【映画評】 身にまとう自由の奥行き、絹布の祈り。 『パピチャ 未来へのランウェイ』 2020年11月1日 

 アルジェリア内戦下の1990年代、服飾デザイナーを夢みる大学生ネジュマの企画するファッション・ショーが、壮絶な現実を生き抜く仲間たちの希望と化していく。好きな服も着られず、親しい人々が凶弾に斃れゆく徹底的な抑圧を体験した監督や製作出演陣による渾身の叫びを、『パピチャ 未来へのランウェイ』は一級の娯楽大作にも比肩する高水準の映像音響を通し体現する。

 映画の冒頭、ネジュマは夜な夜な友人たちと女子寮を抜け出し、スカーフを深くかぶることでイスラーム武装集団の監視をかいくぐると、白タクでクラブへと繰り出し踊り明かす。抑圧されつつも解放の時間を見いだす若い女性ならではの活力を、しかし情勢の変化が許さなくなる。街なかの壁に「女性の正しい服装」の図解チラシを貼り、バスに乗り込み「死にたくなければヒジャブをつけろ」と脅す武装集団の男たちは、街の失業者やゴロツキから構成され、若者世代が大半を占めている。

 自身が内戦期のアルジェリアで青春を過ごした1978年生まれの女性監督ムニア・メドュールは、大学生時にフランスへの移住を余儀なくされた。監督は「暗黒の10年」「テロルの10年」とも呼ばれる内戦下で起きた社会変化を、主人公ネジュマが映画内で体験する数週間の内へコンパクトに凝縮再現する。

 そもそもアルジェリア内戦は、フランスからの独立以降に起きた急激な人口膨張へ対応しきれない中央政府の無策への不満を、地方の反政府組織が糾合する形で始まった。武装集団の大半が無職の若い男性であるのもそれゆえで、映画前半部でジャーナリストであるネジュマの姉が白昼の自宅前で射殺されたように、彼らは組織の方針に従わない知識人層や肌を隠さない女性などを次々殺害した。

 ネジュマの情熱には理解を示しながらも「女のあるべき生き方」を説く生地店の店主が、状況の変化を受けてネジュマが好む色鮮やかな染織布を売らなくなる場面は印象的だ。“敬虔なムスリマが着用すべき布地”へと商品棚が入れ換わり、くすんだ雰囲気へ転じた店内で、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる店主はネジュマを諭しつつも「前の商品なら店裏のゴミ箱だ」と教える。社会の変容に従順でなければ生活の立ちゆかない、当時を生きた一般市民の苦渋がそこに表現される。

 本作のキーアイテムとなるのが、ハイクと呼ばれるアルジェリア伝統の絹布だ。シルク由来の白一色に輝くそれをネジュマの母が身にまとい、「こうしてカラシニコフを隠したの」と笑う。ちなみにこの母が若い頃に経験したアルジェリア独立戦争を描く名作『アルジェの戦い』(1966年)は、独立のシンボルとなったハイクに身を包む女性たちによる歓喜の雄叫びを響かせ幕を閉じる。世代を超えた女性の格闘を、こうして1枚の絹地が架橋する。その光景は、定住以前の牧畜狩猟採集の時代から滔々と流れる、衣服を巡る身体史の延長線上にある。服飾を第二の皮膚と定義したのはマクルーハンだが、刺青の呪術的側面を想起すれば明らかなように、まとう営みは祈りの精神性へと直に通じる。

 『アルジェの戦い』終幕時の「女性たちによる歓喜の雄叫び」はザカリート(زغروطة など)と呼ばれ、ひときわ甲高く連続するR音が空気を割るその嬌声は本作『パピチャ』にも登場し、アラブ世界で広汎に為される歓びの表現だ。中東を舞台とする映画やドラマでザカリートが流れる場面は実際多く、この1、2年その歓喜の声を銀幕の内から耳にするたび筆者の脳裡に呼び起こされるのは、レバノンの女性監督ナディーン・ラバキーの2018年カンヌ国際映画祭でのエピソードだ。ケイト・ブランシェットによりラバキーの審査員賞受賞が発表された瞬間、カンヌの会場には満場の拍手とともにザカリートが響き渡ったという(以下『存在のない子供たち』記事にて詳述)。 

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 レバノンもアルジェリア同様にフランス植民地時代が長く、準公用語として今日もフランス語が使用される。旧宗主国フランスのカンヌを舞台とした監督自身の肉声によるザカリートはしたがって、素朴な喜びの表現であると同時に、なお残る支配被支配構造への高らかな異議申し立てであった。

 『パピチャ』劇中では、主にアラビア語のアルジェリア方言が話される。先述した生地店の場面ではフランス語に寄ったアラビア語を話す店主に対し、主人公ネジュマがほぼフランス語の語彙のみで返すといったシーンも登場する。こうした言語・文化混淆下で引き起こされる右傾化をともなった反体制的風潮において、「フランス的」なもの全般への反発が生じるのは自明の理だ。女性の自由をめぐる闘いまでもがそこへ巻き込まれ、大きく後退を迫られる事態への怒りを、ナディーン・ラバキーと『パピチャ』監督ムニア・メドュールは明らかに共有する。

 1996年製作の『ラグレットの夏』(2020年3月12日記事/イスラーム映画祭5上映作)は、ユダヤ教徒、クリスチャン、ムスリマの3人娘を主人公とし、アルジェリアの隣国チュニジアを舞台に異教徒同士がともに自由を謳歌できた1966年を描く。直後に起きた第三次中東戦争以降の社会分断によりチュニジアはユダヤ教徒の住み難い国となりゆくが、それにより親しい人間との別離と移住を余儀なくされた“彼女たち”はなお多く存在し、同じ悲劇はその後今日へ至っても繰り返され続けている。この意味では、地中海南部・東部沿岸域に暮らす多くの女性にとって「アラブの春」は、まだ始まってさえいない。

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 『パピチャ』へ話を戻そう。母から受け継いだアルジェリア伝統のシルク布ハイクを、主人公ネジュマが茜色へ染める場面がある。その場面は一見して、洗っても落ちずにハイクに染みついた、凶弾に斃れた姉の血痕を隠す作業として描かれる。しかし本作を仔細に観ると、この場面の真意は別にあるとわかる。一連のシークエンスは、姉の死後ネジュマが狂乱したかのように夜更けの大地をさまよい歩き、衣服の裾がつる科植物の棘に引っかかるところから始まる。ここでネジュマがその植物の根を地中から素手で掘り出し始めると、夜更けの空へアザーン(イスラームにおける祈りの呼びかけ)が響き渡る。はっと顔を上げたネジュマは、何かを思いつき、正気へ戻る。

 日本でも石垣・西表島など八重山諸島では、古くからつる科の紅露が染色へ用いられてきた。掘り出した根菜を刻み、沸騰した湯へ投じてハイクを煮出すネジュマの採る工程は八重山のそれを想わせる。重要なのは、姉の葬儀で取り乱すネジュマの号泣を映した直後からこのシーンが始まることだ。そして狂乱の夜は明け、茜色へ染め上げたハイクを干す傍らで、ネジュマは静かに集中した面持ちで己の衣装デザインを練り始める。血痕がのこる白壁を昼の陽光が照らしだす。青空のなか天中へと至る太陽を映し一連の場面は終わる。ここで長い暗転を経て映画は中盤へ突入、ネジュマが友人たちへハイクを使ったファッション・ショーの企画を打ち明けるに至る。そこから波瀾万丈の展開を経て、終盤で唐突にネジュマが再び地中を素手で堀り始めるシーンが始まる。地中で掴んだ根をたどる指先は上部の茎へと向かい、指先を追ってアングルを上げるカメラはネジュマの眼前に真紅のバラの花を映しだす。「お姉ちゃんが好きだった」とつぶやくネジュマの髪を、傍らに寄り添う母がフレームの外から優しく撫でつける。

 そこに覗くのは紛れもなく、無慚な抑圧による数知れない犠牲者へと手向けた弔いの意志である。メドュール監督は、生まれゆく新たな命への祈りをこの深い慰霊の表現からシームレスに連ねて終幕へと導く。相互の場面が時間的に離れるため極めて分かりづらい描写であり、この点に着目する日本語メディアが他にあるとも思えない。しかしこの両場面に意識を置くと、本作の観えかたはより深度を増してくる。結婚して国外へ出ようという恋人の誘いを断ったネジュマは、そうして伝統布ハイクをベースに自身の創意を加えた衣装群でファッション・ショーを構成する。イスラーム文化圏における婚前妊娠や無自覚の尊厳侵害、父権的心性を内面化した女性たちとの軋轢など本作の扱うテーマは幅広く、結末までに衝撃的な展開を幾度も重ねてゆく。しかし各々に宿命的な悲運を背負いながらもネジュマの意志へ共鳴しその衣装をまとう友人らの姿は誇らしく、この土地で活きることを自ら選び、自由のため自力で闘い抜くという彼女たちの高らかな決意表明にも映る。(ライター 藤本徹)

『パピチャ』 “Papicha” “بابيشة”
監督:ムニア・メドゥール
出演:リナ・クードリ、シリン・ブティラほか
公式サイト:https://papicha-movie.com/
10月30日(金)Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー。

チュニジア映画『ラグレットの夏』及びイスラーム映画祭5上映全作をめぐる本稿筆者の連続ツイート

2018年カンヌ国際映画祭、ナディーン・ラバキー監督(『存在のない子供たち』“Capharnaum”)の受賞時中継映像

*ケイト・ブランシェットによる受賞者発表の直後、満場の拍手のなか響くザカリートが確かに録音されている。

©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

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