【東アジアのリアル】 「国家安全法」が突き付けた重い試練 倉田明子 2020年7月11日

 6月30日午前、中国の全人代(全国人民代表大会)常務委員会で「香港国家安全維持法(以下、国家安全法)」が可決された。同法は即日香港での公布手続きが取られ、同日夜11時に香港で施行された。法律制定の発表から施行まで、わずか1カ月あまりという異例のスピードで進められた国家安全法だが、その条文が明らかになったのは香港での施行と同時だった。内容を明らかにしないことで香港の人々に不安と恐怖感を与えるためだったのだろう。

 実際、これまで香港の抗議活動に関わってきた民主活動家、特に若者たちが受けたプレッシャーは大きかった。国家安全法が可決された、というニュースが流れると、ジョシュア・ウォン(黄之鋒)やアグネス・チョウ(周庭)ら、これまで海外に向けて香港への支援を訴えてきた若者が次々と所属政治団体からの脱退を表明した。そしてこの2人が属していたデモシスト(香港衆志)をはじめ、多くの政治団体も解散を発表する。条文の全容が分からない中、仲間に累が及ぶことや、過去の発言や活動に遡及(そきゅう)してこの法が適用されるかもしれないことを恐れてこうした行動が広がったものと思われる。

ジョシュア・ウォンのツイッター投稿(6月30日、日本時間21時ごろ)

 キリスト教界もこうした動きとは無縁ではなかった。香港バプテスト連合会の羅慶才牧師は、6月29日に同会のホームページの「会長の言葉」欄で、国家安全法は「一国二制度」を変質させ、香港の司法の独立や言論の自由を破壊する、と同法を厳しく批判した。しかし翌日同法が可決されると、この文章はホームページから削除される。報道によれば、29日に開催されたバプテスト連合会の特別理事会で、激しい議論の末、国家安全法に連合会として声明を発表するなどの「反応」を示すことが否決され、その際に「会長の言葉」についても削除を求める声が上がったのだという。バプテスト教会全体に累が及ぶことを避け、教育や慈善事業の継続に支障を来すことのないように、との配慮が働いたと考えられている。

 そして、公表された条文の内容は、過去に遡及しての適用はなかったものの、予想を超えて厳しい内容であった。すべての罪状について最高刑は終身刑とされる一方、罪とされる行為の範囲は広いが具体性には欠けている。例えば国家分裂、国家政権転覆については、「武力を使っても使わなくても罪に定められる」とあるが、それ以上の基準は示されていない。外国勢力と結託して国家安全に危害を加える行為については、例えば中国政府や香港政府への「憎悪をかきたてる」ことも罪とされる(なお、香港居民ではなくても、そして香港以外の場所にいても、この法律に抵触する行為は罪と定められるため、外国人が香港域外でこの法律に違反したと見なされれば、香港に行った際に身柄を拘束される可能性もある)。こうした曖昧な罪について、裁判の場で終身刑も含む量刑が定められるのである。場合によっては身柄が中国に送られることも明記されている。何が罪となり、どれくらいの量刑になるかが分からない不安が、香港がこれまで享受してきた自由を萎縮させてしまうことが懸念される。

 カトリック教会では、香港教区長の湯漢(トン・ホン)枢機卿が国家安全法の施行を前に、同法は信教の自由を脅かすものではないとの声明を発表したが、前教区長の陳日君枢機卿はこれに反論し、この法律が施行されれば香港の信教の自由を守ることはできなくなると警告した。

 プロテスタント信徒であるジョシュア・ウォンは、国家安全法施行の直前、ツイッターに英文の詩編23篇4節を投稿した。「たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める」

 国家安全法は香港の市民に、また教会に、重い試練を突き付けている。

施行翌日の7月1日に無許可で行われたデモで、現場に残された垂れ幕。「俺たちマジで香港がめちゃ好きなんだぜ」。重しとして聖書が置かれている(「立場新聞」のフェイスブックページより)。

倉田明子
 くらた・あきこ 1976年、埼玉生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院准教授。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了、博士(学術)。学生時代に北京で1年、香港で3年を過ごす。愛猫家。専門は中国近代史(太平天国史、プロテスタント史、香港・華南地域研究)。

緊急寄稿【東アジアのリアル】 香港の牧師・神学者らがバルメン宣言模した「香港2020福音宣言」を発表 松谷曄介 2020年6月25日

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