【映画】 イオセリアーニの燃ゆる詩性 「オタール・イオセリアーニ映画祭 ~ジョージア、そしてパリ~」 2023年2月19日
この2月に89歳の誕生日を迎えたジョージア出身の映画監督、オタール・イオセリアーニの上映特集が開催される。ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経過し、ロシア社会におけるソ連的要素の復活をまざまざと見せつけられる今日にあって、旧ソ連下に生まれ、モスクワへ学び検閲と格闘し亡命へ至ったイオセリアーニの瞳が映してきたもの、フィルムへ灼きつけてきたものが総覧される意義は大きい。
まず注目すべきは初期の短編から4時間を超える大作まで、日本国内の映画館での一般初上映となる作品が多く含まれる点である。今回実に全21作中8作が初公開となり、全ロシア映画大学在籍時の短編『水彩画』や『珍しい花の歌』の上映機会は今後も極めて稀となるだろう。また当時劇場上映を禁じられた卒業制作『四月』には、その後イオセリアーニが深める詩的探究の萌芽が詰まっており、カンヌ国際映画祭で復元上映された2000年には観衆を熱狂させた逸話も納得の傑作中編だ。
そうした粒揃いの日本初上映作中でも、『唯一、ゲオルギア』(1994年)は特筆に値する。ジョージアの歴史文化を古代まで遡る第1部から、ソ連期を描く第2部、そしてソ連崩壊過程の混乱とジョージア内戦を映す第3部へと本作は連なる。ベルリンの壁崩壊が導いた冷戦終結に希望を見たのもつかの間、泥沼の内戦へ陥った母国を慈しみ憂うイオセリアーニの心情が全編を覆う本作はまた、第3部の主要な語り手として第2代大統領エドゥアルド・シェヴァルドナゼが登場することも大変に興味深い。ソ連末期ゴルバチョフ政権時にはシュワルナゼ外相として知られた彼の、時にロシア勢力との妥協を図りつつ国土復興の端緒を開く道行きは複雑なジョージア史を真に象徴し、その分厚い網目を解きほぐす唯一無二の案内役となっている。
ちなみに近年ロシア語発音由来の「グルジア」から英語発音「ジョージア」へと公式の日本語表記が変更されたことは記憶に新しいが、「ゲオルギア」はそのラテン語読みであり、他でもなく東方正教会やカトリックにおける聖ゲオルギオス(聖ジェルジオ殉教者)に由来する。このジョージアの守護聖人をめぐっては『唯一、ゲオルギア』でも幾度か言及される一方、たとえば最近作『皆さま、ごきげんよう』では内戦下、兵士に洗礼を施す司祭服の老人がそのまま略奪行為へ走る姿なども描き込まれ、ジョージア正教会に対するイオセリアーニの眼差しは「国家に仕える存在へと堕落した」と手厳しい。その構図には今日のロシア正教会や中国当局の教会統制も重なって映り、ナチス下の帝国教会や戦前の日本基督教団との類似性も看てとれ対岸の火事とは言えない。
イオセリアーニより二つ歳上で全ロシア映画大学の在学期間も重なる、同じく当局の検閲と闘いパリにて客死したアンドレイ・タルコフスキーはこう書き残した。「イオセリアーニにとって詩的なものは、似非ロマン主義的人生観をひけらかすなかにはなく、彼が愛するもののなかに具体化されている」 今回上映されるジョージア時代の監督作『落葉』『歌うつぐみがおりました』『田園詩』こそが、冷戦期映画を代表する巨匠タルコフスキーにそう言わしめた名作群に他ならない。
その一方、『群盗、第七章』や自伝的秀作『汽車はふたたび故郷へ』などパリを拠点とする後期イオセリアーニの作品群には、遠く離れた母国への愛惜と批判を介し、現代世界の普遍的テーマを切り取る巧さがある。切り取りながらも群像と雑踏の織りなす渦中へ紛れ込ませ、これが主題です、本作のメッセージですなどと声高に叫びはしない。渾沌のうちにも静謐さを漂わせるその詩的に抑制された風格を、黒澤明やヴィム・ヴェンダースらが示したような老境に纏う深趣としてではなくその初めから、学生時の習作からさえ窺わせるところには、イオセリアーニという個を突き抜けた、ジョージアの風土性それ自体の発露を感覚せずにはいられない。
さてジョージア映画といえば、日本では長年にわたりジョージア映画を数多く紹介してきた岩波ホールの、コロナ禍下での閉館も思い起こされる。しかし本映画祭へ足を運ぶ観客のなかにも、岩波ホールの粘り強く継続的な営為により初めてジョージア映画に触れ親しんだという人々は確実に多くいるだろう。コロナ禍に加え円安が招く権利料の高騰など、映画館とりわけ規模の小さな館にとって厳しい冬の時代はまだまだ続くが、こうして受け継がれてきた映画の灯を絶やさず次代へつなげる試みが、配給会社や上映館の尽力により今日も為されてあることは心強い。
2016年。その岩波ホールで新作『皆さま、ごきげんよう』封切りにあわせ来日したイオセリアーニ当人へインタビューする機会があった。すでに80代の高齢であったにも関わらず、一つの質問に対し20、30分としゃべり続ける彼に筆者は圧倒され通した。取材仕事を始めたばかりで全方位にわたり要領が悪かったろう筆者を温かく見つめながらも、キリスト新聞の取材と知るや正味の無宗教者であることを公にしていたイオセリアーニが「悪魔にでも魅入られているのか」と鋭く逆質問を刺し込んできたことは今も鮮明に覚えている。その瞬間、それならそれで良いと感じたことも。だってこうしてあなたと目を合わせて話ができたのも、きっとその悪魔のおかげなのだから。『唯一、ゲオルギア』がほのめかす、現正教会への姿勢とは異なるキリスト信仰の伝統に対する彼の思慮深さを知るのは随分後のことになる。
オタール・イオセリアーニの底にたぎるもの。それは郷土に対する単に叙情的ロマンチシズムとも、批難がましいリアリズムとも異なる、映画だけを通り道として吹き渡る熱化した愛である。それは齢90を目前に控えた彼の、赫灼とした笑顔の奥になお息づいている。
(ライター 藤本徹)
《オタール・イオセリアーニ映画祭 ~ジョージア、そしてパリ~》
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/iosseliani2023/
2月17日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、シアター・イメージフォーラムほか全監督21本一挙公開!
【引用文献】
アンドレイ・タルコフスキー 『映像のポイジア―刻印された時間』 鴻英良 訳 キネマ旬報社
【関連過去記事】
【映画評】 ルーシの呼び声(1)『ひまわり』『親愛なる同志たちへ』『金の糸』『潜水艦クルスクの生存者たち』 2022年4月16日
【本稿筆者による上映作品およびジョージア映画関連ツイート】
『唯一、ゲオルギア』“Seule, Georgie” 1994
冷戦終結に希望を見たのも束の間、内戦の泥沼へ陥る母国ジョージアを慈しみ憂うイオセリアーニ4時間大作。
聖ゲオルギオスの護る地を古代に遡る第1部、ソ連期第2部からその崩壊描く終章へ。熱く沈着に語るシェヴァルドナゼの、熾火のような瞳に撃たれる。 pic.twitter.com/rtTdHdAz5V
— pherim (@pherim) February 17, 2023
『月の寵児たち』🇫🇷1984
絵描きと娼婦、泥棒と警官、美容師とテロを企む音楽教師、銃砲店主と暗殺者。
ソ連下の母国ジョージアで上映禁止が続いたオタール・イオセリアーニの亡命後初監督作。活気と不穏さに充ちたパリの群像描写が体制抑圧の不毛を皮肉る。
くり返される割れた皿のカットは象徴的。 https://t.co/DihKnvltsF pic.twitter.com/utPtZDBEQz
— pherim (@pherim) February 12, 2023
映画『皆さま、ごきげんよう』は、現代のパリを主な舞台とする。だが映画冒頭はフランス革命時のパリであり、暗転後にはグルジア内戦の戦闘場面へと移る。同じ役者の組み合わせを異なる時代、異なる場所に度々登場させることで、時と場を違えど変わることなき人間の営みを多声的かつ調和的に描き出す。 pic.twitter.com/udNcpnnFE7
— pherim (@pherim) December 14, 2016
『そして光ありき』
セネガル・ディオラ族。怠ける夫に呆れた母は若い夫を娶り、斬首された男を女祈祷師が蘇らせる傍らで、白人資本の伐採が進む。奔放な生と不可逆の壊音。なるほど無抵抗に喪われるものだなと。イオセリアーニ特集@アテネフランセ。https://t.co/qoYNxeNolR— pherim (@pherim) December 11, 2016
『聖なる泉の少女』
泉を守る一家の父は衰え、泉の水は枯れ始める。ジョージアの寒村にて、神の化身たる白魚棲まう泉へ象徵される土着の精神と、聖職者や科学者となった息子らが体現する現代との狭間で、少女は静かに懊悩する。人も自然も神さえも等しく内包されるその泉で、少女はやがて全てになる。 pic.twitter.com/gpkQyoC6oS— pherim (@pherim) August 21, 2019
『金の糸』(ოქროს ძაფი)🇬🇪’19
79歳の誕生日当日を生きる作家エレネ。
ふと襲う寂寥、過去の影、想わぬ邂逅、そして。91歳の女性監督ラナ・ゴゴベリゼの新作に、スターリンの大粛清で父を奪われ、母を極寒の収容所へ送られた監督自身の軌跡が凝縮される。伝統的な木造集合住宅の佇まいも薫る重厚作。 pic.twitter.com/TXxYnf9eCq
— pherim (@pherim) February 25, 2022
『ダンサー そして私たちは踊った』
ジョージアの国立舞踊団で稽古に励む勤労青年が、同性愛に目覚めることで舞踊団の誇る伝統と格式への挑戦者と化す。古老が青年の指先の動きに鋭く反発し、偽装恋人や伴奏者らが青年の覚醒を即興的に寿ぐなど表現性の高い構成は見事。落伍者兄貴の諦念が泣かせる。 pic.twitter.com/EsRX2OiPIm— pherim (@pherim) February 9, 2020
『ジョージア、ワインが生まれたところ』
紀元前6000年に遡る、素焼きの甕を埋め地中で醸造するクヴェヴリ製法を受け継ぐ人々に迫る。芳醇たる伝統風俗描写と、職人気質宿す人々の語りが至福なうえ、ジョージア(グルジア)域内の精彩な多様性を浮き彫りとする構成の妙。ソ連の影、辺境の静かな格闘。 pic.twitter.com/X7nEFtLUVg— pherim (@pherim) October 21, 2019
“Abandoned Village”
枯れ木の荒野に風雨が襲う光景をよく眺めると、廃屋や井戸の姿影が混じっている。かつての村の残響。何かがあった痕跡。闇の中、ふと一軒に明かりが灯る。橙の輝点は瞬時に存在の中心となる。荒れ野が不意に命をもつ。
ジョージア(グルジア)発Mariam Kapanadze監督短篇、珠玉。 pic.twitter.com/oSRCKgedZ6
— pherim (@pherim) December 1, 2020
『見上げた空に何が見える?』
夜の交差点で邂逅する男女を、幼木と古い雨どいと監視カメラと風が助けようとするジョージア宇宙。
知ってた。深夜の交差点ってそういうとこだよねっていう序盤からフワリとした着地まで、映画ならではの遊び&心地良さ充満の不思議ロマンス。コーカサス版アメリだよ。 pic.twitter.com/WowzeLEdIt
— pherim (@pherim) November 22, 2021
『葡萄畑に帰ろう』
ジョージア(グルジア)映画。85歳エルダル・シェンゲラヤ監督新作は、我欲をもつ椅子に込めた権威主義の滑稽と、変わらぬ葡萄畑の豊潤との対照により官僚国家化した母国の現状を大らかに描きだす。アブハジア・南オセチアの民族問題を反映させた国内避難民を巡る報道場面は刺激的。 pic.twitter.com/sVhKdNhnkc— pherim (@pherim) December 11, 2018
“Dzma”(Brother)
ソ連崩壊後、内戦の気配漂うジョージア首都トビリシで、グールドの音色に心躍らせる弟と、犯罪の道へ引きずり込まれる兄。ピアノの才が開花しゆく様を見守る周囲の大人達やダメ兄の視線こそ、弟世代の監督による表現の中核で、柔らかな35mm映像がこの心象風景を優しく浮きあがらせる。 pic.twitter.com/HOIcEgO5jx— pherim (@pherim) April 26, 2020
ロシア正教ギミックに民族的スラブ神話を盛り込むヴルーベリの教会壁画は今日、美術館展示もされている様子。
NATO絡みで対露緊張を高めた点で、ジョージアの南オセチア紛争はクリミア以降のウクライナ情勢に先行するものだけど、背景を想うに終息への道のりは長そうですね。https://t.co/VpCWSs46T9 pic.twitter.com/Dr6vG6Kddb
— pherim (@pherim) April 25, 2022