【映画評】 ルーシの呼び声(2)『チェルノブイリ1986』『インフル病みのペトロフ家』『ヘイ!ティーチャーズ!』『ドンバス』ほか 2022年5月20日

 しかし同時に、私は繰り返し伝えたいのです。ウクライナを攻撃したのはプーシキンやトルストイやチャイコフスキーやブロツキーではないということです。ロシア人である私が、今起きていることへの責任を免れるとは思いませんが、それでもロシア文化の排除は受け入れ難いものです。

 プーチン政権に対し従来より批判的であったロシア人劇作家・映画監督のキリル・セレブレンニコフが、当局による自宅軟禁下で撮った新作『インフル病みのペトロフ家』が、いま日本全国の映画館で順次公開されている。上記引用文は、同作の日本公開にあたりセレブレンニコフが避難先のベルリンから日本の観客へ宛てたメッセージの一部(*1)である。 「ロシアの砲弾は、ウクライナの街々を破壊し、市民たちを殺しているのです」と述べて始まる一文は、簡潔にして痛切な憤りと苦境の表明となっている。

 今年2月、ロシア映画の排除を唱えるヨーロッパ映画アカデミーからの脱会を表明したウクライナ人映画監督セルゲイ・ロズニツァは、翌3月ウクライナ映画アカデミーから除名された。同監督による『ドンバス』のロシア系映画祭への出品が除名理由であるという。ロシアが関わるというだけで中止となる舞台公演、延期となる映画公開の事例は日本でもこの数ヶ月枚挙にいとまがない。しかし、クリミア紛争以来プーチン政権の起こした戦争へ一貫して批判的な両監督の表現に対してさえこのような敵視を差し向ける風潮は、単にロシア政府が押し進める分断を強化するのみであり愚かしい。本稿は、こうした風潮へ抗う立場からロシア/ウクライナ映画を分け隔てなく扱うものである。心ないクレームに折れることなく、ここに扱う作品群を上映しつづける映画館や映画配給の現場に立つ人々へ、まずはエールを送りたい。

 なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。私たちの視力も聴力もそれについていけない、私たちの語彙ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、それは見たり聞いたり触れたりするようにできている。そのどれも不可能。なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。(略)この人々は最初に体験したのです。私たちがうすうす気づきはじめたばかりのことを。みんなにとってまだまだ謎であることを。

(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ 『チェルノブイリの祈り』)

 『チェルノブイリ1986』は、キエフ/キーウ(*2)への転居当日に原子炉爆発を目撃した消防士を主人公とする。事故の進展描写はもとより、一瞬にして死の街と化したプリピャチ住民の日常描写が胸を貫く。当時プリピャチはチェルノブイリ原子力発電所を支える新興都市であり、アフガニスタン紛争と経済逼迫を抱え崩壊目前のソ連全体のなかにあって一際若い世代の住人たちの夢と活気に溢れていた。本作は、若い消防士の男と美容師の女を主人公とすることで、将来への希望に満ちた当時の市民感情を質実に描きだしている。またそれとは対極的に地獄の様相を呈する事故現場、とりわけただそこに数分間立つだけで徐々に狂いだしていく作業員や救急隊員たちの描写は凄絶というしかない。

 このようにして世界史的事件を135分へ落とし込む結晶化の手腕に唸らされる本作の製作国はロシアであり、プロデューサーは1961年生まれのウクライナ人アレクサンドル・ロドニャンスキーだ。キエフ国立映画演劇テレビ大学を卒業した当時20代の半ばのロドニャンスキーは、原発事故発生の5日後に撮影のため現場入りした履歴をもつ。米国の映像製作会社HBOによる2019年の傑作『チェルノブイリ』を、再現性と緊迫度で更新する意欲作が2年(*3)を待たずロシアから登場したことには驚かされる。豊富な資金力をもつ米国作品に、ロシア/ウクライナ映画業界人が当事者意識を刺激されたことは想像に難くない。

 『インフル病みのペトロフ家』は、ウラル東麓の都市エカテリンブルクの夜を舞台とし、流感に罹患した男の放浪と、憤怒の焔を宿す女の咆哮とを描く。熱に浮かされるような混沌として難解さを厭わない衒学的な語り口はドストエフスキー小説の沸騰を想わせ、夢幻の時空をわたり歩くかのような映像は畸形的で譫妄的、そして同時に祝祭的なムードに充ちている。ウイルスに感染した主人公が混雑する雑踏を歩き、マスクなしの乗客で満員のバスに乗り大声で会話する姿は、Covid-19に支配された日常へ馴れきった観る者の感覚をただでさえ逆撫でするうえ、ソ連期の団地フルシチョフカ建築や図書館の内部再現は繊細緻密だ。それら過ぎ去った時間への郷愁と怨恨との隙間へ覗くロシア宇宙主義思想の残滓とも言える、あまりにもロシア的な耽美と狂騒に眩暈する。

 本作監督のキリル・セレブレンニコフは、従来より反体制的姿勢を露わにするロシア人芸術家として知られ、2017年には演劇予算の不正流用を口実に起訴、その後自宅軟禁状態に置かれた。本作脚本は軟禁下に書かれたが、映画に登場するシークエンスの多くが夜であるのも、当局の目を逃れるためであったという。また本作中盤には、極めて野心的な18分に及ぶノーカットの移動場面が登場する。このシークエンスを牽引するのは主人公ペトロフの幼馴染で自殺願望をもつ作家セリョージャだが、この作家を演じたのはウクライナ人の前衛的ミュージシャン、イワン・ドールンだ。彼の複数にわたる大手SNSアカウントは、現在いずれも青と黄のウクライナ国旗を地とするアイコンへ切り替わり、セレブレンニコフ監督やペトロフ役セミョーン・セルジン、ペトロフの妻ペトロワ役チュルパン・ハマートワらと連名で逸早く反戦声明(*4)を発してもいる。

 『ヘイ!ティーチャーズ!』は、モスクワから地方の学校へ赴任した若者2人を追うドキュメンタリーだ。パンクな髪をグレイに染め直すエカテリーナと、自主性を重んじるワシリイの、ともに学校側の旧弊と生徒の無反応との狭間で苦しむ姿が、現代ロシアの世代格差と地方格差とを如実に象徴する。2人は主体性や人権の重要さ、フェミニズムやロシアの政治課題について意識喚起を促すが、生徒の反応はいたって鈍く、それどころか教頭からはその慣習へ従わない態度を理由に半端者扱いされる。

 教室内では悪ふざけして新任教師をしばしば茶化すガキ番長のような少年が、校庭での式典の際ロシア国旗が掲げられる脇で見せる硬直した表情は鋭く示唆的だ。この地方都市では、公教育とはすなわち近代的産業社会に適応した従順な歯車の生産しか意味しない。エカテリーナは生徒が本をまったく読まないことを嘆き、親たちの集会で共に本を読む習慣づけを薦める。しかしカメラに映し出される親たちの無関心な表情は、この新任教師を冷たく突き放す。地方の労働者身分を生きてきた彼らと、エカテリーナとの間には不可視の壁がそびえている。

 今日の情勢下で『ヘイ!ティーチャーズ!』にふれる多くの観客は、そこに描かれる「学校」が象徴する権威主義的な旧弊に、おのずと前時代的領土侵犯を平然と為すプーチン政権の姿勢を重ねるだろう。映画では描かれることのない新任教師エカテリーナの表情、プーチンの侵攻に対して違和を覚える今日の表情さえ想像するだろう。ソ連の亡霊が復活したかのような現ロシア政府による情報統制の強化と反政府運動の取り締まりにも関わらず、各地のロシア市民が明確に反戦の声を挙げ拘束され続けていることを、富裕層や知識人層がどうにかロシア国内から脱出し続けていることを、私たちはSNSなどを通じて日常的かつ同時的に知ることができている。現在のロシアで国営放送によるフェイクニュースを含む“大本営発表”を信じる層/世代と、当局による遮断を迂回する形で国外の情報に接し続けている層とのあいだに深刻なリテラシー格差(≒デジタルデバイド)が生じていることも伝えられる。

 そうしたことに思い巡らせながら本作を観ているあいだ、想起された先行ロシア語映画が2作品あった。『LETO -レト』と『ドンバス』た。

 『インフル病みのペトロフ家』のセレブレンニコフ監督による前作『LETO -レト』(2018年)は、ベルリンの壁崩壊前1980年代のレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)で、政府の目を盗み西側音楽であるロックに青春の炎を燃やした若者たちを描く。『ヘイ!ティーチャーズ!』主人公の新任教師であるエカテリーナの溌溂とした表情やモスクワでの活発な様子は、世代こそ異なりながらセレブレンニコフが描いた上世代の反骨精神によく通じるものを感じさせる。密かに西側の文化を受け入れていたソ連期の若者たちに比べ、現代を生きる二人の新任教師はインターネットを通じ遥かによく最新の文化思潮に触れており、上司が説く古臭いロシア官僚主義を今さら受け入れられず苦悩する。ふたりは今日のウクライナ侵攻に何を感じているだろう。『インフル病みのペトロフ家』の出演者たちとは異なり、まさにロシア的近代の結晶たる旧タイプの学校を職場とする彼女らが、その胸中をおおやけにすることは恐らくない。その行く末に幸あれと願うばかりだ。

 『ドンバス』は、今日へとつづく2014年のウクライナ東部で起きた軍事衝突を描く。ロシア側フェイクニュース撮影現場に始まる本作の、紛争下ウクライナで製作された解像度の高さには圧倒される。街頭で緊縛された捕虜への一般市民による私刑、湿気の充溢した地下避難シェルターに渦巻く怨嗟、非常事態下で催される結婚式、等々。今年のロシア軍によるウクライナ侵攻以降、報道を通じ世界的にもよく知られたそれらの光景を先行して描きつつ、政治家と宗教団体代表との賄賂授受や、占領自治政府による一般車両の接収などカメラはより微細にわたって戦地の今へ肉薄する。そのようにしてハイブリッド戦争の諸相をクリミア以降の日常景として活写する、本作監督セルゲイ・ロズニツァの胆力には戦慄を禁じえない。

【映画評】 〝群衆〟の鮮烈、沈黙とそのリアル。 セルゲイ・ロズニツァ《群衆》ドキュメンタリー3選『国葬』『粛清裁判』『アウステルリッツ』 2020年11月21日

 セルゲイ・ロズニツァをめぐっては以前にも本紙において、そのドキュメンタリー作品3本を扱った。スターリンの死やソ連期の捏造裁判、ザクセンハウゼン強制収容所を扱ったそれらのドキュメンタリーが徹底して映像素材と撮影対象に向き合う姿勢で世界を驚かせたのとは対照的に、本作では戦災によりかき乱された日常生活の混沌と狂乱とを、苛烈な風刺と批判を込め劇映画として集約的に再現描写する。

 冒頭にも述べたようにロズニツァはこの3月、ヨーロッパ映画アカデミーによるロシア映画の排除に対する彼の抗議を事由とし、母国ウクライナの映画アカデミーからの除名が報道されたばかりだ。一方的にウクライナの側へ立つことの是非を仮に脇へ置いたとしても、このような“ロシア”排除の姿勢が分断を促進する点でプーチン政権と合致してしまう皮肉こそを、ベラルーシ生まれウクライナ育ちでロシア語を母語とするロズニツァは炙りだしてみせたともいえよう。

 ウクライナを映しだすロズニツァ映画としては、この地におけるユダヤ人大量虐殺へ焦点化した2021年の新作『バビヤール』(Babi Yar. Context)の日本公開も今秋に控えている。今冬には、ソ連解体期のリトアニア独立運動をテーマとする『ミスター・ランズベルギス』(Mr. Landsbergis)も日本公開となる。この連なりのみをみても、いまこの瞬間だけしか意識へ入れないメディア思潮の狭量さとは無縁の時間軸と視野とを以てロズニツァが状況と格闘していることは明らかだ。

 先月7日、乗客からの「不快だ」とのクレームを受けたJR恵比寿駅で、ロシア語の乗り換え標識が1週間ほどにわたって覆いで隠される事案が発生した。ロシア語すなわちキリル文字表記はウクライナ人やブルガリア人等々にとっても便利であることすら、恐らく当のクレーム主やJR担当者には想像の埒外なのだろう。表面的な情報のみにより一面的な判断を下すそのような無知の恥を進んで晒すことも可能な日本社会ではある。だが今この瞬間にも様々な事象に違和感を覚えつつも日常を暮らす、『ヘイ!ティーチャーズ!』が描くようなロシアの市井の人々に想像の網目を広げ、反戦の声を挙げる『インフル病みのペトロフ家』のロシア人関係者らの心情へ寄り添う試みもまた可能ではある。コロナ禍に戦災が加わり移動への困難が解消されないこの情勢下にあっても、共感と想像力の機縁として映画はなお有効だ。観客席の暗がりで過ごすその数時間こそが、いかに彼らへ励ましと力を与え、孤立から救う手立てとなり得るか。彼ら、すなわちセレブレンニコフやロズニツァ、無数のエカテリーナやワシリイたちへ。

 兵士がネコを追いかけたのを覚えているんだ。ネコのうえで線量計が動いていた。機関銃のように、ガリガリ、ガリガリと。ネコのあとを男の子と女の子が走っていた。この子たちのネコなんだ。男の子は黙っていたけど、女の子はさけんでいた。「わたすもんですか!」。走りながら、さけんでいた。「ネコちゃん、早く、逃げて、逃げて!」。兵士は大きなビニール袋を持っていた。

(アレクシエーヴィッチ 『チェルノブイリの祈り 未来の物語』)

(ライター 藤本 徹)

『チェルノブイリ1986』 “Чернобыль” “Chernobyl” “Chernobyl: Abyss”
公式サイト:https://chernobyl1986-movie.com/
5月6日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー

『インフル病みのペトロフ家』 “Петро́вы в гри́ппе” “Petrov’s Flu”
公式サイト:https://www.moviola.jp/petrovsflu/
4月23日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

『ヘイ!ティーチャーズ!』 “Катя и Вася идут в школу” “Hey! Teachers!”
公式サイト:http://heyteachersjapan.com/
6月25日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

『ドンバス』 “Донбасс” “Donbass”
公式サイト:https://www.sunny-film.com/donbass
5月21日(土)より全国順次公開

 予告:次稿以降では、6月25日公開のウクライナ映画『アトランティス』『リフレクション』、7月15日公開のロシア映画『戦争と女の顔』とフィンランド映画『魂のまなざし』、上映特集《ウクライナの大地から》(シネマヴェーラ渋谷6月4~17日)ほかを扱う予定です。

*1 セレブレンニコフによるメッセージ全文(映画配給会社ムヴィオラnote内):https://note.com/moviola/n/nbbf10737bb6c

*2 日本の国内メディアではキエフの片仮名表記はキーウへ統一的に変更されたものの、ハリコフ/ハルキウなど他都市については乱れており、チェルノブイリが「政治的に正しく」チョルノービリと呼ばれることは稀な状況となっている。ここではおおむね日本語題および本編内での用語に従った。ちなみに 『チェルノブイリ1986』はロシア映画であり主人公はロシア語話者であるため、本編内では明確に「キエフ」と発音されている。言うまでもなくウクライナ人でもロシア語話者にとってキエフはキエフのままである。

*3 HBO『チェルノブイリ』の放送開始日は2019年5月6日、『チェルノブイリ1986』のロシア本国公開日は2021年4月15日。

*4 『インフル病みのペトロフ家』作家セリョージャ役イワン・ドールンによる反戦表明動画:https://www.instagram.com/p/CafQWAXsPNE

【主要参考引用文献】

スベトラーナ・アレクシエービッチ 『チェルノブイリの祈り 未来の物語』 松本妙子訳 岩波現代文庫 2011

【関連過去記事】

【映画評】 ルーシの呼び声(1)『ひまわり』『親愛なる同志たちへ』『金の糸』『潜水艦クルスクの生存者たち』 2022年4月16日

【本稿筆者による言及作品別ツイート】

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