウェストといった黒人神学者から黒人の歴史を学ぶ中で、私が思い起こさざるを得なかったのは沖縄、特に私が育った伊江島という離島の、阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さん(反戦地主)を中心とした非暴力の反基地土地闘争の歴史です。日本にもやはり差別の構造が存在しますし、その中で闘う人々の伝統があります。沖縄という地は、その一つでしょう。

 差別とはそれぞれの場と時間に固有のものですが、その苦しみの中で自らの人間性を求めて闘っていった人々が育んだ言葉、霊性というものは、時間や場所を超えて響き合うと信じています。コーンのゼミで阿波根さんの言葉を紹介した時、一緒に授業を受けていた黒人学生が口々に「アーメン」と言っていたことが忘れられません。同じように、コーンの言葉に「アーメン」とつぶやいてしまいたくなるような方に、本書が届くことを願っています。特に、コロナ禍にあって、冷笑的な態度とは対極にあるコーンの誠実で解放的な言葉は、クリスチャンであろうとなかろうと、多くの人々に届く可能性を持っていると思います。

 もちろん栗林輝夫先生の『荊冠の神学』や、近著では山下壮起先生の『ヒップホップ・レザレクション』(いずれも新教出版社)など、コーンの課題を日本の学問的な場において引き継いだ著作を忘れてはいけません。また、教会の現場においてコーンの神学を実践しておられる先生方を、私は深く尊敬しています。これらの試みを覚えつつ、本書が現在的な文脈の中で読まれ、またコーンの他の著作が読み直されるのなら、訳者としてこれ以上の喜びはありません。

――ありがとうございました。(聞き手 松谷信司)

「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」運動=2012年、フロリダ州で当時17歳だった黒人の少年トレイボン・マーティンが白人の自警団に射殺された事件に端を発する運動。「黒人の命は(も)大切」という意味のフレーズで、アフリカ系アメリカ人が差別されてきた歴史と抵抗への連帯を示している。

『誰にも言わないと言ったけれど――黒人神学と私』(新教出版社)=黒人解放の神学の泰斗、ジェイムズ・H・コーン(1938~2018年)の自伝。過酷な人種差別の経験、黒人学者としての使命と苦難、キング牧師やマルコムX、ジェイムズ・ボールドウィンら先人への思いまで、その人生のすべてを明かす最後の書。

【書評】 『誰にも言わないと言ったけれど――黒人神学と私』 ジェイムズ・H・コーン 著/榎本 空 訳

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