【別冊Ministry】 牧師のタマゴ未来会議〝牧師が希望持てる働き方を〟 現役神学生、若手牧師が本音で鼎談 2024年6月20日
全国的に牧師不足が深刻さを増す中、まさにこれから現場に出ようとする神学生や、出たばかりの若手牧師たちは何を見、何を聞いているのか。弊誌の呼びかけで集まった3人は、生い立ちも教派も経歴も三者三様。「のびしろ」しかない牧師のタマゴたちが、本音で語り合う「未来会議」スタート。
【出席者】
● 賀川 仰 かがわ・あおぐ(仮名)
・20代まで教会とは無縁の生活。
・30代で受洗、その後献身して神学校に。
・初任地で副牧師。現在で二つ目の任地。
● 宮沢 望 みやざわ・のぞむ(仮名)
・クリスチャンホーム生まれ。20歳で受洗。
・大学卒業後4年間の高校教員を経て神学校に編入学。
・現在は教会の伝道師。
● 佐々木 愛 ささき・あい
・両親が教会で福祉の働きをする家庭に育つ。
・社会福祉士として3年間、野宿をする方の支援に携わる。
・その後、関西学院大学神学部に入学し現在に至る。
――若い神学生たちがこの先どう、希望を持って牧師を目指せるのかというのは非常に大きな問題だと思います。まずはどこから手をつけるべきだと思いますか?
賀川 私の周りの教会の中の文化かもしれませんが、貧しい牧師ほど良い牧会をしている良い牧者であるというような幻想があって、地方で魚を釣りながら町の人とあいさつしながら牧会するのが理想とされる傾向があります。経済的に豊かな方が心は貧しいという先入観です。業界全体がそういう次元から脱却して、牧師や牧師の家族を経済的に支え、招かれた牧師が一生懸命、牧会に励むという仕組みを確保できるところにだけ派遣するという必要があります。貧しくてもこの地で伝道すべきだと本人が思える場合は別として、新卒者にいきなり霞を食べて生きろというのは、ちょっと乱暴かなと思います。
――特に、いわゆる「福音派」の場合、「必要は祈れば与えられる」というような考えが根強くあると思われますが。
宮沢 地域性にもよると思いますが、東北の場合はやはり外部のさまざまな情報から隔離される傾向が強いので、上の世代の方々の声がそのまま通りやすいとは思います。
――佐々木さんが経験したNPO法人などでも、若手の後継者育成についてはおそらく苦戦していると思いますが。
佐々木 実際に教会外で働いてみたからおかしさが分かるというか。そもそも18歳でストレートに神学校へ入学してくる学生たちはそれすらも気づかないと思います。それが当たり前になってしまっているというところが問題だとは思っていて、神学校で神学や聖書の基礎的な知識は教わるべきですが、大前提としてやはりキャリアをどう築くのかという現実をしっかり勉強するシステムが必要だと思っています。全員が問題を共有するためには、まず何が問題なのかという土台をそろえないと、おそらく議論にもならないと思うので、まずは神学校のキャリア教育はすごく大事なのかなと。
もう一つ、大学に入ってから日本最大のドヤ街である釜ヶ崎に関わっているのですが、そこでお世話になっている日本基督教団の牧師の方が、ふと「最後は自分が生活保護を受給する側になるかもしれない」とおっしゃっていました。自虐的な意味合いも含まれると思いますが、自分としては複雑な気持ちになります。人生をかけて社会に仕えてきた方が、その結果経済的に困窮するかもしれないというのはやっぱり何かがおかしいと思います。
――ストレートで神学校に入ってそのまま牧師になると世間知らずになるから、牧師も社会人経験をすべきだという議論が昔からありますが……。
賀川 高校から神学校に来る学生と、私のように社会人を経て神学校に入る場合、あとは定年してから入学するケースもありますが、やっぱり教会観とか聖書観とか、信仰、祈りには違いを感じます。一長一短あって優劣はつけられないと思いますが、社会人を経験している方が、キリスト教的価値規範と社会的価値観を両手で見比べながらバランス感覚を持って歩めるのかなとは思っています。私自身は、人生の半分ぐらい社会人を経験してから伝道者になったことをとても良かったと思っています。
――これは教員の世界でもよく言われますが、元教員の宮沢さんはいかがですか?
宮沢 まったくその通りで、僕も先輩教員から、大学を卒業して急に「先生」と呼ばれるから調子に乗るなよと念を押されました。こちらも「先生」と呼ばれるのにふさわしい存在ではないのに、ある種祭り上げられるような感覚があって戸惑いますよね。保護者と同席すれば上座に座らされ、年上の人からお酒を注いでもらうみたいな。それで勘違いしてしまう教員もいるし、でも違和感を覚える教員もいて。確かに献身者も同じだと思いますね。
世代交代の話もそうですが、やはり年上というだけで重宝されるような風潮も、狭いコミュニティであればあるほど、強いように思います。特に保守バプテスト同盟は地域に根付いた教会を目指しているので、視野が広くなりきれない後継者が育ってしまうという側面は個人的に懸念しているところです。
――さまざまな課題がありながら、それでもなお希望を捨てずに前を向き続けられる理由は?
賀川 私は牧師という生き方や、職業自体を否定したり、大改革しなければとまでは思っていません。むしろチューニングというか、調整がある程度必要で、特に先ほどから出ている経済的な話を含めた働き方について修正できれば、若い人も若くない人も牧師として生きてみたいと言えるようになるのではないかと思っています。いわゆるフリーランスの働き方が増えている中で、もしかしたら牧師も業界の制度を整えることで、そうした自由なあり方が出てくるのではないかなと期待しています。
佐々木 賀川さんが言った通り、根本からすべてを変える必要があるとは僕も思っていなくて、当たり前のことを当たり前にするだけでいいと思います。例えば、給与体系をはっきり明確にするとか、雇用関係をはっきりさせるとか、いわゆる普通のことを普通にするだけでいい。それすらできていないこと自体が問題で、おそらく何か特殊な大きな変革をするというよりは目の前の課題を淡々と指摘して、改善していくということこそが求められているわけです。その先に例えば職業倫理の話とか、牧師の将来性とか、業界のあり方に関する議論ができるのではないかと。
宮沢 牧師には教会が持つ本来的な働きがあるはずなのに、そのやる気や役割を損なうようなことに時間を費やさなければいけないということが、しんどいなと思ってきました。ひと昔前だと、そこで「信仰」という言葉が前面に出されて本質的な問題が覆い隠されてきた。今後、そうした形外化したさまざまな問題を浮き彫りにしていく必要があるし、それは牧師や、そこに仕える奉仕者の尊厳を回復していくためのプロセスでもあると思います。先ほど佐々木さんも言ったように、その人がその人らしくあるために当たり前なことを当たり前にできるよう、教会や牧師がメスを入れていく必要はあるのかなと思いました。
(全文は別冊「Ministry」に収録)
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