【映画】 相対化される危機 第38回東京国際映画祭/第26回東京フィルメックス 2025年12月5日

東京都心ではこの秋、東京国際映画祭と東京フィルメックスが例年通り開催された。コロナ禍中には目まぐるしい変化に晒された両映画祭も、各々に落ち着きを取り戻してきた感がある。昨年本紙では両映画祭をめぐり「《母と娘》に映り込むもの」という通底テーマを見いだしたが、今年も女性の内面や関係性に焦点化した作品は変わらず多く、女性監督の顔ぶれも多彩となった。これとはべつに、今年とくに感じられたのは、目前で起きている事象をいまこの瞬間から切り離し、距離を置いて見つめ直そうとする作品が目立ったことだ。
例えば『パレスチナ36』は、1936年のパレスチナでユダヤ人の大量入植を受け、互いに宥和的であった人々の心情から民族的アイデンティティが芽生えだすさまを描く。本作が、今日停戦が宣言されながらも小規模な戦闘も報じられるガザの紛争を踏まえて制作されたことは言うまでもない。その緻密にして明解な秀逸構成は、1948年のイスラエル建国(ナクバ=大災厄)を超え現代史全体へ時間軸を十全と拡げており、今年の東京国際映画祭コンペティション部門グランプリ獲得も納得の充実作と言える。
時間軸の拡張という点では、実力派の監督たちが今回は揃って歴史劇を送り込んできたことも印象深い。常連であるラヴ・ディアス監督作『マゼラン』は文字通りに16世紀の世界周航を描き、アレハンドロ・アメナーバル『囚われ人』は16世紀末アルジェで虜囚生活を送るセルバンテスを主人公に据えた。香港の名匠ピーター・チャンの新作『She has No Name』では、日帝時代から国共内戦へ至る上海で夫殺しの容疑がかかる主婦をチャン・ツィイーが熱演する。『トンネル:暗闇の中の太陽』は、ベトナム戦争末期のベトコンによるトンネル網での戦闘をこのうえなく仔細に再現する。
列強の植民地主義から帝国主義、東西冷戦を背景とするこれらの題材がいま選ばれるのは無論、覇権国の野心がむき出しとなったコロナ禍以降の世界情勢を投影するものである。そしてこれらが今日現在の戦場や渦中の問題への焦点化といった直接的なアプローチを避ける趨勢には、誰の予想にも反して長引くロシア―ウクライナ戦争を始めとした、直の訴求が何の成果も挙げない事態への戸惑いを超え、より広い射程で見つめ直す必要とでも言うべき共通認識が感覚される。
ジョージア映画『枯れ葉』は古い携帯電話のカメラで全編が撮影され、その粗い画像は個別の差異や現在と過去の境界をも曖昧にする。一方アメリカ映画『アトロピア』は、海外派兵を念頭に米国内で再現された架空のコーカサス都市を精細に撮る。そこで働く移民たちや訓練する米兵たちのリアリティは、それ自体が未来の戦争を前提としており現実感を欠いている。
パリに暮らすイラン人女性監督が、ガザで暮らす24歳女性ファトマとのビデオ通話を編集した『手に魂を込め、歩いてみれば』は、一見これらとは対極的な内容をもつ。瓦礫の町で生き場をなくしながらも、諦めと無力感を乗り越えたファトマの笑顔がとびきりに明るい。しかし本作のカンヌ上映が決定した翌日、ファトマはイスラエル軍のピンポイント爆撃を受け死亡した。この映画撮影がなければ彼女は死んでいないのか。仮にそうだとして映画が彼女を殺したのか。安易な評価を斥け、真に多くを考えさせるとも言える本作もまた、眼前する現実を対象化する。答えは観客自身に問われている。
*『手に魂を込め、歩いてみれば』は、12月5日(金)より全国順次公開。
(ライター 藤本徹)
©2025 TIFF

















