【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 子どもへの洗礼は権利の侵害? 山元 眞

Q.親が小児(幼児)洗礼を授けることは、子どもの権利を侵害することになりますか?(30代・女性)

 近年、幼児に洗礼を授けることを望む親が少なくなっているようです。教会では子どもの洗礼を強く望むのですが、親はそうでもないようです。親が望まない場合、教会は幼児に洗礼は授けません。なぜなら、親と教会の信仰の中で子どもは育っていくからです。

 子どもの洗礼を望まない理由を聞いてみれば、ほとんどの方が次のように答えます。「自分で判断できるようになってから、自分で自由に選んでほしい」

 この理由を聞くたびに私は、結局、親にとって子どもが洗礼を受けることはどうでもいいことなのだと思ってしまいます。受けても受けなくてもいいことなんだと。子どもが望まなければそれでいい。望めば、それもまたよし。結局、どっちでもいいということなのです。

 信者であることに喜びを見出している方は、ほとんど幼児洗礼を迷わず望みます。そのような方は逆に子どもが洗礼を受ける「権利」を持っているとさえ考えています。結局、親にとっても信仰がどうでもいいことであれば、当然、それを子どもには望まないのです。他に大切なことはたくさんあると考えて……結局は親の価値観の反映です。

 「子どもの権利」として議論する方がおられます。この問題は「権利、義務」の問題ではなく、「愛」の問題だと思います。

 宣教司牧実習に来ている神学生がある日、次のような教話をしました。「私はキリストと出会うまで悩んで悩み抜きました。何のために生きているのか。何を基準に、何を大切にして生きていったらいいのか。聖書を貪るように読みました。この時代、これからの時代を生きる子どもたちにぜひ洗礼を望んでいただきたい」

 私見で申し訳ありませんが、私は、幼児に洗礼を授けることは子どもの権利を侵害することではなく、むしろ授けないことこそ、子どもの権利を侵害するのではないか、とさえ思うのです。

 やまもと・まこと 1953年福岡県生まれ。80年、カトリック司祭となる。81~85年、ローマ在住(教会法研究)。福岡教区事務局長、福岡カトリック神学院院長などを経て、カトリック西新教会主任司祭、西新カトリック幼稚園園長。2019年、来日したフランシスコ教皇に「カトリック新聞」記者として同行した。

【既刊】『教会では聞けない 「21世紀」信仰問答Ⅲ ―迷えるココロ編』 上林順一郎監修

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