【書評】 『死を友として生きる』 ヘンリ・ナウエン 著、廣戸直江 訳、中村佐知 解説

 霊性を呼び覚ます真摯な言葉で、信仰の如何にかかわらず幅広く読まれているカトリック司祭ヘンリ・ナウエン。イェール大学、ハーバード大学で教鞭をとった後、晩年はカナダのラルシュ共同体に移住して過ごしたが、この世を去る数年前に、死に関する著作『最大の贈り物』と『鏡の向こう』を著した。本書はその2作を収録し、「死ぬことを生きることと同じくらい自分のものにする」手がかりを提示する。

 本邦初訳の『鏡の向こう』は、ナウエンが交通事故で死に瀕したことをきっかけに書かれた。人の小さな不親切に憤慨して、意固地になって凍った道を急いで歩いた時に、車にぶつかって大けがを負ったのだ。すぐにICUに運ばれ、大手術の末に助かったが、意識を取り戻したナウエンが感じたのは、「遣わされた」という思い。真実に生きて証しをし、「知らせる」ためにこの世に送り返されたことを悟ったと述懐する。

 「死に直面して私が悟ったのは、私を生に固執させるのは愛ではなくて、解決されていない怒りであるということでした。私から流れ出す真実の愛、あるいは私に向かって流れてくる真実の愛が、私に死を受け入れる自由を与えてくれます。死はその愛を消し去ってしまうのではありません。反対に、死は愛を深め強めます。私が心から愛した人、そして私を心から愛してくれた人は、私の死を悲しんでくれるでしょう。でも私と彼らとの絆は、そのことを通して、より強く深くなっていくに違いありません。彼らは私を思い出し、私を彼らの仲間の一員とし、私の魂を伴って自分たちの旅を続けていくでしょう」

 生と死の間で宙づりになっていた時は、大学で教え、国内外で講演をしたことも、たくさんの本を書いたことも、彼に何の慰めももたらさなかった。死は、人がまとっているアイデンティティのうわべの層をごっそりとはぎ取ってしまう。しかしそんな時、ナウエンが「私は誰?」と問うと、自分に直接語りかけてくる言葉が聞こえた。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」――。

 通常、死は魅力を感じさせる主題ではなく、人生に暗い影を落とすものとして人は避けようとする。しかし、ナウエンにとっては死に向き合うことが、「私は誰?」と問いかける鏡となった。そしてその向こう側に目を向けること、すなわち死を意識することが人生の豊かさにつながるのだと発見した。

 亡くなる2年前に上梓された『最大の贈り物』には、さらに思索を深めた内容が綴られている。死は人生の終わりではなく、生の違った形であるという考え方はカトリックの基本だが、ナウエンは体験からあふれ出る生きた言葉で語ることで、読む者に深く「知らせる」。知的障がいを持つ人と持たない人が共に生きるラルシュ共同体で、親しい人たちが召されるのを見送った彼は、よりよく死ぬことと、よりよいケアについて省察する。

 「死を迎える人によいケアをするためには、自分がそうであるように、その人たちも愛されていることを心から信じなければなりません。そして、一緒にいることによってその愛が伝わるようにしなければなりません」

 人にはケアの賜物が与えられているのだとナウエンはいう。しかし、この賜物は意識して選択した時に初めて目に見えるのだと。死にゆく人を見て恐れおののき、何も変えることができないのに近づくよりは、まったく近づかない方がいいと思える時もあるが、死にゆく人から逃げ出してしまっては、自分に与えられているケアの賜物を使うことができない。尊い賜物を埋もれさせず、自分の死すべき運命と共に、他の人々の死すべき運命をも受け入れて、賜物を生かす選択をすべきだと語る。

 1996年、心臓発作により64歳で死去したヘンリ・ナウエン。福音への確信に裏づけられたその温かい言葉は、いまも人々に同伴し、旅を続けている。

【書評】 『今日のパン、明日の糧 暮らしにいのちを吹きこむ366のことば』 ヘンリ・ナウエン 著/嶋本操 監修/河田正雄 訳/酒井陽介 解説

【2,420円(本体2,200円+税)】
【日本キリスト教団出版局】978-4818410954

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