【映画評】 空襲とは何か。 セルゲイ・ロズニツァ《戦争と正義》2選 『破壊の自然史』『キエフ裁判』 2023年8月11日
空襲とは何か。
史実映像の編集によるアーカイバル・ドキュメンタリーの名匠セルゲイ・ロズニツァが、また新たな傑作『破壊の自然史』を世に送り出した。政治家や軍人らの演説と、眼下に敵都市を睥睨する爆撃機。軍需工場で働く市民の日常景色と、瓦礫の山と化した街景色。そこに映り込むのは敵と味方の区別ではなく、主役は人間個人でも集団でもなく、ただ事象としての空爆こそが本作の主人公となっている。
「炎の餌食」「宿命の夜」「ごうごうと燃えさかる」「地獄がはじまった」「われわれは地獄を見た」「ドイツの都市を襲った怖ろしい運命」といった一連の表現が用いられるや、潰滅の極限における想像を超えた現実は生色を失ってしまうのである。こうした表現の効能は、理解を絶する体験に蓋をして、毒消しをすることにある。(略)建物、樹木、住民、ペット、家財道具もろとも数時間のうちに都市がまるごと燃えて無くなるということは、運よく逃れ得た人々の思考や感覚の許容量を疑いなく越えていたであろうし、思考や感覚の麻痺を起こさずにはいられなかっただろう。個々の証言は、それゆえに額面通りに受け取ることはできない。概観的・人為的な視点から開けてくるものを補う必要があるのである。(W・G・ゼーバルト 『空襲と文学』p.28~29)
『破壊の自然史』を製作するにあたりロズニツァは、ドイツ人作家W・G・ゼーバルト著『空襲と文学』を参照する。原題を“Luftkrieg und Literatur”、英題を“On the Natural History of Destruction”すなわち『破壊の自然史において』とするこの本でゼーバルトは、戦後のドイツ語文学では無差別爆撃の被害が焦点化されずに来た不毛を突く。ロズニツァはこのゼーバルトの目線を、英国ドイツ両国の兵器生産の現場や政治家の演説を等価に並べることを通じて、無用の説明なしに映画へ取り込むことに成功する。さらには研ぎ澄まされたその編集技術により、第二次世界大戦における欧州戦線の対立構図を換骨奪胎する目線の先へ、自ずとウクライナのマリウポリやシリアのアレッポさえも連想させる風刺の痛烈。これは真にいま観られるべき映像だと、素朴に心服させられる。
季節、天候、観察者の立ち位置、近づいてくる飛行編隊の轟音、赤く照らされた地平線、市を脱出してきた人々の心身状態、焼け焦げた壁、不思議にもそのまま立っている煙突、台所の窓の前に置かれた物干しの洗濯物、無言のベランダになびいている破れたカーテン、レース編みのカバーを掛けたフラシ天のソファ、そのほかの永遠に失われた物たち、それらの埋まっている瓦礫、瓦礫の下で生まれて蠢いているおぞましい生き物、ふいに香水の匂いをもとめる人間の欲望。一九四三年七月の夜半ハンブルクでなにが起こったかを、少なくとも誰かひとりは書き留めなければならない、という倫理的命令が、大幅な技巧の排除につながっている。耐爆の地下室では、扉が開かなくなり、両隣の部屋に貯蔵してあった石炭が燃えたために、中の人々が蒸し焼きになった。そういうことが起こったのだ。「彼らはみんな、熱い壁から離れようと地下室の中央へ逃れていた。そこに折り重なって倒れていた。遺体は炎熱のためにふくれ上がっていた」。(『空襲と文学』p.51)
一方、ロズニツァの同時公開作『キエフ裁判』は、ナチス高官らを裁く軍事法廷を描く。東京裁判やニュルンベルク裁判に比べ知名度の低いそれは、独ソ戦時のナチの蛮行を暴く名目に戦後ソ連の内政上の思惑が結びつく〝人道的報復〟のショーケースと化していた。昨年日本公開もされたロズニツァ2021年作『バビ・ヤール』でも、1941年9月ナチス占領下キーウ郊外の窪地で、ユダヤ人3万超が2日のうちに虐殺された事件が主題とされ、同じキーウ法廷のシークエンスは数多く登場した。それに比べ今回の新作『キエフ裁判』においては、裁判そのものの全体像へ視点を移すことで、裁判過程が戦勝国の都合で左右される欺瞞を射抜く。占領政策の都合や覇権国家の鍔迫り合いが水面下で審判へ影響する秀作映画『東京裁判』と比較鑑賞するのも良いだろう。
また『キエフ裁判』終盤においては、ロズニツァ2021年作『バビ・ヤール』にも描かれた、キエフ(現キーウ)のカリーニン広場における公開処刑が再び登場する。群衆の熱狂に包まれた広場の中心で、ナチス高官らが一斉に絞首刑へ処される実写映像は凄絶だ。そしてこの《カリーニン広場》こそ、2004年のオレンジ革命および2014年のユーロマイダン(尊厳の革命)の主舞台となった現《独立広場》であるということ。つまりは独立後ウクライナにおける自由の象徴である広場が、かつてキーウ市民が嬉々として集団処刑に興じた場そのものであることの皮肉により、両作のラストを一層際立たせる。こうしたロズニツァのウクライナに対してさえ譲歩のない鋭い姿勢はむろんのこと、ベラルーシ生まれウクライナ育ちのロシア語話者であり、現状ウクライナ映画界から追放され、リトアニアを拠点に映画製作へ打ち込む彼の立ち位置に由来する。
皆が気忙しさの中を暮らす現代にあってなお、できるかぎり多くの人々に観てほしいと感じさせる映像に出逢うことは、大量の配信映画ドラマやSNS投稿動画群にとり囲まれた今日稀である。この夏の場合はそれが、金のかかった大作ではなく第二次世界大戦時の都市爆撃をテーマとするドキュメンタリー映画であったことの意味を考える。それは今日なお為されゆく空襲を、誰も止められずにいるという現実を考える意味に重なる。
(ライター 藤本徹)
セルゲイ・ロズニツァ《戦争と正義》ドキュメンタリー2選
『破壊の自然史』 “The Natural History of Destruction”
『キエフ裁判』 “The Kiev Trial”
公式サイト:https://www.sunny-film.com/warandjustice
2023年8月12日より全国順次公開中
【引用参考文献・資料】
W・G・ゼーバルト 『空襲と文学』 新装版 白水社 2021
小林正樹監督作 『東京裁判』 “International Military Tribunal for the Far East” 1983
『東京裁判』
瞬く間もない277分作品4Kリマスター。天皇責任の追求志すウェッブ裁判長と、マッカーサーの密命帯びる主席検察官キーナンによる、東條英機らへの水面下工作を伴う熾烈な対決など見どころ無数。編集による思想傾斜を懸念したが小林正樹監督他、50万フィート超の記録を丁寧によくぞと感服。 pic.twitter.com/bJrHd9hN7T— pherim (@pherim) July 31, 2019
【関連過去記事】
【映画評】 〝群衆〟の鮮烈、沈黙とそのリアル。 セルゲイ・ロズニツァ《群衆》ドキュメンタリー3選『国葬』『粛清裁判』『アウステルリッツ』 2020年11月21日
【映画評】 ルーシの呼び声(2)『チェルノブイリ1986』『インフル病みのペトロフ家』『ヘイ!ティーチャーズ!』『ドンバス』ほか 2022年5月20日
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【本稿筆者による関連作品別ツイート】
『破壊の自然史』🇩🇪🇱🇹
人類にとって空襲とは何か。
セルゲイ・ロズニツァ最新作が超弩級。爆撃機と演説、軍需工場で働く市民の日常と瓦礫の街。第2次大戦の連合/枢軸対立を換骨奪胎する目線の先へ、自ずとマリウポリ🇺🇦やアレッポ🇸🇾を想起させる編集の神業に戦慄する。音響ほか演出面も過去最高度。 pic.twitter.com/cRplYCstOT
— pherim (@pherim) August 13, 2023
『国葬』でスターリンの最期を報じるラジオに耳を傾ける人々。彼を讃える放送の肩肘張った女性の声音は北朝鮮国営TVを想わせる。
都市部のみならずカフカスの峰やシベリア雪原、蒙古の草原を背景に黙す人々の佇まいは、その内に潜む不穏の気配を込みで1945年8月15日の玉音放送へと精確に重なり映る。 pic.twitter.com/FyOKsf9yEz
— pherim (@pherim) November 6, 2020
『アウステルリッツ』
惨劇を記憶する場で人は集団ごと、順路通りに歩み進む。牢獄、ガス室、焼却炉。
ガイドが導く群衆の、全きリアル。スマホで話し続ける女、カメラを構える男、ボトルで遊びだす少女、空を見あげる少年。奥向こうに響き始める、ナチス“後”からの呼び声。ただ見据える視線の沈黙。 pic.twitter.com/AMtGGC99p6
— pherim (@pherim) November 13, 2020
けれども、私は、だんだんこう思うようになったのです。いまだ生の側にいる私たちは、死者の眼にとっては非現実的な、光と大気の加減によってたまさか見えるのみの存在なのではないか、と。
(W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』) pic.twitter.com/k4LNcOSddm
— pherim (@pherim) November 22, 2020
『ドンバス』“Донба́с”🇺🇦
ロシア側フェイクニュース撮影現場に始まる本作の、
紛争下ウクライナで製作された圧倒的解像度。捕虜への市民の私刑、地下シェルターの怨嗟、政治家と宗教団体の賄賂授受etc.
ハイブリッド戦争の諸相をクリミア以降の日常景として活写する、ロズニツァの胆力に震撼する。 pic.twitter.com/IrIGl7qBr2
— pherim (@pherim) May 14, 2022
『ミスター・ランズベルギス』🇱🇹
圧巻。
一介の音楽学教授がリトアニア独立気運の先頭に立ち、ゴルバチョフと斬り結びエリツィンと対峙する。
ソ連軍の首都侵攻、国連演説の勇壮、’91年独立へ。これを’21年に仕上げたロズニツァの炯眼と、毎度ながら膨大な映像アーカイブの渉猟編集術に驚かされる。 pic.twitter.com/fLeRXTKGmq
— pherim (@pherim) November 8, 2022
『新生ロシア1991』🇷🇺
ソ連でクーデターが起きた’91年8月19日。レニングラード(サンクトペテルブルク)では、宮殿広場に集う群衆が時代を変えるうねりと化していた。
モスクワの公共放送が白鳥の湖を流し続ける前後不覚の下で人々がみせる当惑と興奮。報道が伝えなかった文化首都の熱気に圧倒される。 pic.twitter.com/MRFtM4c9mV
— pherim (@pherim) January 9, 2023