関学キリスト教と文化研究センター 出版記念フォーラム「映画『教誨師』を読み解く」 2023年1月27日
昨年25周年を迎えた関西学院大学キリスト教と文化研究センター(RCC、打樋啓史センター長)は1月16日、西宮上ケ原キャンパス内の関西学院会館(兵庫県西宮市)で『キリスト教で読み解く世界の映画 作品解説110』(キリスト新聞社)の出版記念フォーラム「映画『教誨師』を読み解く――二つの視点から」を開催した。
RCCは、キリスト教と人間・世界・文化・自然の諸問題に関する総合的な調査・研究を行い、キリスト教主義教育の内実化を図ることを目的として1997年に設立。これまで、「平和と暴力」「市民社会とNGO」「スピリチュアリティ」「現代思想/現代哲学」「現代文化/ポップカルチャー」「環境問題」「ことば/コミュニケーション」などをテーマにプロジェクトを立ち上げ、研究活動を推進してきた。2009年には創立10周年事業として『キリスト教平和学事典』(教文館)を上梓するなど、その研究成果は出版物として発表されている。
今回は『キリスト教で読み解く世界の映画』の出版にあわせ、2018年の映画『教誨師』(佐向大監督)を主題とし、同大卒業生で『教誨師』の助監督だった古畑耕平氏と、同書で『教誨師』の解説を担当した福島旭氏(中学部教諭・宗教主事)がそれぞれの立場から意見を交わした。司会はセンター長の打樋氏が務めた。
「『教誨師』で特に印象に残ったこと」との質問に対し古畑氏は、脚本を書いた佐向監督は、死刑制度に対する思いだけでなく、東日本大震災を受けて、生きるとは何かについて考えたと振り返った。特に主人公である牧師の佐伯(大杉連)が聖職者としてではなく、一人の人間として死刑囚に寄り添うことが一つのポイントであり、その意味を観客それぞれが考え、受け止める作品だと紹介。古畑氏自身は佐伯のセリフ「理解することではない、ただ寄り添うこと」とは、死刑囚に対して絶対に理解はできない「他人事」であるという自覚を持った上で向き合うこと、考えることであると語った。
映画は、主人公の佐伯がカメラをじっと見つめて終わる。それはこの作品を見たあなたは何を考えるのかと、問いかけるメッセージにもなっている。福島氏は『教誨師』をキリスト教的視点から分析し、主人公と受刑者の会話の中に出てくる「穴を見つめる」という表現が、キリスト教的には「罪を見つめる」と言い換えられることや、洗礼を受けた受刑者が「あなたがたのうち、誰が私に罪あるとせめうるのか」(ヨハネによる福音書8章46節)の聖句を書いた紙を渡すシーンなどを取り上げ、「イエスを十字架に付けたのは誰の罪かという非常に大きなテーマがあるようにも感じられた」と述べた。
また、自身も保護司として受刑者や教誨師と関わることもあるという福島氏から、「日本の教誨師は7割以上が仏教の聖職者。なぜ映画では、1割強しかいないキリスト教プロテスタントの牧師を選んだのか?」との質問も出され、古畑氏は「僧侶や神父さんだと格好が難しく、プロテスタントの牧師であればスーツでも可能だと思った」など、外見的要素に加え、「何より牧師は結婚ができて、子どもを持てるため、一般的な人間と変わらない目線で立てる」と、その理由を答えた。
最後に古畑氏は、「自分とはまったく別の世界にいる人を関係ない、フィクションだと切り捨てず、社会や文化に対して関心を持つきっかけになってくれたら嬉しい」と語った。福島氏は「イエスの処刑は現代社会の死刑制度にも通じるものがある」とし、死刑を実際に執行する刑務官の心的ストレスや労働環境にも言及。社会の隠された部分を描いた『教誨師』の価値を評価しつつ、報復としての死刑制度に疑問を呈し、受刑者の更生について、「キリスト教的な悔い改め、社会での『蘇り(更生)』の機会についても考えさせられた」と話した。