【号外:宗教リテラシー向上委員会】 大統領を暗殺する信仰? 波勢邦生 2026年4月27日

米首都ワシントン中心部のホテルで4月25日に開催されていたホワイトハウス記者協会(WHCA)主催の夕食会の席上、発砲事件が発生し、シークレットサービス(大統領警護隊)により男が拘束された。ドナルド・トランプ大統領ら出席者にけがはなかった。大国アメリカの政治的分断と暴力の問題が露わになっている。
俗流理解「トランプ政権を支持する福音派」について書いていたら、上記のニュースが飛び込んできた。米国の報道各社は、こぞって容疑者コール・アレンについて書き立てている。NYポストなどによれば、容疑者が犯行直前に家族らへ宛てた犯行声明が公開されており、議論になっている。
今回、特に同文書において、キリスト教との関わりで興味を引く部分があった。読む限り、容疑者は穏健で保守的なプロテスタント教会の関係者である。宗教改革者カルヴァンの伝統を組む改革派/長老主義の教会役員を父に持ち、容疑者自身もまた大学生時代は毎週教会の礼拝に出席し、キリスト教の学内サークル活動にも熱心な人物だったようだ。犯行声明には、質疑応答形式で5点、その逡巡と確信が綴られている。犯行への異議・反論を前提しながら、容疑者は聖書を2カ所で引用している。抄訳して紹介しよう。
聖書の一節「右の頬を打たれたら左を向けよ」という、暴力への抵抗としての無抵抗と解釈される部分を引用し、彼は自問自答する。「クリスチャンとしてもう一方の頰を差し出さなければならない」――これは自分が被害を受けた場合に限ってはその通りであるが、他者が抑圧されているときには、その暴力を止めなくてはならない、何もしないことは暴力の共犯者だ(大意)と。
また福音書でイエスが人々と問答した場面から「カエサルのものはカエサルに捧げよ」と引用している。国家への義務と神への忠誠は両立し得ると解釈される一句だ。容疑者は、これを神の言葉に反する違法な命令に従う必要はないと解釈したようだ。つまり現行政権の法令・施策は、神の命令に違反しているゆえに従う必要はない、そこから論理は跳躍・飛躍して、現職大統領を排除しても構わないと解釈し、行動に移したのではないか。
犯行声明の末尾には「家族と教会における家族に感謝します」ともあった。これは保守的で伝統的な教会の特徴だ。同信の人々である教会員を「神の家族」とみなし、兄弟姉妹として扱う習慣がある。文面全体に容疑者のアメリカの教会らしい信仰と習慣がにじみ出ている。
保守的で穏健なプロテスタント教会の信者による、現役の大統領暗殺未遂。これをどう考えるべきか。信仰と暗殺未遂を安易に結びつけるべきではない。しかし、多くのクリスチャンが思い浮かべるだろう。
第二次世界大戦中、ヒトラー暗殺計画に加担して処刑された牧師、ディートリヒ・ボンヘッファーがいた。または亡命する前に、抵抗し革命する権利があると考えたジョン・ノックスら、プロテスタント改革派の伝統だ。厳密な比較ではない。つい想起させられるのだ。なぜならキリスト教の歴史において、「教会と国家」という主題は、いつも大きな問題だからだ。
歴史をふりかえれば、キリスト教信仰のゆえにローマ帝国に逆らわず殉教を選んだ者もあれば、信仰ゆえに新たな政府と法、人権概念を確立しようとした者もある。一般に飲酒運転の責任は運転手であって、道路公団でも自動車メーカーでも酒造の会社でもない。米国の保守的で穏健なプロテスタント教会全体と信者一個人の行動を十把一絡げで考えるべきではないだろう。
しかし同時に考える。容疑者は、名門大学出身でNASAの研究フェローでもあり、通っていたとされる教会や文面から察するに、彼はおそらく篤信のキリスト教信者である。熱心さにおいては、いわゆるアメリカの福音派/ペンテコステ派と遜色ない。
また知的エリートだが、急進的でリベラルな社会派でもなく、伝統的で穏健な良識あるプロテスタント教会に関わる人物である。であるなら、当然、容疑者はボンヘッファーやジョン・ノックスらの歴史的事例とその思想について知っていたと、ぼくは考える。つまり独裁者は暗殺して然るべき、神に従わぬ政府は覆してもよい…等々。無論、犯行動機の解明はFBIの仕事だ。あくまで私見である。
トランプ政権の支持層には、たしかに伝統的で保守的なキリスト教会がある。しかし、同じ伝統的で保守的な教会の関係者がトランプ大統領を暗殺しようとした。米国における宗教と社会、キリスト教について、原理主義や福音派という語彙で括って語るのは便利だが、それは往々にして現実を反映したものとならない。
コール・アレン容疑者による大統領暗殺未遂。――これを狂信的キリスト教信者によるテロ行為とみなすべきか否か。たとえば容疑者がクリスチャンでなく、もし移民やムスリム、アジア人だったなら、どう報じられたのだろう。容疑者の出自や宗教的背景について、より露悪的に語られたのではないか。または米国市民の黒人牧師だったならば、どういう扱いになったのか。
例外なくテロ行為は悪である。しかし、本件は、米国社会におけるキリスト教の社会的地位の特権性、そのややこしさをも物語っている。
思想と行為、宗教と社会的営為、それは都合よく大きな主語で、たとえば「宗教は~」「福音派は~」といった一つの語彙に還元して語り得るものではない。ぼくらの眼前に生起する現実は、いつも複雑怪奇であり判断に戸惑ってしまうものなのだ。

波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
はせ・くにお 1979年、岡山県生まれ。京都大学にて博士(文学)。2015年以降、賀川豊彦を研究。連載「ある日本人キリスト者の横顔」(集英社)など。日本のキリスト教、AIから霊能まで思考錯誤。
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