【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 他人事ではないひきこもりと親の心配 堀内志乃 2026年7月1日

私は今、夫と共に「お寺と教会の親なきあと相談室」の横浜支部のアドバイザーとして関わらせてもらっています。横浜支部の副題は「気づきの交差点」です。その日集った人たちが語り合う中で、自分自身の気づきにつながる、または私が発した内容が他の方の気づきにつながるかもしれない、そんな場になるような雰囲気づくりを大切にして、これからも関わらせてもらいたいと思っているところです。
私がこのように場づくりに関心を持ち活動をするようになった原点は、中高生時代に学校にいる間「保健室」で過ごした時の気持ちにあります。また大人になり仕事に就けたものの、当時を振り返れば完全に過労状態になっていて、結果的に数年間ひきこもりの状況に陥ってしまった経験があります。
保健室登校をせざる得なくなったことや、過労状態まで仕事をした経緯をここで書くととても長くなってしまうので割愛します。ただ、いわゆる世間の「普通」とか「一般的」な歩みから外れてしまい、その後少しでも元気になると、王道を歩いているように見える同級生たちや同年代の人たちと同じようになりたいと奮起するのですが、やはり一度外れてしまった道はそう簡単には戻れないことを、さまざまな経験をするたびに痛感してきました。
そんな時「あなたはあなたのままでいい」「自分らしく生きていけばいい」と他人から言われたり、自分の落としどころとして心に言い聞かせたりしてみるのですが、実際のところ日々の生活で思うようにいかないことも多々あります。最近になり、やっと他人と自分の生き方を比較することはなくなりましたが、自分自身の核となる「アイデンティティ」の確立は、やはり思春期の時代にどう生きてきたか、どう感じてきたかに影響しているのではと感じることもあります。
私が今「親なきあと」という社会課題に関心を持つ理由は、一つは20代から30代半ばにかけて障害者支援の仕事に携わった経験があるからです。グループホームや重度訪問介護という制度を使いながら過ごされている当事者たちの存在と、家族や関わる支援者がどこまで本人の望む生活に寄り添えるのか、試行錯誤をし合って一日一日を関わらせてもらいました。

横浜支部で開かれた「気づきの交差点」(2026年5月17日)
二つ目はひきこもり状態にある本人と親の「親なきあと」。こちらは決して他人事ではないと今でも感じます。私自身はなんとか夫と共に暮らしていける状況になれただけであって、いまだに母親から「大丈夫?」と、精神的な不調になっていないか心配されるところもあります。ですから今一緒に暮らしていてひきこもっている状態の本人のしんどさや、親の心配事は、たくさんあるのだろうと感じています。
きっと「親あるあいだ」にどれだけのことができるのか、それぞれの家庭で考えて実行できたとしても、不安なことや心配事は尽きないのだろうと感じます。本人も含めてそんな試行錯誤の日々で感じていることを、少しでもこの「親なきあと相談室」の場で語り合うことで、自身の肩の力を緩めることができたり、ちょっとだけ先の光が見えたり、自分一人だけではないんだという思いを持ち帰ってもらったりするところに、この「親なきあと相談室」の大きな意義があると思っています。
ほりうち・しの 1976年生まれ。中学受験で中高一貫校に進むも、中学3年の時に教室に入ることがつらくなり、高校でも保健室で過ごす時間が続く。18歳で通信制高校に転学。22歳で高校卒業。不登校生を対象にしたイベントに参加した際に夫と出会い、その縁から社会参加につながった。学童保育のアルバイトや障害者グループホームの世話人を経て、現在は大学学生食堂で働く傍ら、法人後見団体に所属し身上監護を行う。また「生きづらい」から「生きやすい」社会や生き方を模索し、場づくりの運営に力を注いでいる。
*問い合わせは同相談室(https://otera-oyanaki.com/)まで。
【「親なきあと」をともに生きる~お寺と教会の〈語らい〉から始まる支援】 相談者の思いを受け止め、少しずつ分かち合う 東 好章 2026年6月21日














