【熊本地震レポート②】 「身の丈に合う支援」を 地域教会つなぐ九キ災10年の教訓 2026年9月24日

2016年の熊本地震を契機に設立され、10年間にわたって九州各地の災害支援に携わってきた九州キリスト災害支援センター(九キ災)。今年4月末で主な活動を終了し、NPO法人としての解散手続きを進めていた。その矢先の7月28日、熊本を再び大地震が襲った。九キ災は当初の方針を変更し、8、9月の2カ月間に限定して緊急支援を再開した。
しかし、10年前と同じ方法をとったわけではない。「身の丈に合う働きをさせていただく」。九キ災副本部長の諸藤栄一さんは、今回の支援方針をそう表現する。
発災後、九キ災は有明バイブルチャーチ(荒尾市)をはじめ、益城、宇土、宇城など4カ所に物資の中継地点を設置した。10年前から培われてきた牧師や教会との関係があったことで、迅速に拠点を置くことができたという。現在は物資の提供、被災家屋の片付け、炊き出しなどを続けている。八代市では県内の教会が協力し、避難所で食事やコーヒーなどを提供。教会員の家族や親族が被災しているという情報を入り口に支援先へ入り、そこから一般の支援団体との連携にもつながっていった。
「ゼロからの関係ではないところから入れた」のは大きかったと諸藤さんは振り返る。2016年の熊本地震以来、キリスト教以外の支援団体とも築いてきた関係が今回も生きた。「この10年の積み重ねが、今の働きにもいい形で連携としてつながっている」
その輪は、これまで九キ災と直接のつながりがなかった教会にも届いた。八代市の単立八代聖書教会。教会に約50年近く通い、現在は役員として支える大矢一英さんは、自身の家も土台や柱がゆがみ「半壊に近い」状態になった。教会員も多くが被災した。

発災直後に九キ災の支援で助けられたと語る八代聖書教会の大矢さん
九キ災との直接の出会いは今回が初めて。8月初旬、スタッフが教会を訪れ、水や食料、炊飯器などを届けた。さらに「片付けとか手伝います。助けが必要な方がいたら教えてください」と声をかけられ、家具が倒れて室内が散乱していた80代の教会員宅などの片付けを依頼した。
当時、行政による一般ボランティアの受け入れ態勢はまだ整っていなかったという。「ボランティアが入るまではまだまだ時間があった。九キ災の人たちが最初だった」。スタッフからかけられた「私たちは同じキリストの体ですから」との言葉も忘れられない。「本当に感激でした」
単立八代聖書教会は近年、他教会との日常的な交流も限られていた。それだけに、全国の教会から祈りや物資が届いたことは驚きだった。「知らない人たちのところが、こんなに祈ってくれてて、たくさんの支援をしてくれるんだなと」。支援を受ける経験が、自分たちから周囲へ目を向ける契機にもなった。「やっぱり人的支援が一番助かった」と語り、祈りや物資だけでなく、困っている場所へ実際に人が来ることの重みを強調した。
九キ災は今回、支援に来る人を無制限には受け入れなかった。ボランティア募集を基本的に熊本県内と九州内に絞ったのである。全国から参加希望が寄せられたが、活動期間は9月末まで。現場を受け入れるスタッフも限られている。人数を増やせば、それを調整するスタッフや地元教会が疲弊する。

自ら焙煎したコーヒーを振る舞う諸藤さん(中央)
それも10年前から得た教訓だった。「気持ちとしては全国から来ていただきたい」。それでも、自分たちが担える範囲を超えない。諸藤さん自身、2016年の熊本地震ではボランティアとして入り、その後長期スタッフとなった。熊本ベースのディレクターも務めたが、活動3年目の2018年にバーンアウトし、うつ状態を経験した。
被災地には、手を付けようと思えばいくらでも課題がある。動いても動いてもニーズはなくならない。当時について「神様のやる領域まで自分がやりすぎた」と振り返る。自らの許容量を知り、人に頼り、時には「やらない」と決めることも必要だった。
今回は九キ災が前面に立ち続けるのではなく、「熊本の教会を励まし、教会が地域とつながり、それを九キ災がサポートしていく」構図を意識した。県内の牧師らに意見を聞き、どのような支援なら地域教会と共に続けられるかを話し合って活動方針を決めた。急性期の緊急支援が終わった後、先々を見据えれば、そこに残る教会を支える方が重要だと考えた。
この10年間の変化を目の当たりにできる場所の一つが、今回も支援拠点となった益城町の木山キリスト教会だ。
牧師の松尾献さんによると、今回の地震で教会では食器が大量に割れ=写真最上部、照明やスピーカーが損傷し、壁にも亀裂が入った。それでも礼拝を続けられる状態は保たれた。「初動においても、10年前に経験した教訓はすごく大きかった」。10年前からの大きな変化として挙げるのは、「教会が地域に出て行く」ようになったこと。
以前は「教会に来てください」と案内することが中心だったが、2016年の地震で地域全体が傷つく中、教会員が自ら外へ出て支援するようになった。地域へ出向いて住民と交流する活動も生まれ、その関係は10年後の今も続いている。「自分たちも役に立った」という実感は教会員を変えた。地域からも「あの教会、いいことするね」と評価されるようになり、人が足を運びやすくなったという。

支援拠点となった木山キリスト教会の松尾さん(左端)
諸藤さんも、災害支援を通じて同じことを教えられたと口をそろえる。「被災の現場に行けば行くほど、私たちができることは限られると思い知らされる」。しかし、大きなことをするより、「そこに届いていく」ことの方が大切ではないか。そうした視点をこの間の支援で学んできた。
同時に、地域教会の牧師自身も被災者だという問題を再確認することになる。今回、松尾さんの自宅も停電。猛暑の中、家族の生活を守りながら、信徒の安否を確認し、教会を片付ける。国内外から安否を問う電話やメッセージが相次ぎ、翌日には支援関係者のオンライン会議も始まった。
「この種の疲れに、割と早めに感知できた」ことが幸いした。家族のこと、教会のこと、支援のことが同時に押し寄せる。善意の問い合わせに応えるという負荷。友人から「疲れてるよ」と指摘され、松尾さんは「これ以上、ミーティングには出ない」決断。教会役員にも相談し、直後に予定されていたキャンプ奉仕には予定通り出かけた。
松尾さんは「一定の期間、現場から離れることも大事」と話す。被災した牧師に「休んでください」と言うだけでは、教会や信徒の姿が見える場で結局休めない場合もある。支援する人を守らなければ、支援そのものが続かない。
諸藤さんのバーンアウトも、松尾さんが感じた発災直後の疲労も、10年前と今回をつなぐ重要な教訓を示す。「できることを全部やる」ことが、必ずしも長く地域を支えることにはならない。
九キ災は9月末で今回の緊急支援に区切りをつける。10年前の熊本で始まった働きは、本来なら静かに役割を終えるはずだった。それが再び熊本で支援することになり、「最後まで走り切れという意味かも」と諸藤さんは受け止める。
九キ災としての活動が終わった後、地域教会がどのような形で支援を続けられるのかは現在も模索中。被災地へ出て行く。困っている人に届く。無理をし過ぎず、次へ託す。支援を受けた教会も、今度は周囲へ目を向ける。10年を経た九キ災の支援は、支援する側とされる側を固定せず、地域に新しいつながりを残そうとしている。9月末の「区切り」は、その関係を地域教会へ手渡す節目でもある。

九キ災スタッフによる被災家屋の片づけ作業















