新連載【〝クリスチャン〟と束ねる前に––信じきれないままの、ここまで。】 本棚の上の「シュクフク」 あおきまみ 2026年4月1日

 部屋の本棚の上には、忘れたくないものを置いている。勇気をくれた映画のパンフレット。一人旅で訪れたプラハで買った絵画。祖母のおさがりの真珠のネックレス。パートナーがくれた、地元のケーキ屋さんの缶。その中には、手にしっくり馴染む鉛筆やペンが数本入っている。

 そしてもう一つ、水色のハンカチ。『シュクフク』と白い刺繍がされてある。昨年の春、地方の本の催しで出会ったおばあさまからいただいたものだ。

 「わたし、クリスチャンなのよ」

 ニット帽を深くかぶり、暖かな季節にもかかわらず、濃い紫色の上着を羽織ったおばあさま。袖口から小さな手がそっと現れ、並べられた本の中から『つきあったら、クリスチャン』を1冊抜き取り、わたしに差し出した。

 「これあなたが書いたのね、頂きたいわ」

 大学生時代のクリスチャンの恋人との経験を書いた、小さな書店から出版された本だ。「クリスチャンです」と告白されると、この本がどう読まれるのだろうと、ふと嫌な想像がよぎる。わたしが見てきたものや感じた痛みが、「信仰が足りない人の誤解」と片付けられてしまうのではないか。背の低いおばあさまの後ろ姿を、つい目で追ってしまった。

 出版して間もないころ、わたしは本が売れていくことを素直に喜べなかった。自分には文章力がないという自信のなさや、心の内をさらけ出すためらい。この本を読むクリスチャンの友人の顔が浮かんで、落ち着かないこともあった。

 「〝クリスチャン〟って入れたくないです」

 最終稿が上がり、タイトルの話になったとき、わたしは本の編集をしてくれた中岡さんにそう伝えてしまった。

 「僕は入れた方が、この本は届くべき人のところにきちんと届くと思うんだ」

 返された言葉に、わたしはうまく頷くことができなかった。

 実際に本を出版してから、「クリスチャンですか?」と尋ねられることが増えた。その問いは、目の前のわたしを知るためではなく、「クリスチャン」という型に押し込められるように感じた。自分の立つ場所を言葉にした途端に、誰かとのあいだに線を引かれてしまう。わたしの一部が、こぼれ落ちていくようだった。

 イベント2日目の昼過ぎ、顔を上げると、前日に本を買っていかれたおばあさまが、こちらを見ていた。びっくりして声をかけると、柔らかな笑みを向けながら、手提げの巾着から黄色い手紙を取り出した。メールアドレスまで書いちゃったのよ。少し照れたように言って手渡してくれた。ふくよかな猫のプリントがされた封筒に、肩の力が少し抜ける。そして、これもあなたに差し上げたくて、と厚手のハンカチを添えてくれた。『シュクフク』って刺繍された特別なものなの。

 その晩、家に戻ってから手紙を開いた。昨日の今日で用意してくれた手紙なので、短い感想が添えられているのだろうと読み始める。けれど、便箋に並んでいたのは、思いがけない言葉だった。

 『人間関係の嫌なところ、特定の人に対する教会内でのイジメのようなこと、いえ、イジメを経験しました。そして結果的に別の教会に転会することになりました』

 彼女の歩いてきた時間の重みが滲み、文字が波打って見えた。きっと彼女は、「クリスチャン」としてどうあるべきかを、何度も祈りながら考えてきたのだろう。日曜日が来るたびに、足取りは重かったのかもしれない。クリスチャンだからといって、いつも優しくいられるわけではない。誰かを許し続けられるわけでもない。そうなれない自分を責めながら、生きている人もいる。「敬虔なクリスチャン」という理想が、誰かの心を追い詰めるものであってほしくない。

 『日々の与えられた生活の中で、「良かった」ことを見つけて、喜んで生きていきたいですね。あなたと出会えてよかった』

 最後の言葉を何度も読み返しながら、彼女が彼女のままでいられるといいと、願わずにはいられなかった。

 本棚の上のハンカチは、一度も折り目を変えていない。午後の光が、白い刺繍の上をゆっくり触れていくのを、ときどき目にしている。

あおき・まみ
 哲学する作家。岐阜県生まれ、岐阜県育ち。上智大学外国語学部英語学科卒業。海外食品の輸入業に携わる傍ら文筆活動を行う。著書に『祈ってないで告れよ』(自主出版)、『つきあったら、クリスチャン』(生活綴方出版部)、『娘、実家にリーリーリーと叫ぶ』(雨季とプールBOOKS)。2025年より、日常にある身近な「問い」を深める哲学対話ワークショップ「哲学ア・ラ・モード」を各地で運営。

 

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