「私たち一人ひとりが社会」 ハンセン病差別の現在を問う 2026年7月2日

 公益社団法人好善社が主催する「ハンセン病を正しく理解する講演会」関東の部が6月27日、日本基督教団柿ノ木坂教会(東京都目黒区)で開かれた。「ハンセン病問題が問いかけていること」を全体テーマに、国立療養所邑久(おく)光明園(岡山県瀬戸内市)のソーシャルワーカー、坂手悦子氏が「ハンセン病の現場と向き合って」と題して講演した。

 坂手氏は、ハンセン病問題と出会った原点を「三つのショック」として振り返った。幼少期、映画『ベン・ハー』を見て恐ろしい病気だと思い込んだこと。高校時代、治っているにもかかわらず療養所で暮らし続ける人がいると教師から知らされたこと。そして大学時代、初めて邑久光明園の教会を訪れた際、入所者から差し出されたおにぎりを前にためらったことだった。

 感染力が弱く、薬で治療できると学んでいたにもかかわらず、「心が頭に追いついていなかった」と坂手氏は語る。自分の中にある恐れや差別的な感情を認めることは苦しいが、そこにふたをして「差別はいけない」と唱えるだけでは、きれい事に終わると指摘した。

 1999年から邑久光明園に勤務する坂手氏によると、療養所のソーシャルワーカーは、金銭管理や買い物、家族との連絡、死後の手続きなど、通常であれば家族が担う役割にまで関わる。入所者の生活上の困難の根底には、国の隔離政策によって社会や家族とのつながりを断たれた「社会的な後遺症」があるためだ。

 園内には葬儀場や納骨堂、教会などが残る。直近5年間に同園で亡くなった37人のうち、家族が遺骨を引き取ったのは6件にとどまった。入所者が詠んだ「もういいかい 骨になっても まあだだよ」との川柳も紹介し、亡くなった後も故郷や家族のもとへ帰れない現実を示した。

 差別は本人だけでなく家族にも及んだ。ある入所者の弟は、息子たちに姉の存在を明かせず、「亡くなっても連絡しないでほしい」と頼む一方、「姉を思わない日は一日もない」と漏らしたという。坂手氏は当初、家族を「冷たい」と感じていたが、支援を重ねる中で「家族が冷たいのではない。冷たくせざるを得ない。家族もまた被害者だ」と考えるようになった。

 家族補償制度が設けられても、戸籍書類の取得や郵便物の受け取りを通じて秘密が知られることを恐れ、申請を断念する人がいる。坂手氏は、差別被害が深く、家族の存在を隠してきた人ほど補償を求めにくい矛盾を訴えた。

 講演では、人権問題に向き合う際に「木を見て、森も見る」視点の必要性も強調した。「木」とは一人ひとりに寄り添うこと、「森」とは、その困難を生み出した法律や政策、社会の慣習を捉えることを意味する。善意であっても、制度全体を問わなければ、誤った政策を支える側になりかねないとした。

 最後に、孫の結婚差別を恐れ「孫が結婚する前に自分は死ななければ」と語った入所者の言葉を紹介。「社会とは政治家や官僚だけではない。私たち一人ひとりが社会だ」と述べ、ハンセン病問題を過去ではなく、自らに向けられた問いとして受け止めるよう呼びかけた。

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