【この世界の片隅から】 現代中国のクリスチャン弁護士たち 佐藤千歳 2026年10月1日

 今年8月、日本で家族との休暇を楽しんでいた北京の弁護士・王夏紅氏は、中国の司法当局から1本の電話を受けた。「対面で面会したいので事務所に来なさい」

 王氏は、「今は北京にいないので行けません」とのみ返答して電話を切った。そして、中国へ戻らない決断をしたことを、AP通信の取材に語った。王氏が所属する北京凱門弁護士事務所は、昨年10月に中国当局が牧師らを一斉拘束したシオン教会の弁護を担当する。同教会は、政府に登記しない非公認のプロテスタント教会で、オンライン礼拝と対面の集会を組み合わせた巧みな教会運営で知られ、中国有数の非公認教会だった。

 中国政府は同教会の急速な教勢拡大を、社会秩序に対する脅威と見なし、組織的で大規模な取り締まりを行った。司法当局はまた、教会の弁護を請け負った同事務所に対し、「事務所を自主解散するか、さもなければ強制的に閉鎖する」と圧力をかけた。王氏が北京に戻れば、拘束の可能性もあった。

 王氏の境遇を報じたAP通信の記事に、弁護士事務所の創立者としてなじみ深い名前が登場していた。張凱弁護士。自身もクリスチャンの張氏は、浙江省政府が十字架や教会堂取り壊しを行った2014年、現地の100余りの教会を束ねて地元政府を訴える行政訴訟を提起した人物だった。政府との対決をためらう信者らに対し張氏は、「十字架撤去には法的根拠がない」「公正が失われたら、キリスト教徒は政府に抗議すべきだ」と訴えて説得した。

 政府の権力が強大な中国において行政訴訟は無意味に思える。確かに、受理されることは稀だが、住民に訴えられた事実自体が政府の統治能力の低さと見なされるため、訴訟の提起は少なくとも地方政府に対する圧力となる。結果として、一部で十字架撤去が回避される成果を挙げた。

 ただし、張氏の払った代価も大きかった。2015年に国家機密漏洩罪の容疑で逮捕され、半年にわたり拘束された上、テレビで「私は国家の法律と、弁護士の職業道徳に違反しました」と罪を認める様子が放送された。筆者も当時、張氏が人格的な尊厳を打ち砕かれる様子をテレビで見て唖然とした。釈放後は、政治リスクのある事件を避け、得意の刑事事件を手がけていると思っていた。

政府の指示で撤去した十字架が置かれた中国東部のプロテスタント教会

 しかし予想は外れた。十字架破壊から10年後、張氏は王氏ら若手弁護士を率いて法廷に戻り、信教の自由を訴えて中国当局と対峙する道を選んだ。非公認であるシオン教会の弁護は、習近平政権の進める宗教の中国化政策に正面から異議を申し立てることになる。張氏は弁護士資格の抹消と出国禁止措置を受けた。王氏は日本から台湾へ移動し、家族と共に政治難民として移民する意思を表明した。

 現在の中国でキリスト教会のために立ち上がれば徹底した制裁を受けることは、中国の政治と法制度を知り尽くした2人には自明のことであったろう。信仰が、2人の行動の一つの支えであることは確かである。張氏は同事務所のホームページに、自身の仕事について短い動画を載せている。「英語では、仕事を意味する三つの単語がある。弁護士の仕事は、食べるためのjobや個人のキャリアを追求するworkではなく、時空を超えて神に与えられた使命を果たすvocationだと思う」と述べている。

 台湾で政治亡命を表明した王氏だが、今のところ受け入れ国は見つかっていない。しかし王氏は冒頭のAP通信の取材に、旧約聖書のルツ記を引き、「異国に逃れたルツを助けたボアズのような人物を、神が私に会わせてくれると信じている」と語った。

 収束の兆しが見えない宗教統制の中で、正義と信仰のために使命を果たそうとする人々がいることに、筆者は驚きを禁じ得ない。こうした人々は少数だが、現代では、インターネットやグローバルな人の動きが梃子のように作用し、少数派が事態を動かすことがある。2人が、巨大な力にどのような一石を投じるのか、これからも見守りたい。

佐藤 千歳
 さとう・ちとせ 1974年千葉市生まれ。北海商科大学教授。東京大学教養学部地域文化研究学科卒、北海道新聞社勤務を経て2013年から現職。2005年から1年間、交換記者として北京の「人民日報インターネット版」に勤務。10年から3年間、同新聞社北京支局長を務めた。専門は社会学(現代中国宗教研究、メディア研究)。

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