【この世界の片隅から】 国家暴力を象徴するある元牧師の死 李 相勲 2025年5月1日

 K-POP好きの若者世代には想像もつかないことかもしれないが、20世紀後半の韓国はその大部分の期間、独裁政権下にあった。特に、軍事クーデターが起きた1961年から民主化が実現した1987年までの間続いた軍事政権時代は、国家による暴力が過酷な形で行使された時期であった。

 今年3月の韓国では、国家暴力を象徴するある人物の死がニュースとなっていた。3月25日に享年88歳で亡くなったその人物の名は李根安である。李氏は、「拷問技術者」として悪名をはせた元警察官であり、また後に牧師ともなった人物である。

 対共(共産主義)捜査官であった李根安氏は、1970年代から80年代に民主化運動家など政府に批判的な「思想犯」や北朝鮮の「スパイ容疑者」から虚偽の自白を強要するため、水責めや電流などを用いた過酷な拷問を行った人物として知られる。李氏はその「功績」により、軍事政権時代の1986年に全斗煥大統領から勲章を受けているが、彼による拷問被害者の中には、拷問がもとで死亡した者、自殺した者、虚偽の自白によって死刑に処せられた者、生涯消えぬ障害を負った者たちがいた。

 民主化運動家であった金槿泰氏もそのうちの一人であった。金氏は1985年に逮捕され、ソウル市龍山区南営洞にあった治安本部対共分室の建物内において李氏らによる拷問を受けた。のちに国会議員や保健福祉部長官(大臣)を歴任した金槿泰氏は、拷問の後遺症に苦しむ中、2011年に亡くなっている。享年64歳であった。

民主化運動記念館としてリニューアルされた旧南営洞対共分室の建物

 南営洞対共分室は、政権に批判的な知識人やマスコミ関係者、民主化運動家らが逮捕・連行されて拷問を受けた場所であり、1987年の民主化実現へとつながった6月民主抗争のきっかけとなったソウル大生・朴鍾哲氏の拷問死の現場でもある。南営洞対共分室の建物は現在、民主化運動記念事業会が運営する民主化運動記念館としてリニューアルされ、民主主義の未来に向けて負の歴史を記憶し伝えるための施設となっている。民主化運動記念事業会とは、民主化運動の精神を継承・発展させるために国会が制定した法律に基づいて2001年に設立された機関である。

 李根安氏は、1987年の民主化後、約11年にわたって逃亡生活を送った後、自首して7年間刑務所で服役した。逃亡期間中にキリスト教を信じるようになった李氏は、刑務所において通信制の神学校に入学し、出所から2年後の2008年に大韓イエス教長老会(合同改革)の牧師として按手され、刑務所などでの宣教活動に従事した。

 李氏によると、「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます」(一ヨハネ1章9節)と記す聖書箇所を通して自分の罪を悔い改めることを決心し、自首したという。

 では彼は、自分が行った拷問などについて深く反省し、被害者に謝罪したのであろうか。答えは否である。被害者に対してきっちりとした謝罪を行うこともなく、また、裁判所が李氏に命じた、被害者およびその遺家族に対する賠償金の支払いも一切行うことはなかったようである。李氏が亡くなった翌日に民主化運動記念事業会が発表した声明書では、李氏は「拷問被害者とその家族に真正な謝罪や反省の意を明らかにしないまま生涯を終え」たが、「加害者の死は、彼が犯した蛮行を消し去ること」はないと述べられている。

 李氏は被害者たちに謝罪しなかったばかりか、説教において拷問時の金槿泰氏の反応を嘲笑する内容の発言などを行ったほか、ある新聞社とのインタビューにおいて、自らの行為は当時の時代状況においては「愛国」の行為であり、過去に戻ったとしても同じことをするであろうと述べている。このような李氏の発言に対する批判の声が、2011年12月に金槿泰氏が亡くなった際に大きくなる中、大韓イエス教長老会(合同改革)は2012年1月に李氏の牧師職を免職としている。

 結局キリスト者となった後も李氏は、「愛国」を理由に自らの行為を正当化し続けたわけである。そのような李氏の姿を、国家暴力の象徴とも言える十字架刑に処せられたイエス・キリストは、どのように見られたのであろうか。

李 相勲
 い・さんふん 1972年京都生まれの在日コリアン3世。ニューヨーク・ユニオン神学校修士課程および延世大学博士課程修了、博士(神学)。在日大韓基督教会総会事務局幹事などを経て、現在、名古屋学院大学国際文化学部教員。専門は宣教学。

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