【宗教リテラシー向上委員会】 「預言カフェ」の挑戦(3)「預言」が当たるワケ 川島堅二 2020年4月1日
宗教法人ARISE5東京キリスト教会が運営する預言カフェのSNS上での評判はかなり高い。
試みに「♯預言カフェ」でツイッター検索をしてみよう。「素敵な言葉もらったよ」「評判どおりでやっぱり凄かった~」「めっちゃ癒される一日でしたぁ」「黙って座っただけなのに、なぜ私の事が分かってしまうんだろう?」「今、私が欲しい言葉を頂いて、浄化の涙が溢れた。また行きたい」などの投稿が多数出てくる。そして、投稿者の大部分はキリスト教や聖書とはそれまでまったく無縁な人々である。
そのような人たちに「凄い」「当たっている」といわせる理由を、私自身が2008年から2020年まで計6回、このカフェで実際に聞いてきた「預言」をもとに考えてみたい。
カルト宗教の正体隠しの勧誘行為がマスコミの注目するところとなり、多くの大学生やその親御さんの相談を受けていた2008年に聞いた「預言」の一節は次のようなものだった。
「あなたは指し示す者です。よきアドバイザー、客観的にものを見て、どのようにしたらよいのか、そのように指導する者としてあなたを造りましたよと主は言われます」
「あなた自身その体を使って入り込んでいくフィールドを探していくと主は言われます。(略)あなたがそこで動くことによって、人々が立ち上がっていく、元気を失った人が、またもう一度立ち上がって、元気になって、励まされて出て行くように、私は準備していますよと主は言われます」
非常に消耗するカルト問題に踏み込むべきなのかどうか、迷っていた当時の私にこの「預言」が多少なりとも後押しになったのは間違いない。
大学の学長職についたころの「預言」。「あなたがしっかりとした足取りで登ってきた階段、それはしっかりと築かれていることを知りなさいと主は言われます。もうあまりにも高く上がってきたので、あなたの初めのころのことを忘れてしまっているかもしれないけれども、初めのころに思いを向けるときですと主は言われます」
さらに管理職として困難な判断を強いられていた時の「預言」。「何か狭いところに閉じ込められて、態勢が窮屈になっているあなたの状況に対し、私があなたを助けようと主が言われています。その狭いところを通り抜けることはとても困難なことかもしれない。しかし、そうした状況にあって自分の無力を恥じる必要はない。私はあなたを愛し、あなたを大切に思っていますよと主は言われます」
当時、これらの言葉に慰めと励ましを与えられたのは事実だが、今、振り返るとそれなりに人生を生きてきた人なら誰にでも当てはまる内容と言えなくもない。
このカフェを運営している吉田万代牧師によれば、この「預言」の聖書的根拠は「預言する者は、人を造り上げ、勧めをなし、励ます」というパウロの言葉(コリントの信徒への手紙一14:3)だ。したがって否定的なことは語らず、積極的な「励まし」と「慰め」になる言葉を語るように心がけ、さらに「~しなさい」「~するな」といった具体的指示はあまりしないという。この抽象性ゆえに「預言」は聞き手に大きな解釈の余地を残すのだ。
このことが、カフェのメニューを高価格帯に設定し客層の限定、均質化をはかることとの相乗効果で「預言」が「当たる」という高評価を生む原因になっている。
かつて街頭で手相占いによる宗教勧誘をしていた人が、被勧誘者の手を取って「誤解されやすい性格ですね」「本当は心の温かい人なのに『冷たい』って言われませんか」というと、多くの人が「よくわかりますね」と言って食いついてきたと語っていたが、預言カフェの「預言」が「当たる」というのもそれと幾分類似した心理なのかもしれない。(つづく)
川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。