【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 相談者の思いを受け止め、少しずつ分かち合う 東 好章 2026年6月21日

栃木県佐野市の浄土宗一向寺が「お寺と教会の親なきあと相談室」の支部を開設してから3年がたとうとしています。住職である私個人としては、一向寺も他のお寺さんもまだまだ敷居が高く、決して地域社会に開かれたところにはなっていないと感じています。
14年前、私はサラリーマン生活を辞めて実家の一向寺に戻ってきました。当時は檀家さんがお亡くなりになってから日程を決め、通夜・葬儀をお勤めするので十分だと思っていました。お布施としてお金をいただくのも当然だと考えていました。
しかし、社会からお寺はどんどん離れていました。地域の方々がどんな人でどんな生活をしてどんな思いを抱えて生きているのか知る由もなく、ただお寺という看板にあぐらをかいていたのです。
私はお悩み相談サイト「hasunoha」(ハスノハ)の回答僧侶をさせていただいています。登録した当初はほとんど回答せずに様子を見ていただけでしたが、さまざまな生きづらさや病気・障がいを抱えて悩んでいる方々や、差別や偏見、いじめ・嫌がらせを受け深く傷ついている方々が多くおられました。つまりこの世は、仏教的に表現すると「一切皆苦」の状態だったのです。
回答を続けていると、定期的にお寺に来て思いを直接お話しになられる方や、電話で苦しい胸の内を切々と語り、「もう生きていくことは苦しいので、これから死にたい」とおっしゃる方も出てきました。メールやSNSで苦しさや悲しさ、さみしさを切々と訴える方もいました。

支部開設記念講演会であいさつする筆者(2023年10月28日、一向寺)
お寺や教会や神社はそもそも、救いを求める方を仏様や神様やご先祖様が優しく受け止め、ありのままを受け入れて、温かく寄り添い、安心していいんだと救ってくださるところです。私たち僧侶や宗教者は、そこに存在意義があります。
私も相談者の方々と何ら変わらない存在です。だからこそ、悩みや苦しみやつらい思いを少しでも受け止め、少しずつでも分かち合うことができればと、日々活動し続けています。
「お寺と教会の親なきあと相談室」の支部を開設することと前後して、私は地域の民生委員、児童委員や人権擁護委員になりました。そのような肩書とお寺の僧侶であることで、周りの方々から親近感をもって、安心してご相談してくださる機会が増えました。そしてお寺から出て、それぞれの家庭を訪問し、今の状況や心境をじっくりお聞かせいただくこともできるようになりました。
また行政や社会福祉協議会、地域包括支援センター、地域の社会福祉法人の方々とも連絡を取り合い、専門の相談員・支援員とのつながりもできて、少しずつ敷居が低くなってきたようにも感じ始めています。
「お寺と教会の親なきあと相談室」は、道半ばです。地域のお寺や教会が本当に開かれていくことができるかどうかは、これからの活動にかかっています。
多くの方々と悩みも苦しみも喜びも楽しみも分かち合い、誰もが安心して生き抜いていけるように、そして与えられた命を全うした後も、安心して仏様や神様やご先祖様に迎えられるように――と、心から祈っています。
至心合掌
あずま・こうしょう 浄土宗一向寺(栃木県佐野市)住職。民生委員、児童委員、人権擁護委員、hasunoha回答僧侶。「自死自殺に向き合う僧侶の会」で遺族の分かち合いの会「いのちの集い」を担当している。2023年にお寺と教会の親なきあと相談室佐野市一向寺支部を開設した。
*問い合わせは同相談室(https://otera-oyanaki.com/)まで。
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