【熊本地震レポート④】 「大丈夫じゃない」と言えるように 3度の避難所運営で学んだこと 熊本YMCA・丸目陽子さん 2026年9月25日

 熊本YMCA(伊藤眞太郎総主事)は八代市から委託を受け、八代トヨオカ地建アリーナと鏡コミュニティセンターの2カ所で避難所を運営している。地震発生から1カ月余りの9月上旬、避難所で奮闘する災害支援統括ディレクターの丸目陽子さんに話を聞いた。丸目さんにとって避難所運営は、2016年の地震、2020年7月の豪雨に続いて3度目となる。

 熊本YMCA(伊藤眞太郎総主事)は八代市から委託を受け、八代トヨオカ地建アリーナと鏡コミュニティセンターの2カ所で避難所を運営している。地震発生から1カ月余りの9月上旬、避難所で奮闘する災害支援統括ディレクターの丸目陽子さんに話を聞いた。丸目さんにとって避難所運営は、2016年の地震、2020年7月の豪雨に続いて3度目となる。

 今回、熊本YMCAは自らの施設の被害を確認し、最低限の片付けを終えると、8月1日には八代方面に入った。水を配り、被災した会員らを訪ねながら、YMCAに何ができるかを探った。前年の水害時には通常業務との兼ね合いで十分に動けなかった経験から、有事には丸目さんが災害対応に動けるよう内部で役割を調整していた2026年4月、そのわずか3カ月後に起きたのが今回の地震だった。

 避難所が設置された後、八代市から避難所運営を経験のあるYMCAに担ってほしいとの要請を受けた。8月17日から引き継ぎを開始。市職員は罹災証明の発行など復旧や生活再建にも人員を割く必要があり、9月1日からはYMCAが中心となって運営を担っている。

 取材時、トヨオカ地建アリーナには200人以上、鏡コミュニティセンターには約60人が避難していた。鏡では下水道の被害で断水が続く。避難理由も家屋の倒壊だけではなく、水が出ない、片付けが終わらない、賃貸住宅が被災したなどさまざま。高齢者や障がいのある人の中には、罹災証明の申請など生活再建に必要な手続き自体が分からない人もおり、丸目さんは今後、避難所内での生活支援に加えて、避難所から次の生活に向けての支援の比重がさらに大きくなるとみる。

 運営を支えるのは熊本YMCAの職員だけではない。全国各地のYMCAからスタッフが入り、数日から数週間単位で交代している。熊本YMCAの通常事業は続いているため、地元職員だけを避難所に振り向けることはできない。そこで全国のネットワークを通じて応援を募り、人員をつないでいる。

 全国のYMCAが災害時に人材や施設を融通し合う仕組みは、長年の支援活動の中で培われてきた。関東大震災以降、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、能登半島地震などで支援を展開。災害救援の専門団体ではないが、青少年教育やキャンプ、地域活動で培った経験を避難所運営や子どものケア、コミュニティーづくりに生かしてきた。

 丸目さん自身がその全国ネットワークに支えられたのが10年前の大地震。2016年熊本地震では4月14日の前震(M6.5、震度7)、2日後に本震(M7.3、震度7)と最大級の地震が立て続けに発生した。当時、熊本YMCAが指定管理者として運営していた益城町総合体育館に勤務し、前震が起きた瞬間も館内にいた。そのまま押し寄せる住民を受け入れることになったが、避難所運営のノウハウはなかった。

 そこへ阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験した全国のYMCAスタッフが入り、マネジメントやコーディネートの体制を整えた。熊本YMCA職員自身も被災する中、全国から応援を受け、同時に熊本で臨時職員を採用しながら、避難所運営は約半年に及んだ。

 前震後、大きなアリーナでは天井の一部が落下していた。余震が続く中、避難者からは中に入れてほしいとの声も上がったが、丸目さんらは危険と判断した。

 「『こんな冷たいロビーで寝かせるのか』って怒鳴られました。でも、天井が一部落ちているし、余震もすごい。『ここは人を入れない方がいい』と伝え、益城町町長も『大アリーナには受け入れず、鍵を閉めよう』と判断してくれた。その2日後、本震が来て天井がすべて落ちたんです」

 本震の後、2階の観覧席から天井の部材が崩落したアリーナを見た時、あの時、判断を誤らずに良かったと心底思ったという。

 もともとは運動指導などを志してYMCAに入った丸目さんだったが、この経験を境に仕事の幅が変わった。災害支援について人前で話し、避難所環境改善の研修を担う機会も増えた。専門家を目指したわけではなく、現場で経験し、自ら学ぶうちに、避難所運営について相談される立場になっていった。

 2度目は2020年7月豪雨。球磨村の被災者が避難した施設の運営を委託された。コロナ禍で県外からの支援者受け入れが難しい中、他の支援団体とも連携し、丸目さんも泊まり込みで約2カ月半対応した。

 今回の支援でも、避難所だけを見ているわけではない。被災した児童養護施設八代ナザレ園では地域住民へのシャワー開放で職員が疲弊する一方、子どもたちも夏休みを過ごせずにいた。熊本YMCAは8月9~11日、子どもたちをキャンプ場に招いた。地震直後避難所などの子どもたちをキャンプへ招待することも検討したが、余震が多い中では親子が一緒にいることを優先し、その後は子どもと保護者がそれぞれ休息できる時間をつくるなど、被災後の段階に応じて支援を変えている。

 丸目さんは今回、行政から民間への避難所運営の委託が一気に進んだと感じている。ただし、委託すれば解決するわけではない。受託する民間側にも訓練や経験が必要で、行政、NPOなどの民間支援組織、地域の寺院や教会などがそれぞれの強みを生かして補い合う仕組みが欠かせないとみる。

 大規模な避難所を運営する側が全体を支えつつ、地域に根ざしたネットワークが在宅避難者の細かなニーズを拾う。そうした情報を行政や大きな支援組織が吸い上げる仕組みがまだ弱いという。システムとして支える部分と、民間が機動的に動く部分をどうつなぐかが、今後の課題だ。

 その橋渡しに生きているのが、10年間で培われた「顔の見える関係」でもある。今回の現場でも「10年前に会いましたよね」と声を掛けられることがある。行政や支援団体、地域の教会と一緒に働いてきた経験そのものが、YMCAへの信頼につながっている。

 そして、その10年前は丸目さん自身の信仰にとっても転機だった。2016年熊本地震の前年に洗礼を受けていた。もともと、人に頼らず「自分でがんばります」「大丈夫です」と抱え込むことが多かった。だが、自らも被災しながら避難所を担い、全国から駆け付けた仲間に助けられる中で、その考えが変わった。

 「『大丈夫?』って聞かれたら、普通は『大丈夫』って答えるじゃないですか。でも、あの時は意識して『大丈夫じゃない』と言うようにしたんです。そうしたら、『じゃあ、休まないとね』と助けてくれる人が出てくる。クリスチャンになって、委ねること、人を頼ることを覚えました。自分の力で何でもできると思い込んでいたんだなと」

全国各地のYMCAや日本YMCA同盟から派遣されたスタッフらと

 2度の熊本地震を経験して、受洗していて良かったと思うようになった。自分の力だけで乗り越えなくてもいいこと、人に助けを求めてもいいことを、災害のただ中で実感した。避難所対応に追われ、発災後は所属教会の礼拝にもほとんど出られていない。それでも仕事を終え、車で帰る途中に「今日もいろいろあったけど、ありがとう神様」とこぼすことがある。「自分の力じゃないな」と思えるようになり、経験を重ねた今も、どこかに「きっと大丈夫」という感覚があるという。

 それは、支援する側とされる側を固定したくないという避難所運営の姿勢にも重なる。

 「何でも言えばやってくれるホテルみたいにはしたくない。『私たちは一緒に避難所にいる仲間』と伝えたい。避難された方々にも、できる人には『手伝って』と遠慮なく言うようにしています」

 自分だけで背負わず、人を頼り、役割を委ねる。10年前に身をもって覚えたその姿勢は、3度目の避難所運営にもつながる。「大丈夫じゃない」と弱さを素直に見せること、信仰と信頼が、人と人とをつなぎ、ともに支えるための力になっている。

*「熊本地震レポート」として現地を取材した模様を連続してお届けします。

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