新使徒運動をどう見極めるか AG教団宣教シンポで歴史と聖書から検証 2026年7月10日

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団宣教研究所主催の「2026宣教シンポジウム」が7月8、9の両日、オンラインで開かれた。テーマは「変遷する時代と教会の応答――過疎・少子化から新使徒運動まで」。過疎化・少子化に直面する日本の教会の宣教課題に加え、世界的に影響を広げる新使徒運動(NAR)を歴史と聖書の両面から検証した。
9日午前の第2セッション「新使徒運動を歴史からひもとく」では、鈴木正和氏(中央聖書神学校講師、水場コミュニティーチャーチ牧師)が「新使徒運動を知る(歴史編)」と題して講演した。鈴木氏は、NARを単一の組織ではなく、ペンテコステ・カリスマ運動の流れの中で形成されてきた重層的な運動として位置づけた。
その直接的な源流として示されたのが、1948年にカナダで起こった「ラターレイン(後の雨)運動」である。同運動は、現代における使徒や預言者の回復、按手による霊的賜物の分与などを強調した。当時、米国AG教団はこれを「非聖書的」として退けたが、独立系教会を中心に広がり、日本にも1970年代以降、「レストレーション運動」として流入したという。
「新使徒的改革」(新使徒運動)という名称は、フラー神学校のC・ピーター・ワグナーが、急成長する独立系カリスマ教会の動向を観察する中で用いたものだと説明した。鈴木氏は、今日の世界キリスト教において急成長しているのは、伝統的教団に属さないインディペンデントのペンテコステ・カリスマ層であり、NARもその土壌の中で拡大していると指摘した。
一方、NARの一部は教会内の刷新運動にとどまらず、社会の諸領域にキリスト者が影響力を及ぼすべきだとする「支配神学」へと展開している。特に「七つの山の統治」と呼ばれる考え方では、宗教、家族、教育、政治、メディア、芸術・娯楽、ビジネスといった領域において、キリスト者が主導的役割を担うことが強調される。
鈴木氏は、こうした思想が米国の政治状況、とりわけクリスチャンナショナリズムやMAGA運動と結びついている現状にも触れた。中絶やLGBTQをめぐる社会的対立を背景に、かつて政治に距離を置いていたペンテコステ派も積極的に政治参加するようになった。トランプ前大統領を旧約聖書のキュロス王になぞらえる言説など、宗教的熱狂と政治的動員が重なり合う危うさを示した。
日本のキリスト教界における受容については、SNS上の断片的情報や「異端」「カルト」といったレッテル貼りによって、恐れや疑いが先行しがちな傾向を問題視した。特定の指導者に霊的権威が集中することによる支配や傷つきのリスクには十分警戒すべきだが、理解しがたいものを直ちに排除する姿勢もまた、信徒が自ら識別する力を弱めるとした。

午後の第3セッションでは、平松契氏(中央聖書神学校教師)が「新使徒運動を聖書から検証する」と題して講演。平松氏は、古典的ペンテコステ派が数の上ではすでに世界の主流ではなくなっている現状を直視する必要があるとした上で、使徒に関する新約聖書の理解を整理した。
平松氏は、使徒をイエスの十二弟子に限定せず、パウロ、ヤコブ、ユニアなど広義の使徒が新約聖書に登場することを確認。現代においても、使徒や預言者の働きは「役職」ではなく、キリストの体である教会を建て上げるための「役割」「賜物」として理解できると述べた。
その上で、NARに対しては「イエス・キリストの十字架と復活を信じているなら、主にある兄弟姉妹であり、異端ではない」とする一方、誤った教えや権力乱用には互いに戒め合う姿勢が必要だと強調した。使徒や預言者の名を用いて権威を振りかざし、ピラミッド型の支配構造を作ることは、聖書的なあり方ではないと警告した。
平松氏は、聖書的な使徒の特徴として、新しい宣教地を開拓し、愛と奉仕に根ざした権威を持ち、質素で犠牲的な生活を送る姿を挙げた。これに対し、他者の働きを奪って自らの成果として誇ったり、富や名誉を求めてセレブ化したりする指導者像は、聖書が示す使徒の姿から外れているとした。
預言についても、第一コリント14章の「預言することを熱心に求めなさい」との勧めを踏まえ、癒しや奇跡と同様に、預言の賜物を求めることはペンテコステ派にとって聖書的であると述べた。ただし、預言が正典としての聖書に新たな教理を付け加えることはない。人間が語る以上、誤りの可能性は常にあり、だからこそ教会全体による吟味と識別が不可欠だとした。
二つの講演に共通していたのは、新使徒運動を無批判に受け入れることでも、恐れから一括して拒絶することでもなく、聖書と教会共同体の中で時間をかけて見極める必要があるという視点。制度化された教団はスキャンダルを防ぐ仕組みを持つ一方、聖霊の自由な働きを抑制する危険もある。単立カリスマ派は神の劇的な働きを体験しやすい反面、監督制度の不在による権威主義や不祥事のリスクを抱える。
シンポジウムでは最後に、単立カリスマ・新使徒運動から何を学べるのか、反対に伝統的ペンテコステ派から何を学び得るのか、そして今後どのように付き合うべきかが参加者に問いかけられた。















