「統一教会」と一線を画す 日本キリスト教協議会が再確認 「綱領」で相入れない 諸教派も強い関心 【再録】1979年2月3日

 日本キリスト教協議会(NCC)が初めて統一協会(世界基督教統一神霊協会)に対する公的な見解を表明した1975年から4年後、改めてその姿勢を堅持し「キリスト教と相入れない」ことを「再確認」するための文書が常議員会で承認されている。なお、この段階ではまだ一貫して「統一協会」と表記する前の段階だったことを考慮し、当時の原文通り「統一教会」の表記を使用している。

 NCC(日本キリスト教協議会=山田襄議長)第八回常議員会は一月十八日午前十時から午後四時まで東京・市ヶ谷の日本YWCA会館で開かれ、常議員、陪席者も含め、二十一人が出席した。各部、各委員会の諸報告承認に続いて「統一教会の問題に関する件」「台湾教会に関する件」(前号既報)「韓国の非常金曜祈祷会へのメッセージの採択と、谷川和子NCC常議員を同祈祷会へ派遣する件」(同)「政池仁聖書研究会への準加盟申込みの件」「日本基督和教会連合(中村信一代表)準加盟辞退の件」などが審議され、いずれも承認された。「統一教会の問題に関する件」では「統一教会に関する見解の再確認」の文章(信仰職制委員会作成)を承認した。

 NCCは一月十八日の第八回常議員会で、「統一教会に関する見解の再確認」の文章を承認したが、これは一九七五年に発表した見解が、表現においてあいまいなところがあり、「キリスト教と相入れない」ということまで表現していなかったためである。

 今回の文章では、米国NCCC(キリスト教協議会)の統一教会に対する検討結果——統一教会はキリスト教と認めることができない―を紹介しながらNCCは、「綱領と目的において、統一教会とは明確な一線を画す」ものであることを再確認している。

 なお今後、NCC信仰職制委員会は、カトリック教会、ギリシャ正教会などに呼びかけて研究委員会をつくり、改めて統一教会に対する見解を出す準備に入る。カトリック教会はこのことに対し、非常に関心を寄せているという。

「統一教会に関する見解の再確認」書

 NCC第八回常議会で承認された「統一教会に関する見解の再確認」の全文は次の通り。

 日本キリスト教協議会はすでに、一九七五年九月十八日に開かれた第九回常議員会において「統一教会に関する見解」——以下「見解」と呼ぶ——を発表した。この「見解」によって、私たちは統一教会の教えが、日本キリスト教協議会規約の第三条に述べられている「綱領」(*1)と相入れないものであることを明らかにした。もとより、日本キリスト教協議会はキリスト教の諸教会の間に、イエス・キリストにおける統一の達成を願うばかりでなく、他宗教との間にも相互理解と協力の関係を深めることを目指している。また、近代社会において達成された「信教の自由」の原則が、犯してはならない市民的権利であることを確認する。しかしながら、イエス・キリストぬよる諸教会、諸団体の協力関係は、無原則的に、また相互の自主性を奪うような形で行われてはならないと信ずるものである。

 統一教会は、その名称「世界基督教統一神霊協会」が示すように、世界のキリスト教を統一するための協会であること受けとられることがしばしある。また統一教会は一九七五年に、米国キリスト教協議会に加盟の申請を行っている。これに対して、米国キリスト教協議会は一九七七年、その信仰職制委員会の手になる公けの検討結果を発表し、統一教会はキリスト教と認めることができないと結論している(*2)。わが国の現状においても統一教会はキリスト教とまぎらわしい、いくつもの目性の下に活動しており、特に大学においては「原理研究会」「勝共研究会」などの外に「聖書研究会」等のキリスト教的名称の下に活動を行い、多くの混乱と問題を引き起こしている。この事実に照らして日本キリスト教協議会は、ここに改めて、その綱領と目的において、統一教会とは明確に一線を画すものであることを再認識する。

<付記> 統一教会の教理が日本キリスト教協議会規約第三条の綱領と一致しない者であることは、一九七五年の「見解」第二項において、四点に分けて述べられているが、もっとも重要と思われることを、より端的に次の三点にまとめて指摘しておきたい。

一、統一教会は、聖書の真理性と相対化し、文鮮明を神の最終的啓示者として、人間と宇宙のあらゆる根本問題の解決者であるとしている(*3)。

二、イエスの十字架による贖罪は、霊的扱いにとどまり、肉的救いを完成させるためには、再臨が必要となり(*4)、この再臨の場所は韓国であるとしている(*5)。

三、「原理講論」の三位一体論は、以下の諸段階に分けられている。まず、神がアダムとエバを創造して、三位一体を形成するはずであったが、アダムとエバが堕落したため、サタンを中心とする三位一体となってしまった。神はこの状態を救うために、新たに、イエスと聖霊を人類の真の父母とする三位一体を造った。しかし、この三位一体は、霊的真の父母の使命を果たしただけであるので、イエスは実体的な三位一体をつくり、霊肉ともに真の父母となるために、再臨しなければならない(*6)としている。

 このような、聖書観、キリスト論よび救済論、または三位一体論はいずれもキリスト教的と見なすことはできない。

*1 第三条——協議会は、聖書に基づき、イエス・キリストを神とし、救い主として告白する諸教団及び諸団体の交わりであり、父と子と聖霊なる神の召しにともにこたえることをめざす。

*2 一九七七年六月、米国キリスト教協議会信仰職制委員会のA Critique of the Theology of the Unification Church As Set Forth in “Divine principle”

*3 原理講論37頁以下。

*4 「同」一八七頁

*5 「同」五八五頁以下

*6 「同」二六六頁以下。

NCC 統一教会への見解発表 立場の違い明確に 教理上の相違点あげて 【再録】1975年10月4日

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