【映画評】 ベンガルの大地は歌う 『タゴール・ソングス』 Ministry 2020年6月・第45号
なんと芳醇な一篇だろう。
水と緑の大地ベンガルは、かつて世界で最も豊かな土地と謳われた。本作は、この大地を生きた詩聖ラビンドラナート・タゴールの息吹が、今日バングラデシュとインド西ベンガル州とに隔てられたこの地で暮らす人々の心奥へ、なお深く根づいている様を映しだす。その光景を、市井にあってふとタゴール歌を口ずさむ人々の表情のうちへ描き込む周到さ。製作者の思い入れや専門家の含蓄に牽引される展開ではなく、はにかみながら路傍で歌いだすサリー姿の婦人や、乞われて朗唱しだす夜市の少年に全編の主旋律を託す大胆さ。この珠玉の一篇を編みあげた監督・佐々木美佳は、これがデビュー作となる若干26歳というから驚かされる。
実質3000万人都市ともされるコルカタのシンボルであるハウラー橋から、映画は始まる。デリーやムンバイへつながる遠距離列車のターミナル駅と旧市街中心部とをつなぎ、ガンジス河口部の支流フーグリ河を渡すその鉄骨が夜明けの闇なかを背に浮かびあがる端景は象徴的だ。この橋をゆくインドの国民車アンバサダーのタクシー車内には、ラジオからタゴール歌謡が響いている。そこから映像は、インド国歌斉唱に湧くサッカースタジアム、スタジアムを映す街頭テレビ前で合唱する群衆へとシームレスに移行して、夜のコルカタ街路を流れてゆく。そして白昼のダッカ市中を背景に、バングラデシュ国歌《わが黄金のベンガル》が流れだす。両国の国歌はともに、タゴールの作詞に基づいている。
大英帝国はその全盛期、西はパキスタンから東はミャンマーへ及ぶ英領インドの心臓部をコルカタに置いたが、統治力に衰えが見えるとこの地の肥沃さを基盤とする独立への機運を恐れ、強引な分断政策を敷いた。日本の歴史教育では、バングラデシュ(旧東パキスタン)の分離独立は戦後のヒンドゥー・イスラム間の宗教対立へと雑駁に因子を紐づけられがちだが実態はかなり異なっており、この分断に全身全霊を賭け抗ったタゴールは、この面でも人々の内心においてベンガル統合の象徴となっていった。
しかし彼が今日も民衆に心から愛されているのは、そうした政治史的身振りゆえではない。詩歌の奥行きこそ人々がなおタゴールへ惹かれる根本の理由であり、映画は中盤以降この詩性の核心へ分け入ってゆく。芸術家のスタイルは当人の生き様に直結するが、伝統に忠実な土着様式からフォーク、ヒップホップまで本作に登場する音楽家は多岐多世代に及び、タゴールに借材するその誰もが全く借り物の表現にはなっていない。それはタゴール詩のもつリズムや表現性に、あらゆる様式を阻害しないだけの普遍性が内在するからだ。詩はまずもって言葉である。ノーベル文学賞獲得へ至る過程では、タゴール自身が翻訳の困難に拘泥したことがよく知られる。これに対して、「タゴールの詩は誰にも理解しきれない。だからこそ伝える義務がある」と複数の音楽家が本編中で語ることは意味深く感じられる。
《詩》の翻訳が困難であれば、《歌》の翻訳は一層難しい。それはロジックが通れば言語が切り換わっても理解される論文と異なり、詩においては韻律や行間までもが表現性の幹へ多重的に根差すからだが、歌の場合は音階や音色の表現軸がさらに加わる。したがってベンガルの芸術家にさえ「理解しきれない」と吐露されるタゴール歌の歌詞を外国人が読んだとして、そこから歌本体について読み取れるものはかなり貧しいと言わざるを得ない。これはタゴール詩への親しみをもっていた筆者自身が、タゴール歌の日本語訳/英語訳をあらためて読み抱いた感想でもある。タゴール詩は頭で理解せずともその深淵さが単語選択の端々から十全と感じとれるが、歌詞の羅列は詩ほどに豊かな像を結ばない。
この点で、市井の人々を含めたあらゆるジャンルの歌い手がタゴール歌を口ずさむ本作『タゴール・ソングス』の達成は真に意義深い。ベンガルから遠い観客の多くはその客席で、初めて歌詞もメロディも一体となった表現の全体を受けとれる。さらに少し異なる射程から付言するなら、この達成を遂げた監督・佐々木美佳が東京外国語大学のベンガル語専攻出身者であることは、人文系の失墜が叫ばれる昨今もっと注目されても良い点だろう。代理店誘導のクール・ジャパン興行などよりこれからは、こうして腰の据わった胆力こそ新興国が持たない日本の強み、国家資産となり得るからだ。
さて今日の日本におけるタゴールの知名度は長らく、専らアジア人初のノーベル文学賞受賞と、岡倉天心ら明治の文化人・知識人との交流に依ってきた。例えば2008年新たな日本語訳が出版された詩集『迷い鳥たち』(”Stray Birds” 内山眞理子訳 未知谷)は、初来日時1916年の横浜・三渓園への2カ月半に及ぶ逗留中に書かれたもので、明らかに俳句・短歌の形式が意識されており、他の詩作に比べ表現の切り詰められた見事な短詩集となっている。
それに先立つ横山大観や菱田春草らのタゴール邸滞在は、彼らの日本画表現に深い影響をもたらすとともに、のちのインド映画史における巨匠サタジット・レイへも連なるベンガル・ルネサンス運動に、視覚表現面での滋養を供した。
ちなみに一般層へ向け初めにタゴール紹介の記事を書き出したのは、内ヶ崎作三郎(のち衆議院議員)や吉田弦二郎などキリスト教系「六合雑誌」に関わるクリスチャンたちだった(丹羽京子『タゴール』に詳しい)。
また日本人未踏の地であったチベットへ旅し、ダライ・ラマの治めるラサへ滞在したことで知られる河口慧海が、その旅の途上でタゴールの下を訪れる様は慧海の主著『チベット旅行記』にも登場する。しかし欧米列強に抗してがっぷり四つに組む明治日本へタゴールが抱いた敬愛の眼差しは、やがてその日本が軍事拡張への傾斜を強めだすことで失望へと転じゆく。
このタゴールが、自身の創作をめぐるルーツの一つとしてしばしば言及するものに、バウルの存在がある。バウルは遍歴の吟遊詩人にも近い存在で、非定住の彼らはヒンドゥーに比べかなり秘教的な様相も漂わせ、今日もベンガル地方では誰もが知る社会属性の一つとして存続する。タゴールはある論考でバウル歌の一つをとりあげ「自身の人間性のなかに無限のものを実現しようとする歌い手の希求が表現されている」と指摘する。在来の芸術的心性に対するこうした視線は、日本で言えば《民藝》概念を創出した柳宗悦や、鈴木大拙『日本的霊性』における浅原才市への熱い目線を想わせる。
これに関連して、タゴール本人によるタゴール歌とバウルとの関わりを巡る論考「あるインドの民間宗教」は、以下の結語で締められる。
天におわします神々でさえ、人間をうらやんでいる、とかれら(筆者注:バウル)は主張する。なぜか。神の意志は、愛をあたえることであるが、それに対して愛を返そうとする人間の意思があってこそ、それが完結するのだから。ゆえに「人間であること」は最上の真理を完成させるために不可欠な要因なのである。「無限のもの」は、それ自身の顕現のために数多くの「有限のもの」へとおりてくるのであり、「有限のもの」はその自己達成のために、「無限のもの」との一致 unity をもとめて上昇していかなければならない。そうしてはじめて「真理の循環 the Cycle of Truth」は完結するのである。(「あるインドの民間宗教」『わが黄金のベンガル』所収)
驚くべきことながら、上記引用部における「有限のもの」から「無限のもの」への対置と方向性は、かつてテレンス・マリック『名もなき生涯』をめぐる本紙記事(2020年4月1日↓)で述べたドイツの神学者ボンヘッファーによる提唱概念の一つ《究極的なもの》(die Letzten)と《究極以前のもの》(die Vorletzten)との対置にほぼ相似する。信仰も人間の表現形態に他ならず、とすれば近代的精神と芸術表現の始原性との鋭い相克を生きた彼らが人間の底に同じものを見つめ、またそれは近代合理性への奴隷化を完了させた今日の人間が容易には直視し得ない何かだとしても不思議はない。『タゴール・ソングス』の終盤、タゴール歌の弟子への継承に誇りをもつ伝統的奏法の師匠が「そろそろ旅立たねばならない」とつぶやき、土埃舞う道を歩き去る場面が登場する。その後ろ姿はあたかも、下界での務めを終え「無限のもの」への合一を目指すバウルの精神そのものにも映る。
タゴール一行は六月十六日にロンドンに到着、ホテルに投宿したが、そこではだれもが「目に見えない不安という圧力に操られている」人形のようで、「ベルが鳴ると、人形たちは一斉に食堂へ行き、新聞をひろげて顔を隠したまま食事をとり、機械的に時計を見てとびあがり、ひょいと帽子を頭にのせて、たちまちのうちに姿を消す」のだった。(森本達雄「ギタンジャリ」解説 『ギタンジャリ』所収)
英国植民地政府の分割政策への反対運動は、タゴールの眼前で急進派と穏健派の対立から内紛に陥った。このことに神経を摩耗させたタゴールは1912年、友人の誘いにのり英国へと旅立つ。だがそこで目にしたものは、産業革命の先端を走りつづけたロンドン市街にうごめく、「人形」化しつつある人々の群れだった。これより半世紀前、のちカール・マルクスとの共著『資本論』を世に問うフリードリヒ・エンゲルスは、二十代半ばで目撃したこの光景を、以下のように記している。
これらロンドンの市民が、彼らの都市にあふれているあらゆる文明の驚異を実現するために、みずからの人間性の最良の部分を犠牲にしなければならなかったということ。彼らは、まるでお互いになんの共通点もなく、お互いになんの関係もないかのように、肩を触れあわせながら走り過ぎていく。この残酷な無関心、各個人が自分の私的関心にとらわれて無感情に孤立しているさま(フリードリヒ・エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の現状』)
夏目漱石がロンドンに留学中、重度のメランコリーに襲われて周囲との交流を断ったため、発狂の噂が日本にまで流れたという話はよく知られる。タゴールやエンゲルスが目にしたのと類似の奇妙さに、漱石もまた当てられたのだろう。しかしそれから100年後の私たちは、この奇妙さをとうに自明のものとして、その内面化を完了させているかにみえる。2020年のコロナ禍は、この自明性をつかのま揺るがせにはするが数年後はどうだろう。見通しが明るいとは言いがたく、すべてが元通りになったあと人形化は益々進み、非人間の群れうごめく未来の到来は、現状避けがたく思われる。
人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。(夏目漱石『草枕』)
こうした人間と近代との鋭い相克を、現代インドの政治局面で最も烈しく生きた一人がマハトマ・ガンジーであることは言を俟たない。タゴールとガンジーは個別の意見水準では相容れないものも多かったようだが、8歳年下のガンジーはタゴールを人間的に敬愛し、老いても精力的に活動するタゴールの健康を気遣うあまり、その晩年には強く諌めさえしたという。映画『タゴール・ソングス』の本編中で最も多く繰り返される歌に《ひとりで進め》があるが、ガンジーはこの歌を殊に好み、分離独立の嵐が覆う東ベンガルの地を赴いた際にもこれを歌いつつ各地を練り歩いたという。
ひとりで進め
もし君の呼び声に誰も答えなくとも ひとりで進め
ひとりで進め ひとりで進め
もし誰もが口を閉ざすのなら
皆が顔を背けて 恐れるのなら
それでも君は心開いて
本当の言葉を ひとりで語れ
もし君の呼び声に誰も答えなくとも ひとりで進め
もし皆が引き返すのなら
もし君が険しい道を進むとき
誰も振り返らないのなら
茨の道を 君は血にまみれた足で踏みしめて進め
もし君の呼び声に誰も答えなくとも ひとりで進め
もし光が差し込まないのなら
嵐の夜に扉を閉ざすのなら
それでも君はひとりいかづちで
あばら骨を燃やして 進み続けろ
このタゴール歌《ひとりで進め》の歌詞を聴いて、きっと少なくない日本の観客は仏陀による「犀の角のようにただ独り歩め」の語を想起するだろう。その連想は間違っていない。タゴールの代表的詩集『ギタンジャリ』はその実、生きとし生けるものへの讃歌や世界と他者への慈愛に満ち、さながら仏教外伝に触れるようである。
それでも君はひとりいかづちで あばら骨を燃やして 進み続けろ
この結語などはまさしく仏伝における、自らを灯明とし法を灯明とする自灯明・法灯明の教えそのものに感じられるが、この極東の地においてそのように感じさせるイメージの喚起力こそタゴール作品の底力なのだとも言える。ちなみに複数ある『ギタンジャリ』日本語訳のうち、タゴール研究者・森本達雄の訳書は本人が敬虔なクリスチャンである影響も顕著で、他訳に比べ心象的に聖書へやや寄っている。
ところでコルカタの貧民街に生涯を捧げ、2016年ローマ・カトリック教会により列聖されたアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ、通称マザー・テレサの言行録は日本でも多く訳出されている。それら残された言葉の束から聖書的要素を省いて見渡すと、実はこのシスターもまたタゴールへ通じる面が少なくない。たとえば孤立を恐れず妥協を忌む方向性(“ランプの灯を灯しつづけるには、絶えず油を注ぎつづけねばなりません”)、他者世界との関わりをめぐる姿勢(“助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう、気にすることなくしつづけなさい”)等々。
考えてみれば、自らの意思で修道院を出たマザー・テレサが新たに教会を開いたのは、コルカタ旧市街に広がるスラムのただなかであった。今も昔もそこに多く暮らすのは、イスラム国家として分離独立した東パキスタン(現バングラデシュ)までたどり着けなかったムスリム貧民層である。タゴールの死後半世紀にわたりその場で格闘しつづけたキリスト者の言の端に、タゴールの魂の片鱗をかすかに聴きとる。この自然。
アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツは、タゴール詩に宿る普遍をめぐり、以下のように記す。
これらの抒情詩は――インド人の友人たちから聞くところでは、微妙なリズムと、翻訳しがたい色彩の繊細さと、韻律の相違にみちているということだが――その思想のなかに、私が一生涯つねに夢みてきた一つの世界を顕している。最高の文化の所産でありながら、しかもそれらの詩は、雑草や燈心草のように、共通の土壌の産物のように思われた。(W.B.イェイツ「ギタンジャリ」序文)
映画『タゴール・ソングス』の中心的な登場人物のひとりに、ダッカで暮らす悩み多き青年がいる。いかにも俯きがちな文学青年といった風体の彼だが、走行中の列車の屋上で高らかにタゴール歌を歌い上げる場面では、天を仰ぎみて晴れ晴れしい表情を弾けさせる。映画全体のハイライトともいえるこの場面のもつ説得力は凄まじい。このように21世紀現代の若者の声そのものと化す明治唱歌を、少なくとも日本語はもっていない。
また筆者自身の経験からもよくわかるが、諸々整備不十分の南アジア圏で走行中の車輌屋根に上がることは、不慣れな人間には多大な危険を伴う。にもかかわらず、おそらく即興的にこのシークエンスを撮りきったのだろうスタッフと監督の判断に心からのエールを贈りたい。
このように『タゴール・ソングス』を観ていると、その端々から今なおタゴールが鮮明に日々を生きていることが実感できる。それは学生期の数度にわたるベンガル滞在で筆者が感得したものにも似て、敢えていうならば言霊にも近い、個を超えて遍在する生命力のごとき何かだと確信される。詩的言語を足がかりとした霊性の深化すなわち「無限のもの」への漸進をやめないその足音が、今なおここに響いている。
コルカタの溌剌とした女子大生オノンナは映画の終盤、明治期にタゴールが残した足跡を追って日本を旅する。その眼に映す光景や経験した出逢いへの想いの丈を、帰国便の搭乗口で彼女はタゴールソングに乗せ、スマホ越しに歌いあげ友へ伝える。晴れきったその立ち姿は監督佐々木美佳の鏡像に他ならず、百年の時を超え顕れるラビンドラナート・タゴール本人のうつし身そのものだ。(ライター 藤本徹)
*本稿執筆にあたり、佐々木美佳監督より数度にわたるインプットをいただきました。触発されるところの多い交信でした。ありがとうございました。
ポレポレ東中野ほか全国順次公開中
『タゴール・ソングス』 “Tagore Songs”
監督:佐々木美佳/All Songs by ラビンドラナート・タゴール
公式サイト:http://tagore-songs.com/
製作・配給:ノンデライコ
主要参考文献:
R・タゴール 『ギタンジャリ』 森本達雄訳注 第三文明社 1994
ラビンドラナート・タゴール 『ギーターンジャリ』 内山眞理子訳 未知谷 2019
Rabindranath Tagore “Gitanjali” Macmillan 1959
丹羽京子 『タゴール』 清水書院 2011
ラビンドラナート・タゴール 『迷い鳥たち』 内山眞理子訳 未知谷 2008
ラビンドラナート・タゴール 『わが黄金のベンガル』 内山眞理子訳 未知谷 2014
モンゴメリー ジョルジュ・サンド タゴール 『森』 ポプラ社 2010
『タゴール著作集』 第7巻,第10巻 第三文明社 1981-93
Mother Teresa “Meditations from a Simple Path” Rider Books 1995
ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論 (第5巻)』 岩波現代文庫 2003
夏目漱石 『草枕』 1906