【検証 〝協会〟の実相と教会の課題】 カルト教団に命奪われた父 日本聖公会管区事務所宣教主事・司祭 卓 志雄さん 2022年9月11日

カルト被害の癒やしと回復を
脱会してなお重い痛みを負う人々

 宗教団体が本来果たすべき役割を忠実に行わずカルト化していき、権力と結託しながら反社会的犯罪を起こすことによって家庭が破綻し、人々の心と財産、そして魂までもが破壊されることを、日本に住んでいる人々は目の当たりにしている。

 自分の子どものころの出来事を思い出した。疲れ果て悲しみに暮れた父が帰宅した43年前のある朝を。カルト研究者でジャーナリストだった父は『統一協会の実像と虚像』という本を出版し、「統一協会はキリスト教ではない」「統一協会と政治との関係」「統一協会による被害」など、統一協会の正体を暴露したのである。しかし当時、統一協会と癒着関係にあった韓国の独裁政権の絶対権力機関であるKCIA(大韓民国中央情報部)は、父に対し「施設に連れて行ってボタン一つ押せばお前は粉々になって川に流れ何の痕跡もなくなる」と脅迫したのである。

 統一協会に対する批判活動によってすでにKCIAによる拷問を受けたことのある父は、恐怖のあまり著書を回収することに同意し、すでに作成されていた統一協会に対する謝罪文に署名をした。涙ながらに帰宅した父は、生き残って統一協会の正体について証言することを決心し、同年10月25日統一協会の反対集会で「カルトと結託している不正義な政治権力は神の審判を受ける」と言ってしまった。

 集会の翌日、KCIAに連行されることを覚悟していたが、KCIAの要員は現れなかった。時の独裁者、朴正煕大統領が暗殺されたのである。統一協会と結託していた独裁政権が崩壊したので父は無事だったのだ。

 その後、約70回に及ぶ統一協会をはじめとするカルト集団によるテロを受けながらも反社会的犯罪を起こすカルトに対する批判活動を行ったが、ついには1994年あるカルト集団のテロによって殺害された。心から愛し、そして今も愛している父が亡くなった。カルトは恐ろしい。自分たちの目的のためなら尊い命を奪うことさえしてしまうから。

父がカルト集団のテロに遭い殺害された当時に着ていた血塗れのシャツ

 当時感じたことがある。カルト集団の犯罪によって不安と絶望、悲しみと苦しみの只中にある人々と共にいることこそ、神による癒やしと回復につながり神によって立ち上がることができるということだ。

 私の父が亡くなってから1年後のオウム真理教による無差別サリン事件は、尊い命を奪うカルト集団の姿を改めて確認する出来事であった。今回の「統一協会騒ぎ」は、昔から深刻な問題であったが安倍晋三元首相の銃撃事件によって表面化し注目されているだけなのである。

 前述したように現在マスコミは、山上徹也容疑者の犯行動機・心情、統一協会の歴史・教理・反社会性、被害現状、統一協会による被害に対する取り組み、政治家との関係、今回の事件による今後の政治の動き、今回の事件がもたらす社会的意味などを毎日報道している。情報は膨大で、今ここでそのすべてを書き記すことは物理的にできないが、マスコミが報じていないこと、特にキリスト教会としてどのように今回の出来事を振り返って、今後のカルト問題に対してどのように取り組んでいくのかについて考えてみたい。

 教会は長い間、カルト団体に対して線を引いてきた。「当教会は、ものみの塔(エホバの証人)、統一協会(世界基督教統一神霊協会)、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)との関わりはありません」という文言を教会の掲示板、週報、ホームページに掲載してきた。もちろんカルトとは違う(different)「教会」であり、カルトが主張している「家庭」「平和」は間違っている(wrong)と弁証していくことが必要である。しかし、線引きをすることが問題の完全解決ではない。線引きの目的は区分であり排除ではないからである。救いを求めた結果、カルト集団に誘惑されてしまった「線の外側」にいる人々を私たちキリスト者は覚えたい。

 山上容疑者が犯行直前にあるジャーナリストに送った手紙には「(前略)母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産……この経過と共に私の10代は過ぎ去りました。その間の経験は私の一生を歪ませ続けたと言って過言ではありません。個人が自分の人格と人生を形作っていくその過程、私にとってそれは、親が子を、家族を、何とも思わない故に吐ける嘘、止める術のない確信に満ちた悪行、故に終わる事のない衝突、その先にある破壊。(後略)」とある。

 このようにカルト集団に家族が入信して苦しい日々を余儀なくされている人々、直接被害を受けている人々、脱会してもまだなお心の中に重い痛みを負っている人々の多くが「線の外側」に存在している現実に目を向けなければならない。

 また日本全国のキリスト教会の総数は、日本全国の交番の数と同等かそれより少し多いと言われている。交番は市民の暮らしの安全を守るために存在している。では、教会の役割とは何か。教会は神によってかたどって創られた尊い人間の尊厳を守るために存在している。教会はカルトによって被害を受けている人々を見て見ぬふりをしてきたのではないかという反省と共に、彼らの孤独、不安、絶望、叫びを丁寧に聴いて彼らに寄り添い、癒やしと回復を分かち合うことを大事にしていかなければならない。

 「教会」「家庭」「平和」……一般的に響きのいい言葉であり、伝統的なキリスト教会がとても大事にしてきた概念である。主によって呼び集められた人々が主によって結ばれ主によって与えられた賜物である平和を実践していくために、これからもキリスト教会が大事にしていくべき重要な概念である。しかし、これからは「教会」「家庭」「平和」という言葉を用いて福音を宣べ伝える際に、抵抗に直面する場合もあるかもしれない。本来それらの言葉が持っている意味よりも、それらの言葉が団体名として悪用されたがゆえにネガティブなイメージが先走ってしまい、教会の宣教における妨げになるという情けない現実である。

 こういう時こそ教会が果たすべき働きの原点に戻り、未だ苦しみの只中にある人々の涙を神がぬぐいとってくださり、神が癒やしと回復の力を与えてくださることを共に確認することを疎かにしてはならない。

(たく・じうん)

【検証 〝協会〟の実相と教会の課題】 〝本物〟を提供する責任 日本キリスト改革派教会関キリスト教会牧師 橋谷英徳さん 2022年9月11日

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