〝不安は消えない、それでも応える〟 東神大卒業生が語った5年目の「現在地」 2026年7月13日

第4回「東京神学大学フェア」(教文館、東京神学大学共催)の卒業生トークイベント「呼ばれて、応えて、いま――神学校卒業5年の現在地」が7月4日、東京・銀座の教文館で開かれた。同大同窓会の提案と協力のもと、2021年度卒業生が現在の働きや神学校時代の不安、学びが現場でどう生かされているかを率直に語り合った。同フェアは、神学校を身近に知ってもらおうと6月23日から7月5日まで開催され、講演やパネル展示、進路相談などが行われた。
登壇したのは、平澤巧(日本基督教団春日部教会牧師)、玉木圭子(日本基督教団片倉教会牧師)、藤森誠(日本基督教団相模原教会牧師)、片岡賢蔵(日本基督教団東中通教会牧師)、和寺悠佳(青山学院大学宗教主任)の各氏。それぞれが事前に撮影した映像を交え、教会の礼拝や祈祷会、聖餐式、大学での授業や礼拝の様子を紹介した。
同級生たちは在学中、当時の学長の急逝と新型コロナウイルスの感染拡大を経験。最終学年は授業がオンラインを併用する異例の形となり、卒業後も感染対策下でそれぞれの働きを始めた。片岡氏は、まだ新人らしさを残しながらも、現場で一歩を踏み出した時期にあると5年間を振り返った。
入学前の不安として挙げられたのは、学力、語学、経済、体力、信仰への迷いだった。60代を過ぎて学び始めた玉木氏は、長く専業主婦として過ごした後だけに、授業についていけるか、英語や聖書語学を学べるか不安だったと告白した。それでも「学びたいという喜びの方が大きかった」と語り、現在は説教準備で新約聖書のギリシャ語に向き合う時間が最も楽しいという。「覚えるには時間がかかるが、いくつになっても覚えられる」と会場を励ました。
音楽大学で声楽を学んだ後、受洗から間もなく入学した平澤氏には、経済的な心配があった。学内奨学金に加え、出身教会の信徒から食事や生活面で支えられた経験を紹介し、「一人で悩まず、まず周囲に相談することで道が開かれることもある」と話した。
卒業後、神学校での学びは説教、聖書解釈、教会運営、教育の随所に生きているという。平澤氏は、数年間にわたって聖書と神学に集中した蓄積が、現場でふとよみがえると説明した。また、同級生同士で三位一体論をめぐって本気で議論した経験にも触れ、「誰一人欠けずに卒業しようという思いがあった」と振り返った。

和寺氏は、教会で通じる言葉を、そのままキリスト教に初めて触れる学生へ向けることはできないと指摘した。学生に身近な言葉へ「翻訳」しながらも、福音の本質をずらさない姿勢が、神学校で身についたという。毎週、多くの学生に聖書の面白さを伝えられることを喜びとしつつ、伝道はすぐ成果が表れるものではなく、教会と連携しながら将来へ種をまく働きだと語った。
現場での喜びも分かち合われた。藤森氏は、クリスマスを前に受洗者はいないと諦めかけていたところ、一人の青年が自ら洗礼を申し出た経験を紹介。「牧師が諦めても、神は信じる者を起こしてくださる」と語った。玉木氏は、高齢者施設を訪ねた際、言葉や歌が十分に出なくなっても、主の祈りに応じる人々の姿に触れ、「信仰は、何もできないように見える人をも輝かせる」と話した。
コロナ禍の教会へ赴任した片岡氏は、マスク姿の会衆を二班に分けて礼拝を守る中、自分の意気込みだけでは状況を変えられないと痛感したという。「目の前のことに集中し、御言葉を丁寧に語るしかない」と歩み続け、現在は若者たちとの受洗準備に「涙が出るほどの喜び」を感じていると述べた。
会場からは、教職への召命はまだ感じていないが、牧師になることを前提としない学びの道があると知り、「まずそこから始められるかもしれない」との感想も寄せられた。華やかな成功談ではなく、不安や迷いを抱えたまま仲間や教会に支えられ、それぞれの現場で応答し続ける姿が、神学校卒業5年の〝等身大〟の現在地として共有された。















