「正しさ」は一つではない 宗教的な問いをサブカルから 広島で〈問いを旅する〉第2弾 2026年10月2日

キリスト新聞社の創刊80周年と、佼成出版社が運営する「ちえうみ」の3周年(佼成出版社60周年)を記念したコラボ企画、シリーズ「宗教と社会の対話〈問いを旅する〉」の第2弾「宗教×サブカル×世界平和 マンガ・アニメ・信仰から問う『平和』のカタチ」が9月21日、日本聖公会広島復活教会(広島市中区)で開かれた。北海道・札幌で宗教、医療、福祉、地方創生をテーマに開かれた第1弾に続き、今回はマンガやアニメ、ゲームなど身近な物語を入り口に、「正義」「生と死」「救い」「他者」「平和」といった宗教が長く向き合ってきた問いについて語り合った。
登壇したのは、カトリック防府教会主任司祭の大西勇史氏、仏教学を専門とする広島大学大学院准教授の大谷由香氏、曹洞宗八屋山普門寺住職で臨床心理士の吉村昇洋氏。「キリスト新聞」編集長の松谷信司が進行を務めた。カトリック司祭、僧侶、仏教学者、プロテスタントのキリスト教メディア編集者が聖公会の教会に集うという、宗派・宗教の枠を越えた対話となった。
議論の出発点となったのは『葬送のフリーレン』。大谷氏は、勇者ヒンメルの死後、時間がたつにつれて本人の実像を離れた伝説が付け加えられていく描写を、開祖の死後にさまざまな物語や伝承が重なり、宗教的な人物像が形づくられていく過程と重ねた。そこから聖人や聖遺物、寺院に残る伝説、「推し」を自らの生き方の規範とする現代の「推し活」にまで話題が広がった。
大西氏は『ONE PIECE』について、絶対的なヒーローとしてのルフィだけでなく、弱さや迷いを抱える仲間たちが描かれているからこそ共感できるとし、失敗し、裏切り、眠り込む弟子たちまで描いた聖書との共通性に言及した。また『おやすみプンプン』に登場する、呼びかけても必ずしも答えてくれない「神様」を取り上げ、答えが得られなくてもなお呼びかけ続ける主人公の姿に、自らの信仰感覚と通じるものがあると語った。大谷氏も、現代のマンガやアニメ、ゲームの中には、神や仏との関わりを考えるヒントが数多くあり、それを見つけながら作品を読むことが面白いと述べた。

こうした対話から浮かび上がったのが、混沌とした時代において、宗教が長く扱ってきた問いが、必ずしも教会や寺院、宗教書を通してではなく、サブカル作品を介して人々に届けられているという現実だった。神とは何か。人はなぜ苦しむのか。死をどう受け止めるのか。善悪や正義は一つなのか。他者とどう共に生きるのか。そうした問いは、若い世代を含む多くの人にとって、マンガやアニメ、ゲームの物語を通して触れる方が身近になっている。
その一方、宗教界を含む社会の側には、文学や美術など「メインカルチャー」とされるものに比べ、マンガやアニメ、ゲームといったサブカルチャーを一段軽いものとみなす傾向が残っていることへの違和感も語られた。
吉村氏は、かつて「小説は素晴らしいが、マンガは人間をだめにする」とする言説が真剣に論じられていたことを紹介。「小説は素晴らしく、マンガはだめ」という価値判断は、表現形式の違いをそのまま優劣に置き換えたものだと指摘した。さらに、一度固定化した価値観によって「自分に合わないものはだめ」と思考停止してしまうことは、文化に限らずさまざまな場面で起こり得るとした。
大西氏も地域の飲食店などと協働して開催しているイベント「サビフェス」などの経験を通じ、むしろ宗教界の方が社会からエンターテインメント性やデザインを学ばなければならないと実感しているという。「我々の界隈」はそうした面が弱すぎるのではないかと問題提起した。
かつて教会は新しい音楽や文化に触れられる場所でもあった。ところが、教会の外に魅力的な文化や娯楽があふれるようになった現在も、宗教界の側が「高尚な文化/低俗な娯楽」という序列を引きずっているとすれば、人々が実際にどこで生きる問いに出会っているのかを見失いかねない。サブカルを宗教の教えを分かりやすく説明するための「教材」として利用するだけでなく、そこですでにどのような宗教的、倫理的な問いが発せられているのかに耳を傾ける必要性が浮かんだ。
主題の一つでもあった「世界平和」をめぐり吉村氏が紹介したマンガ『怪獣を解剖する』では、倒された怪獣を危険だから直ちに処分するべきか、将来の危機に備えて解剖し、生態を研究するべきかという、どちらにも理由のある立場が対立する。
「私たちは一つの問題に『正解は一つ』と考えがちだが、実際には複数の正しさが存在する場合がある」と吉村氏。相手にもまた正しさがあると理解した上で、どのように対話を続けられるかが重要ではないかと問いかけた。単純な勧善懲悪ではなく、異なる立場から世界を疑似体験できるマンガやアニメは、複数の「正義」を考える思考実験にもなり得る。
自分自身の「どうしようもなさ」を見つめた上で、それでも他者とどう共に生きるか、より良くあるとはどういうことかを考える営みは、仏教にもサブカル作品にも見出せると語った。

終盤には、開催地である広島を意識し、戦争の記憶をマンガやアニメがどう伝えてきたかにも話が及んだ。会場からは、『機動戦士ガンダム』などで知られる安彦良和氏の作品や『この世界の片隅に』を例に、マンガやアニメが世界平和や人間の尊厳を伝える力について意見が寄せられた。
大谷氏は広島へ向かう道中に『はだしのゲン』を読み返したという。作中では、原爆で傷ついた人々が南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、アーメンなど、それぞれが身につけてきた宗教の言葉で祈る場面が描かれる。戦争や原爆の悲惨さを文字だけで伝えることには限界があり、映像では直接的すぎる場合もある中、マンガだからこそ伝え得るものがあるのではないかと話した。
大阪から参加した40代男性は今回の企画を振り返り、「日本の漫画アニメ産業は、もはや主たる輸出文化であり、宗教こそがサブカル化して久しい」と指摘しつつ、世界に目を向ければ茶化すことのできない、それぞれの宗教の核心こそが平和を毀損しており、「日本のサブカルが海外で社会の主流から外れた子どもや青年の救いとなっていることに驚いた。サブカルとしての宗教、神道や仏教、日本のキリスト教が、海をわたってどこまで平和に貢献できるのか考えさせられた」と話した。
一つの「正しさ」に飛びつくのではなく、自分とは異なる物語や正義を想像し、答えの出ない問いを抱え続ける。その力を平和へどうつなげられるのか。原爆の記憶を伝えてきた広島で開かれた第2弾は、サブカルを通して平和を考えると同時に、宗教界自身が文化との向き合い方を問い直す機会ともなった。
シリーズ第3弾は10月23日午後7時から、浄土宗大蓮寺塔頭應典院(大阪市天王寺区)で開催。「宗教×AI×精神医学 魂はデータに還元できるか――知性・意識・祈りをめぐる問い」をテーマに、釈徹宗氏(僧侶・宗教学者)、名越康文氏(精神科医)、脇屋国継氏(AIコンシェルジュ)が登壇する。定員100人、参加費1千円。申し込みは以下のバナーから。
















