方向指示器より安き我が命 沼田和也 続々・牧師館からの“SOS” Ministry 2019年冬・第40号

 「牧師を辞めた」「教会を離れた」という人々の声も、これまであまり取り上げられなかった一面。本誌はこれからも、教会に厳然とある「不都合な」現実に目を背けず、寄り添いたい。ある現役牧師が体験したリアルな「残酷物語」。

 牧師になってから無職になったことが二度ある。二度目はいろいろ腹をくくっていたので、それほど苦にはならなかった。だが初めての無職は、それはもう辛く、恐ろしかった。30代も後半のことであった。

 連れ合いが病に倒れ入院。私は関西と四国の職場とを往復していたが、それも限界に来た。十分な仕事ができないと思い込んでしまった私は、とにかく「辞めなければもうだめだ」と、それしか考えられなくなった。こうして私は、教会を年度途中で辞任し無職になった。

 当初、私は楽観的だった。同窓学閥のほとんどいない困難な任地で文句ひとつ言わず6年間も奮闘してきたのだ。学閥からある程度評価されているはずだと踏んでいた。友人の中には、自分で頼んでもいないのに「こんな任地あるけど、どう?」と、先輩から勧められるまま次の場所へと転勤した者もいる。私にだって、そういう声の一つや二つはかかるだろう……。だが「放り出して辞めた」との評価は、私を厳しい立場に置いた。こちらからしつこく頼んでも、なかなか次の任地を紹介してもらえない。任地は見つかるのか否か。声がかかればいつでも動ける状態にしておきたかったので、アルバイトを探そうという気持ちにもなれなかった。連れ合いの身の回りの世話をしながら、わずかな貯金を切り崩して生活。貯金が底をつきそうだと不安になるたび焦燥に駆られた。

 しかしそれ以上に辛かったのは、自分自身のアイデンティティの問題だった。自分が何者でもないこと。つい先だってまで、自分は牧師であり幼稚園の園長だった地域とのつながりがあり、「先生」と呼ばれ、町の人々から親しまれていたのだ。しかし今、私に声をかけてくれる人はいない。借家の近辺で私を知っている人など一人もいない。私の唯一の慰めは、連れ合いの邪魔にならぬようヘッドホンで音楽を聴くことであった。音楽から流れ出るあれやこれやの想い出が、私の身を突き刺すのも痛くも心地よかった。

 友人たちはとても優しかった。みんなでカンパして、数万円のお金を私に手渡してくれた。ところが──これはとても贅沢な悩みで、口に出すのもはばかられるのだが──私にはこの善意こそが辛かったのである。友人たち皆が私に優しいこと。私に対して、手加減して接してくれているとわかってしまうこと。うがった見方をするなら、腫れ物に触るように私に接していたということ。私は彼らともはや対等の友人ではなく、一方的に憐れまれる存在となってしまったということ。

 連れ合いだけではない。初夏に仕事を辞めて、クリスマスを迎えるころには、私の体調もまた崩れていった。頻繁に襲う動悸や吐き気。電車を待っていると、ホームに飛び込みたくなる。そして、連れ合いへの八つ当たり。彼女にどれほど辛い思いをさせたか!

 気晴らしに街を歩けば、気が晴れるどころか社会への憎悪が湧いてくる──どいつもこいつもバカばっかりだ。俺がこんなことになったのは、こいつらのせいだ。特にエリートは滅びろ。ツイッターをやり始めたのはこのころからだ。とにかく、私の事情を知らない友だちがほしかった。手加減せず、腫れ物に触るようには接してこない友人。時に「世の中の奴らみんな死ね」みたいなことを書きたい、激しい衝動がこみ上げた。「元牧師だった」という最後の一線が、それを踏みとどまらせたのか? そんな格好良いものではない。ヘイトスピーチのボキャブラリーがなかっただけのことである。あれば私も、口汚く罵っていたことだろう。

 年が明けて、ようやく任地も決まりかけた。苦しい日々に、ようやく終わりが見えてきた。しかし私は学閥の真の恐ろしさを知らなかった。

 人事に突然、別の学閥が割って入ってきた。次なる任地へと引っ越しの準備までしていた私は、突如その教会からドタキャンされたのである。結局、その教会には降って湧いたように見知らぬ別の牧師が収まり、私は引っ越し業者に土下座して謝り、アルバイトを探し始めた。すぐに金が必要だった。オートバイの免許を持つ私は、とにかく郵便配達を始めた。

 働き始めてすぐに、支給された備品がすべてなくなる。先輩たちに盗まれたのである。支給品は少ないため、どの職員の装備もボロボロ。ちゃんと隠しておかないと状態のよいものから盗まれてしまうということを、入ったばかりの私は知らなかった。

「あの、装備がないんですけど」

 上司に報告すると怒鳴られる。

「ちゃんと片付けとかんかい!」

 みんなが配達に行ってしまった中、焦りながら倉庫で備品を探す。臭い、穴の開いた鞄だったが、仕方なく装備する。

 働き始めてすぐに初夏となり、猛暑が到来。配達中、時おり先輩職員が監視に来る。くたびれ果て、歩いて配達していると「走れぇ! 歩くなボケ!」と怒号が飛んでくる。「はいっ」と坂道を躓きながら転げ走る。配達が遅い。焦ると誤配する。バイクが転倒、方向指示器が割れる。課長から罵られる。「お前、この部品なんぼすると思っとんじゃあ!」

 もうどうでもよかった。私の命なんか、この方向指示器よりも安いんだな。心底惨めだった。マジックミラー張りのビルディングに信号待ちする自分自身が映る。汗だくで、ボロ雑巾のような私が――。どこで人生を間違えたんだろう。もう牧師には戻れないのかな。39度の熱を我慢して配達していると痙攣を起こす。雪がちらつく夜、道路の真ん中にうずくまる。そのとき初めて激しく泣いた。「助けて! 死にたくない! 神さま助けて!」

 今でも思い出しながら手が震えてくる。怒りと恐怖に。生き延びることに必死だったあの日々に。やがて牧師に戻った後も、この聖痕(スティグマ)には苦しめられることとなった。「もう二度と無職には戻りたくない」というスティグマに。結局、不安はその中身を現実にしてしまうのか、もう一度無職の時はやってくることになるのだが、それについては、また稿を改めようと思う。(ぬまた・かずや 日本基督教団王子北教会牧師)

【Ministry】 特集「10年目のリアル」 40号(2019年2月)

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