【この世界の片隅から】 否定でなく和解を マンション大火災とその後の香港 小出雅生 2025年5月11日

 去年11月末に香港で過去最悪の被害を出したマンション火災。発生から5カ月近くたってやっと住民に3時間限定で、現場に立ち入ることが許可された。とはいえ、現状確認が優先で自宅の内部のみ撮影はできるが、それ以外の通路や廊下、階段部分は安全を理由に撮影を禁止されている。それでも、40年にわたる生活の痕跡を探し出そうとする報道に触れ、被災者の無念の思いが伝わってくる。

 焼けた「宏福苑」というマンションは、「居屋」と呼ばれる公設分譲住宅である。公営住宅との違いは、破産などの問題や政府から支援を受けるほどの経済状況ではないが、一般の分譲マンションにはちょっと手が届かない人たち向けに、一定の基準と審査を通過した人たちが市場価格の60%程度で買えるようになっている点だ。もちろん転売も可能だが、購入時と同様に市場価格より低めで売る必要がある。イギリスが広東省の広州とつなぐために作った鉄道が香港内の通勤用に複線電化され、衛星都市の一つとして海浜地区を埋め立て、工業団地を作って働く場も併設された新界地区の都市計画として建築された。奇跡と言われた香港の経済成長が絶頂を迎える少し前に作られ、その後の上り下がりを見てきた。

 もともと放任主義で、住宅政策も都市計画もないようなものだったが、戦後、中国や周辺諸国の動乱で、大勢の人たちが着の身着のままで香港に逃げ込み、思い思いバラックを立てていた。そんな中、1953年のクリスマスにバラック住宅の密集地区で大火事になり、5万人以上が焼け出された。それを受け、流入してきた人たちが政情安定すれば帰郷するだろうと待っていたイギリス政府は、転じて積極的に公営住宅を供給し、同時に香港での労働人口を形成していくことになる。

4月1日から再開された香港歴史博物館常設展

 マンション火災の時に、多くの人たちがボランティアに駆けつけ、炊き出しや物資の分配を自発的に始めたのは、香港的なよくある風景以上に、世代を超えたある種の記憶がよみがえったようだった。自分にできることがあれば、惜しみなく分け合う。それはやはり、あのバラック住宅時代の炊き出しに発している気がする。そこに持ち込み、そこで出会い、社區の一員としてつながれるのだ。しかし、集められた物資と分配するボランティア活動に使っていた隣接する公営住宅の広場は、上層階の住民からの騒音苦情を理由に政府が使用を禁止し、自発的に作られた物資の分配所は閉鎖させられた。人が集まる場では、学生を中心に真相究明を求める署名活動が始められていたこともあり、政府も住民の声が大きくなることを恐れていなかったわけではないだろう。

 それから5カ月近くたち、マンション住民が住民大会の開催を求めた署名を提出する中、独立調査委員会の事情聴取が始まった。業者、区議会議員、消防、マンションの管理委員会などの生々しい証言が報じられてはいるが、どこまで闇に迫れるのだろうか。

 5年半休館していた香港歴史博物館の常設展が、展示内容を大幅に変更して4月から再開された。偉大な祖国に戻ったことを強調している。香港の人の親世代は、香港にたどり着くまでに、組織なり仕組みなりが機能しない場面に遭遇して、逃げてきている。それだけに、何かの時には自発的に動き始める。祖国に返還されて早30年近く、祖国の懐にいる安心感をこういう時にこそ示してほしい。その積み重ねが、過去に切り捨てられた側の民との和解につながるのではないかと思うのだ。

火災から5カ月たったマンション「宏福苑」(4月27日)。猛火でも焼け残っていた竹の足場は、すでに撤去されている

 こいで・まさお 香港中文大学非常勤講師。奈良県生まれ。慶應義塾大学在学中に、学生YMCA 委員長。以後、歌舞伎町でフランス人神父の始めたバー「エポペ」スタッフ。2001年に香港移住。NGO勤務を経て2006 年から中文大学で教える。

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