【この世界の片隅から】 香港の火災が問いかけるもの 松谷曄介 2026年6月21日

 香港の友人たちのソーシャル・メディアでは、6月になると「八九六四(天安門事件)から〇〇年」「逃亡犯条例改正案反対運動から〇年」といった投稿が相次ぐ。しかし、その多くはすでに香港を離れ、イギリスや台湾などに移住した人たちによるものだ。というのも、香港では2020年に「香港国家安全維持法」が施行され、さらに2024年にはそれを補完する「国家安全条例」が成立し、インターネット上の書き込みも取り締まりの対象となる恐れがあるからである。かつて香港では、毎年6月4日に天安門事件の犠牲者を追悼する集会が大規模に行われていた。しかし、2019年を最後に、コロナ禍をはさんで開催は禁じられ、民主化を求めるデモ行進や市民活動も、街頭からほとんど姿を消してしまった。

 その後、ミャンマーの軍事クーデター、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ攻撃、さらに近年のイラン情勢など、大きな国際的事件が相次ぐ中で、香港に関するニュースは次第に報じられなくなった。人々の記憶からも、少しずつ遠ざかっていったように思う。

大火災のあった「宏福苑」(撮影=松谷曄介)

 そうした中で、香港が久しぶりに世界的なニュースとなったのが、2025年11月26日に大埔の高層住宅団地「宏福苑」で起こった大火災であった。火災現場は、筆者がかつて住んでいた場所からも比較的近く、よく知っている地域である。テレビやインターネットの画面越しに、炎に包まれる高層住宅を目の当たりにし、大きな衝撃を受けた。

 居住面積が限られる香港では、高層住宅が密集して建てられている。宏福苑でも、修繕工事中の建物に足場や防護ネットが設置されていた。そこから出火したとみられる炎は、8棟ある住宅棟のうち7棟に広がり、168人もの命を奪った。火災の拡大については、防火基準を満たさない資材の使用や防火設備の不備が指摘されている。また、工事を請け負った建設関係会社をめぐっては、以前から不正疑惑があったとも報じられている。

 筆者は今年5月、香港を訪れた際、あるクリスチャンの知人に案内してもらい、火災現場を訪ねた。周辺には規制線が張られ、建物に直接近づくことはできなかったが、少し離れた場所から見えた焼け焦げた高層住宅は、いまなお痛々しい姿をさらしていた。延焼を免れた部屋も少なくなかったが、当局による居住禁止の決定により、住民は退去を余儀なくされ、団地には誰も住んでいなかった。規制区域の中には、バプテスト教会が運営していたキリスト教学校もあり、現在は使用されていない。その学校の外壁に掲げられた十字架を見つめながら、祈りを捧げてきた。

 火災後、市民による支援活動が広がったが、間もなく当局により制限されたり、独立調査を求める署名運動を行った大学生が拘束され、その後、所属大学から退学処分を受けたりするなど、香港市民の自発的な動きは抑え込まれていった。こうした政府当局の姿勢に対して、普段は政府寄りの立場をとる人々の中からも不信の声が上がるほど、多くの香港市民は、深い悲しみとともに、不満や憤りを募らせていた。

追悼礼拝で説教する王家輝牧師(『時代論壇』より)

 そのような中、火災から数カ月がたった今年3月、香港基督教協進会(香港キリスト教協議会)は、被災者と支援者のための追悼礼拝を開催した。同会の総幹事である王家輝牧師は、牧会の重要な務めの一つは「和解」であると語った。そのうえで、火災の原因や責任の所在がまだ十分に明らかにされていない中でも、信仰者は神の前で心の平安を求め、怒りにのみ込まれず、負の感情に押しつぶされないようにしなければならないと述べた。

 しかし王牧師は同時に、真相を求めることこそが和解のための重要な一歩であるとも強調した。そして、「真相がなければ、和解もない」と語った。多くの声が押し殺される香港社会において、代表的な教会指導者が公の場で真相解明の必要性を訴えたことは、きわめて重要な意味をもつ出来事であったと言える。

 香港当局は今年6月上旬、ようやく建設会社の役員ら7人と2社を起訴した。しかし、それによってすべてが解決したわけでは決してない。大火災が残した悲しみと痛みは、すぐに癒えるものではない。失われた命の重み、住まいを奪われた人々の苦しみ、そして原因と責任をめぐる問いは、なお残されている。

 真相解明がなければ、和解も癒やしもない。それは、今回の火災に限らない。37年前の天安門事件、そして7年前の大規模抗議活動の中で命を落とした人々をめぐるさまざまな出来事についても、同じことが言えるのではないだろうか。香港の火災は、単なる事故ではなく、真実を語ること、悲しみを記憶すること、そして沈黙を強いられた人々の声に耳を傾けることの重さを、私たちに問いかけている。

 まつたに・ようすけ 1980年、福島県生まれ。金城学院大学教授・宗教主事、日本基督教団牧師、博士(学術)。国際基督教大学(ICU)、北京外国語大学、東京神学大学、北九州市立大学を経て、香港中文大・崇基学院神学院で在外研究。専門は中国近現代史、中国キリスト教研究。「キリスト新聞」編集顧問。

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