【訃報】 岡田武夫さん(カトリック名誉大司教) 2020年12月18日

 おかだ・たけお 12月18日、頸部(けいぶ)食道がんに伴う出血性ショックのため東京医科歯科大学付属病院で逝去。79歳。葬儀ミサは23日午前11時から東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会、東京都文京区関口3丁目16の15)で司祭団のみで行われる。ミサへの一般の参列はないが、映像が配信されるという。追悼ミサは来年1月19日午前11時から同大聖堂で行われ、献花には同日午後1~4時、誰でも訪れることができる。

 1941年、千葉県市原市生まれ。東京大学法学部卒業。大学在学中に日本基督教団(プロテスタント)の教会で洗礼を受けるが、63年クリスマスにカトリックに改宗(上智大学学生会館チャペル)。いったん就職するものの神学校に進み、73年に司祭叙階。船橋教会助任司祭、西千葉教会主任司祭代行を務めたのち、75~79年、ローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学に留学。帰国後、柏教会主任司祭、日本カトリック宣教研究所所長を歴任した後、91年、教皇ヨハネ・パウロ2世によりカトリック浦和教区(現在のさいたま教区)の司教に任命され、同年、司教叙階。

 2000年に白柳誠一大司教(のち枢機卿)の引退に伴って東京教区大司教として着座。13~18年、さいたま教区管理者も兼務した。17年、75歳定年のため東京大司教を引退し、今年6月まで本郷教会小教区管理者を務めた。その間、日本カトリック司教協議会会長、副会長、ローマ教皇庁諸宗教対話評議会委員、ロゴス点字図書館理事長、東京カリタスの家理事長なども歴任した。

 著書に『イエスの福音への招き』(フリープレス)、『希望のしるし──旅路の支え、励まし、喜び』『信じる力──大切なあなたに贈ることば』『現代の荒れ野で──悩み迷うあなたとともに』(オリエンス宗教研究所)、『キリストの心を生きる宣教』『信仰の喜びを伝えるために』(女子パウロ会)、『死から命へ──体験のなかに福音の光を探し求めて』『宴への旅──体験と祭儀』『宴への招き──福音宣教と日本文化』(あかし書房)などがある。

 岡田大司教の後任である菊地功東京大司教は自身のブログでその経緯をつづっている。

 岡田大司教様は、今年の初め頃に喉(のど)に違和感を覚え、飲み込みに困難があったこともあり病院に行かれ検査したところ、食道にがんが見つかっていました。その後、基本的には住まいとする本郷教会司祭館に在宅のまま、化学療法や放射線治療を受けておられました。残念ながら、がんは進行しておりましたが、大司教様は精力的に文章を書かれ、ブログやFacebookで数日前まで発表されておりました。本日朝、体調不良を訴えられ、その後、自室で吐血されたため救急搬送され、そのまま搬送先の病院で帰天されました。

(クリスチャンプレス)

 訃報を受けて、教皇フランシスコと教皇庁(バチカン)福音宣教省が弔意を示した、と東京大司教区が明らかにした。バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は教皇からの弔意を伝え、「岡田大司教様の長年にわたる献身的な司祭職と司教職への感謝の祈りを込めて、教皇は、岡田大司教様の魂を救い主イエスのいつくしみ深い愛に委ねます。教皇は、復活の希望のうちに天に召された岡田大司教様を悼むすべての人々に、主の平和と慰めのしるしとして、心から使徒的祝福を送ります」と24日記した。

 バチカン福音宣教省長官のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿は、「岡田大司教様のご逝去に悲しんでおられる東京大司教区の司祭、修道者、信徒、そして岡田大司教様の親族の皆様に、私たちの哀悼の意をお伝えください」と19日述べた。(CJC)

平和を目標に宗教者は手を携えて 岡田武夫氏と庭野光祥氏が対談 2016年12月3日

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