【映画評】 躊躇と遂行 『ヒトラーのための虐殺会議』 2023年1月19日

1942年1月20日、ベルリン郊外のヴァンゼー湖畔にたつ瀟洒な邸宅にて、「ユダヤ人問題の最終解決」を議題とする秘密会議が開かれる。のちヴァンゼー会議と呼ばれるこの場では、ナチス親衛隊(SS)と内務省、外務省や国防軍の高官らが集い、すでに打ち出されていたゲーリング元帥の大方針のもと当時の欧州における推計1100万人に及ぶユダヤ人すべての排除を指す「最終解決」を進めるため、実務レベルの次官級協議が催された。
湖畔の邸宅は現存し、現地にてロケ撮影された映画は会議の始めから終わりまでを和やかな雰囲気のもと再現する。中途の休憩時にはサロンで軽食も振る舞われ、気軽な会話のなかで出世にまつわる個々の願望や私生活の関心事が露わにされる。省庁間や国防軍高官らのつばぜり合い、〝処理〟コストの多寡やユダヤ人の定義などをめぐる議論はあまりにも淡々と為されゆく。会議が終わると挨拶もそこそこに各々次の仕事へと散る光景からは、これが600万人の犠牲を生んだ人類史上稀にみる虐殺計画の主な起点となったとはおよそ信じがたい。
会議を主催し、計画全体の主導権掌握を画策するSS大将ラインハルト・ハイドリヒが垣間見せる野心や、参加者からの疑問に具体的な数値と方策の提案で応じ続けるアドルフ・アイヒマンを始め、出席者15名には各々個性的な人物造形が施され、彼らの丁々発止の議論はそれだけで見応えがある。なかでも印象的なのは、当時30代後半のハイドリヒやアイヒマンを始め40歳前後が目立つなか、数少ない50代の参加者である首相官房局長フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリツィンガーが躊躇をみせる場面である。
牧師の息子でもあるクリツィンガーは、計画全体に対し幾度も慎重に疑義を呈する。前年9月にウクライナの峡谷バビ・ヤールで行われた3万3000に及ぶユダヤ人虐殺に36時間を要した事例を挙げ1100万人〝処理〟の非現実性を訴え、その倫理性を問いさえする。しかしこの問いはSS高官らにより「人道主義など寝ぼけたことを」と一蹴される。その是非を「議論すること自体が驚き」であり、害なすユダヤ人を駆逐するのは同胞を守る我々の使命だとする東部占領地域省次官アルフレート・マイヤーの発言は、ほぼそのままSSの行動規範であった。
クリツィンガーがバビ・ヤールの虐殺を例にだすこの場面は、それが休憩時の会話であることや、当時としてはやや精確すぎるその口述描写などから映画独自の創作パートだと思われるが、その端的に要領を得た構成には唸らされる。また映画の冒頭部、出席者のなか一番格下であるアイヒマンが秘書の女性と会議室のテーブルを設え、次に彼ら直属の上官にあたるSS中将ハインリヒ・ミュラーが到着すると、席次を確認し手早く一部の名札を入れ換える。この冒頭5分の描写だけでも、出席者間の力関係や緊張が感覚される。
こうした本作のよく練られた構成には、実は前段がある。というのもヴァンゼー会議は、過去にもアメリカ資本によりコリン・ファースやケネス・ブラナーなど著名なハリウッド俳優陣の出演作として映画化(『謀議』“Conspiracy”1991年)されているからだ。本作『ヒトラーのための虐殺会議』には監督や製作陣、そして主要キャストも軒並みドイツ人により製作されたからこその、ハリウッド版を超えてみせるという強い覚悟と意欲が感じられる。これは映画製作において米国一強の構図が崩れつつある近年の傾向を反映するもので、昨年扱った事例としては『ミュンヘン:戦火燃ゆる前に』(上掲記事)や『チェルノブイリ1986』(下掲記事)などもこの潮流下で、当事国スタッフ主体により質実な作品に仕上げられている。
【映画評】 ルーシの呼び声(2)『チェルノブイリ1986』『インフル病みのペトロフ家』『ヘイ!ティーチャーズ!』『ドンバス』ほか 2022年5月20日
さて強い共属意識由来の自己正当化を特徴とするSSの行動規範には、18世紀に端緒をもつドイツ義勇軍の精神的伝統からの影響が極めて色濃い。たとえばアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスは、鉤十字の由来ともなったベルリンのロスバッハ義勇軍に属した。彼ら義勇軍が示した弑逆性の底に、ヘスはその手記で遠く近世以前のチュートン騎士団に連なる、ファナティックな宗教的熱情のほとばしりをみる。
その熱は、目的達成のため組織的に効率を極めるヴァンゼー会議や、脚本の素材となった議事録の作成者であるアイヒマンがもつ怜悧さと一見真逆なようでいながら、その実『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でマックス・ヴェーバーが明かしたように、信念に基づく昂揚こそ冷酷な計算高さを貫徹させる。そしてこのコロナ禍下インターネット上やオフィスビルの会議室において、想像力の翼を十全と羽ばたかせているとは言えない会議に明け暮れている私たちもまた彼らからそう遠くないことを、この映画はあまりにも穏やかに指し示す。そこがたいへんに恐ろしい。
(ライター 藤本徹)
『ヒトラーのための虐殺会議』 “Die Wannseekonferenz” “THE CONFERENCE”
公式サイト:https://klockworx-v.com/conference/
1月20日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
【参考文献】
ルドルフ・ヘス 『アウシュヴィッツ収容所』 片岡啓治訳 講談社学術文庫
【関連過去記事】
【本稿筆者による関連作品別ツイート】
『ヒトラーのための虐殺会議』🇩🇪
第2次大戦下、“ユダヤ人問題の最終解決”を議題に湖畔で催された秘密会議。
ナチス親衛隊(SS)大将ハイドリヒの野望、内務省/国防軍各高官の鍔迫り合い、“処理”コストやユダヤ人定義を巡る議論、を見事に回収しゆく有能官吏アイヒマン。その明晰さ、緻密さに言葉失う。 pic.twitter.com/EX4QdUAC6k
— pherim⚓ (@pherim) January 10, 2023
『ミュンヘン: 戦火燃ゆる前に』
ヒトラーとチェンバレン🇬🇧首相の秘書官になった親友同士が、ミュンヘン会談下に再会し各々第二次大戦の勃発回避へ挑む。
“俺たちは生きる時代を選べないが、どう生きるかは選べる”🔥
ジョージ・マッケイ他、とりわけナチス側演じる🇩🇪名優陣の魂籠る競演に痺れ通し。 pic.twitter.com/VVlYVGOcts
— pherim⚓ (@pherim) August 3, 2022
『チェルノブイリ1986』🇷🇺
キエフ/キーウへの転居当日に原子炉爆発を目撃した消防士の決断と愛。事故状況はもとより、死の街と化したプリピャチ住民の日常描写が胸を貫く。
HBO傑作『チェルノブイリ』を、再現性と緊迫度で堂々更新する意欲作。世界史的事件を135分へ落とし込む結晶化の手腕に唸る。 https://t.co/xyxOXXxK8L pic.twitter.com/q3or6lCMUv
— pherim⚓ (@pherim) April 8, 2022
“なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。私たちの視力も聴力もそれについていけない、私たちの語彙ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、それは見たり聞いたり触れたりするようにできている。そのどれも不可能 ”(アマプラにて1話公開中) pic.twitter.com/LTXPl25jQa
— pherim⚓ (@pherim) September 28, 2019
『ナチス第三の男』
ラインハルト・ハイドリヒによる、ヒトラーとヒムラーに次ぐ権勢を得るまでの階梯と、彼の暴虐を暗殺によってせき止めた若きチェコ人兵士達の勇壮。ローラン・ビネの原作「HHhH プラハ、1942年」を重厚に映画化。ナチス権力を象る内部儀式的な場面群の迫力ある再現に目を奪われる。 pic.twitter.com/8ie0ZF2PIv— pherim⚓ (@pherim) January 14, 2019
『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』
イスラエルで1961年に開かれたアイヒマン裁判の世界放送を実現させたテレビマン達の物語。絶滅収容所生存者の凄惨な証言とアイヒマンの動かぬ表情。脅迫と葛藤、《凡庸な悪》の相貌。4月23日公開。https://t.co/jp89DUWkui— pherim⚓ (@pherim) April 18, 2016
『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』
ナチス戦犯アイヒマンは南米で拘束、イスラエルで裁かれたが、その影で奮闘したドイツ人検事がいた。ナチスの罪を裁くことに消極的な'50年代西ドイツの社会描写が説得的。孤立と断行、その帰結。https://t.co/cqzgLqN3oU— pherim⚓ (@pherim) January 3, 2017
『ハンナ・アーレント』。アイヒマンに「凡庸な悪」をみたアーレントを、友や世間が追い詰める。糾弾する側の論理が今ひとつ描かれない不全感も。同監督の『ローザ・ルクセンブルク』同様、作品的に平板な分観ながらいろいろ考えられる余地があった。https://t.co/IEHqbguY31
— pherim⚓ (@pherim) June 5, 2014
『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』
人間は服従する。判断せず、意思を持たず、理性を拒む。大脳に巣食うこの回路を証したスタンレー・ミルグラムの電気ショック実験。博士の孤立心境に寄り添う演出の抑制。被験者キャストが豪華。https://t.co/3vTBozNNbN— pherim⚓ (@pherim) February 19, 2017
©2021 Constantin Television GmbH, ZDF