NCCが首相に要望書 朝鮮人虐殺の国家責任を問う 2023年7月21日

 日本キリスト教協議会(金性済総幹事)は7月6日、「関東大震災朝鮮人虐殺の歴史とその国家責任に関する要望書」を岸田文雄首相宛に送付した。

 要望書では、「1923年9月の関東朝鮮人大虐殺は、その大震災時に偶発的で突発的に生じた事件ではありませんでした」とし、大震災を契機としながらも、朝鮮半島と中国大陸で既に繰り広げられてきた「不逞鮮人討伐・殲滅」の暴虐の歴史的文脈の中で引き起こされた事件だと強調。「この歴史に100年を経ても向き合うことができず、国家責任を不問に伏し、さらに歴史事実を100年間隠ぺいすることに腐心する国家とはこの世界においていかなる国家なのでしょうか」と述べ、虐殺の歴史とその国家責任に対して真に誠意と勇気と誇りある態度表明とそれに基づく行動を決断するよう岸田首相に求めた。

 要望書の全文は以下の通り。


内閣総理大臣
岸田文雄 様

関東大震災朝鮮人虐殺の歴史とその国家責任に関する要望書

 関東大震災朝鮮人虐殺100年となる9月初旬まで二カ月を切る本日、わたしは改めて、岸田文雄首相に、あの虐殺事件の国家責任を問いかけます。

 1923年9月の関東朝鮮人大虐殺は、その大震災時に偶発的で突発的に生じた事件ではありませんでした。1894年以来、日清戦争、あるいは第二甲午農民戦争において朝鮮の独立を守ろうとする人々を日本軍は徹底して「朝鮮暴徒」として討伐・殲滅の対象としました。中国間島省の琿春日本領事館は朝鮮半島から弾圧を逃れてきた朝鮮人を1916年頃から「不逞鮮人」と呼ぶようになりました。その敵意・蔑視・恐怖心を含んだ呼称は、1919年3月の朝鮮民衆の独立万歳運動を大暴動とみなした新聞報道によって広く当時の日本社会に知れ渡るようになりました。さらに翌1920年秋には、雇われていた中国人馬賊による琿春日本領事館襲撃を朝鮮人に擦り付けることにより「不逞鮮人討伐」という名目で三千人を超える琿春市在住の朝鮮人民衆が日本軍によって虐殺されました。

 関東朝鮮人大虐殺は、大震災を契機としながらも、朝鮮半島と中国大陸で既に繰り広げられてきたそのような「不逞鮮人討伐・殲滅」の暴虐の歴史的文脈の中で引き起こされた事件といえます。さらに震災時9月2日の「戒厳令」(勅令398号)と翌3日の「鮮人暴動」流言蜚語の全国地方長官宛電信の発信(海軍船橋送信所)は、明らかに朝鮮人に対する虐殺の暴虐を、火に油を注ぐごとく関東一円にまで拡大させることとなったといえます。

 この歴史に100年を経ても向き合うことができず、国家責任を不問に伏し、さらに歴史事実を100年間隠ぺいすることに腐心する国家とはこの世界においていかなる国家なのでしょうか。紛れもなくこの国で起こった負の歴史にこのような対応しかできない政府とは、人道と人権を尊重する民主的法治国家としてこの世界において果たしてどのように信頼を勝ち得られるでしょうか。岸田首相は、どんな過去の過ちもその責任を不問に伏し、隠し通せば済むという政府の姿勢がやがてこの国の青少年や人々の精神文化と価値観にどのような影響を与えていくことになると想像されるでしょうか。

 去る5月23日、そして6月15日に参議院において二人の野党議員が日本政府に向けた関東朝鮮人虐殺の質問に対する政府関係者の応答内容は、不誠実と荒唐無稽の一語に尽きるものであり、国会答弁の品格を著しく損ない、日本政府の良心と知性をめぐり、深い失望を覚えずにおれないものでありました。

 岸田首相におかれましては、2年前の6月、米国のバイデン大統領が100年前に起こったオクラホマ州タルサ黒人虐殺事件の100周年追悼集会に駆けつけ、人々の前で国家の最高責任者として謝罪演説を行ったことを思い起こしてください。そして人間と国家の歴史について国家の真実に誇りある最高指導者が見失ってはならず踏み外してはならないものとは何かについてご勘考くださり、来る関東大震災朝鮮人虐殺100年追悼行事の前に、虐殺の歴史とその国家責任に対して真に誠意と勇気と誇りある態度表明とそれに基づく行動をご決断されますことを、ここに心より要望する次第であります。

2023年7月6日

日本キリスト教協議会 総幹事 金 性済

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