「幸せなら手をたたこう」誕生の背景 木村利人氏が武蔵豊岡教会の伝道集会で講演 2026年7月5日

 「幸せなら手をたたこう」の作詞者として知られる木村利人氏(早稲田大学人間科学部名誉教授)による講演会「『幸せなら手をたたこう』誕生秘話――未来の平和への希望を語る」が7月4日、日本基督教団武蔵豊岡教会(埼玉県入間市)で開かれた。同教会の伝道集会として企画され、91人が参加。会場にはスコットランドから駆けつけた木村氏の孫の姿もあった。

 1934年に東京で生まれた木村氏は92歳。講演ではまず、戦時下に「軍国少年」として育った日々を振り返った。1940年、東郷平八郎にちなむ東郷尋常小学校に入学した年は、皇紀2600年の記念式典に沸いた時代でもあった。真珠湾攻撃の報に子どもながら万歳して喜んだこと、「日本は負ける」と語った親戚を「非国民」と思ったことなど、当時の記憶をたどった。教育勅語や戦陣訓を暗唱させられた経験を「死ぬための教育」と表現し、1945年3月の東京大空襲では、山梨県への集団疎開先から自宅方面の空が赤く染まるのを見たという。敗戦の日、11歳だった木村氏は「大日本帝国が目の前で崩れ去った」と感じる価値観の転換を経験した。

 敗戦後、墨塗り教科書や戦争放棄をうたう新しい教科書に触れた木村氏は、中学2年生の時、進駐軍のアメリカ人兵士から声をかけられた。自分を対等な人格として扱ってくれたその出会いを通じてキリスト教に触れ、高校2年生で「地球上でたった一度きりの命を、永遠に変わらない神の真理に基づいて生きよう」と決意し、受洗したという。

 早稲田大学入学後はYMCAに加わり、大学生YMCAのワークキャンプでフィリピンを訪問。日本軍とアメリカ・フィリピン両軍が激戦を繰り広げた地で、父を日本軍に殺されたフィリピン人の友人と出会った。初めは憎しみを語っていたその友人が、共同の労働奉仕を通じて「今は平和になった。互いに憎むのはやめよう」と歩み寄ってくれた出来事を、木村氏は感謝を込めて紹介した。

 「幸せなら手をたたこう」は、この滞在中、現地の子どもたちが民謡に合わせて手拍子をしながら歌う姿から着想を得たという。木村氏は、詩編47編の「すべての国民の民よ、手を叩け」という言葉が歌詞の源にあると明かし、そこに平和への願いを込めたと語った。曲はスペイン起源とされる民謡で著作権がないため、日本での作詞著作権登録としては早い例になるという。当初は坂本九によって歌われ、作詞者不詳のまま広まった時期もあった。

 講演後の質疑応答では、戦争体験を知らない世代への継承をめぐる質問が相次いだ。30代の参加者が、戦争体験者から直接話を聞く機会が急速に失われつつある現状への懸念を語ると、木村氏は「日本の現状は戦前に近づいている」と危機感を示し、早稲田大学での講義中、七三一部隊について日本人学生のほとんどが知らなかった一方、中国人留学生は全員が知っていたというエピソードも例に、歴史の事実を正しく学ぶことが未来の平和につながると応じた。

 集会の最後には、参加者一同が「幸せなら手をたたこう」を作詞された12番まで通して歌った。木村氏による著書『戦争・平和・いのちを考える』『ボクたちは軍国少年だった!』(いずれもキリスト新聞社)なども会場で販売された。

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