【この世界の片隅から】 別の道を通って――中国カトリック教会が歩んだ道(10) 中津俊樹 2026年6月1日

「プロレタリア文化大革命」(1966~1976年「文革」)は1976年、毛沢東の死(9月)と江青(毛沢東夫人)ら「四人組」の逮捕(10月)により事実上、終結した。その後、文革期に失脚していた鄧小平(1904~1997年)が実質的な指導者として復活を遂げ、中国共産党第11期三中全会(1978年12月)において「改革開放政策」を導入することにより、中国は経済自由化へと歩み出した。そして、共産党第11期六中全会(1981年6月)の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」が文革を「誤り」として否定するに及び、文革路線との決別が明確なものとなった。これらの動きは、鄧小平時代の中国が政治の民主化へ歩み出す可能性すら期待させるものであった。しかし、それが希望的観測にすぎなかったことは、「第二次天安門事件」(1989年6月)などにより明らかになった。
鄧小平体制下での宗教政策も、それと軌を一にする形で進められることとなった。共産党中央の「我が国の社会主義時期の宗教政策問題に関する基本的観点と基本的政策(関於我国社会主義時期宗教問題的基本観点和基本政策)」(「十九号文件」1982年3月)では新たな方針として、「真に人民の利益に合致する唯一の正しい宗教政策」の実施が打ち出された。それが宗教活動の自由に対する保障とは根本的に異なるものであることは、共産党の「宗教問題に対する正確な方針」が繰り返し強調された点に示されていた。それは本質において「文革以前の宗教政策への回帰」であり、「理論と政策における『質的』変化」が存在しないものであった[趙・荘、1997年、348]。

「改革開放」時代の共産党にとって宗教とは、党の指導下でのみ活動を許される「統一戦線」の対象以上の存在ではなかったのである。しかし、文革期の混乱を経験した宗教者の一部にとっては、それすらも「一筋の光明」を見るに等しいものであった[滄海一粟、2024年、242、243]。
中国政府公認の「カトリック教会」である「中国天主教愛国会(愛国会)」も、このような状況下で活動を再開した。1980年5月に開催された「中国天主教愛国会第三回代表会議」では、「中国天主教主教団」「中国天主教教務委員会」が正式に成立した。これにより、「愛国会」は文革期の混乱を経て「復活」することとなった。一方で、「愛国会」はローマ教皇庁(バチカン)との関係などに関しては、文革以前からの方針を堅持する立場を再度、明確に打ち出した。
それに対し、「愛国会」の成立当初からその方向性に疑問を感じていた一部のカトリック司祭・修道者や信徒は、文革後に「愛国会」と関わることに消極的な姿勢を示した。1978年にローマ教皇庁「宣教聖省」(現・福音宣教省)が中国の聖職者に対し、司祭叙階に関する特例措置を認めた[松隈、2008年]。それによって成立した組織こそ、「愛国会」とは異なる中国の「カトリック教会」としての「地下教会」であった。彼らはローマ教皇庁との一致などのカトリック教会の本来の教義を守ることにより、自らの信仰を守る姿勢を明確にした。それはまさに、キリストへの「地下教会」の信仰の表現そのものであった。彼らはここに、「愛国会」とは「別の道」を通って、キリストへの愛と信仰の道を歩み始めたのである。
【参考資料・文献】
「関於我国社会主義時期的宗教問題的基本観点和基本政策」(1982年3月31日)、Center on Religion and Global East, Purdue University. URL=https://bit.ly/4djHXkr(2026年5月10日最終確認)。
滄海一粟『荊棘之路 1949-2000天主教在華歴史概要』白象文化事業(台北)、2024年。
趙天恩・荘婉芳『当代中国基督教発展史 1949-1997』中国福音会出版部(台北)、1997年。
松隈康史「中国のカトリック教会――歴史、現状、展望」『カトリック教会情報ハンドブック2007』カトリック中央協議会

中津俊樹
なかつ・としき 宮城県仙台市出身。日本現代中国学会・アジア政経学会会員。専門は中国現代史。主要論文は「中華人民共和国建国期における『レジオマリエ』を巡る動向について」(『アジア経済』Vol.57,2016年9月)など。













