【熊本地震レポート①】 110年の家業に幕 八代の老舗スーパーを九キ災が買って応援「KUMAMOTO BATON」 2026年9月15日

7月に発生した熊本地震から1カ月半。大きな被害を受けた八代市鏡町のスーパー「カガミユーウマート」が、9月末で営業を終えることを決断した。運営するのは、肉店として約110年にわたり地域の食を支えてきた片山商店。店長と出会い、その窮状を知った九州キリスト災害支援センター(九キ災)は、店に残った商品を購入して必要とする人へ届ける「KUMAMOTO BATONつむぐプロジェクト」を開始。熊本県内の教会などからも協力を得て、閉店に伴う在庫処分と事業整理を支えている。
カガミユーウマートのルーツは1917(大正6)年創業の肉店。現在の建物を約7年前に購入して改装し、約6年前からスーパーとして営業してきた。7月28日の地震では商品棚やいけすが倒れ、冷蔵設備の一部、配管、浄化槽などが破損。2階は天井が崩れ、100円ショップの商品を1階へ移さざるを得なくなった。商品だけでも損害額は推定約1億円に上るという。
それでも地震から2日後、店は一部営業を再開した。「食べ物や飲み物がほしい」という地域住民の声に応えるためだった。発災直後の停電で肉や魚を大量に廃棄した一方、片付けと販売を並行して続けた。地元メディアは8月下旬、店の売りだった生鮮食品の陳列棚に2階から下ろした100円均一の商品が並ぶ様子を伝えている。

天上の一部がはがれ落ちた店舗の2階。100円ショップの大量の在庫はすべて階下に移動した
しかし周辺の大型スーパーなどが通常営業に戻ると、十分に商品をそろえられない同店から客足は遠のいた。当初は9月6日を閉店日とする予定だったが、大量の在庫が残ったため、その後は「在庫がなくなり次第」として営業を延長。閉店を知り、熊本市から初めて買い物に訪れた客もいたという。
ところが、8月分の電気料金として約110万円の請求が届いた。店長の片山孝治さんは、「このままではかなり赤字が膨らむ」と考え、改めて9月末で営業を断念するという苦渋の決断を下した。7年前の建物購入や運転資金などの借入金返済は月約210万円に上る。補助金を利用して再建する選択肢も税理士らと検討したが、新たな投資を回収するのは難しいと判断した。
「10年前の地震も乗り越え、どうにかがんばってきたのに、たった何十秒かで何もかもが終わってしまった」と落胆する片山さん。地震がなければ経営は厳しくとも返済を続けながら営業できていたと、悔しさをにじませた。
影響は店だけにとどまらない。地震前には社員、パート、アルバイト、家族を合わせて40人近くが働き、高校生や外国人のアルバイトもいた。8月6日、片山氏が従業員に解雇を伝えると、泣き出したり「考え直して」と訴え出る人もいた。現在は主に家族6人で店を切り盛りし、自宅の片付けも後回しにして営業を続けている。
地元の「食」の流通にも穴が開いた。同店は一般客だけでなく、居酒屋などへの販売・配達にも力を入れ、保育園、老人ホーム、小中学校の給食、病院などにも食材を納入してきた。閉店を知った飲食店の客からは、今後どこで仕入れればいいのかと困惑する声も寄せられたという。
残った大量の商品をどうするか――。相談に乗った九キ災は、「KUMAMOTO BATONつむぐプロジェクト」を提案した。「買い物が被災地の希望につながる、新しい支援のバトン」を掲げ、カガミユーウマートの商品を食品ボックスや冷凍鶏肉として購入。被災店舗の事業整理・在庫処分の負担を軽減すると同時に、食品を必要とする人の食卓へ届け、「熊本を応援したい」という人々の思いをつなぐことを目指す。

店舗1階にも地震で大幅にずれた棚の痕跡が残る
店側も購入者に添える文書で、閉店を決めた後も大量の在庫を前に「売上はないのに、美味しく食べられる商品がこんなにある。このまま処分してしまうのか」と悩んでいたことを明かした。「必要とされる皆様のもとへ届ける仕組み」を通じて、地域に育ててもらった感謝を商品に託すとしている。
片山さんによれば、九キ災の関係者は何度も店を訪れ、プロジェクト実現に向けて打ち合わせを重ねた。「すごく助かっています。それがなかったら、どうなっていたか……」
九キ災は2016年の熊本地震以降、九州各地の豪雨や能登半島地震などで、教会をはじめ支援を必要とする人々に関わってきた。今回も熊本に拠点を置き、宇城市や八代市を中心に家財の運び出しや物資支援などを続けている。今回の取り組みは、被災地へ物を「贈る」だけではなく、被災した店から物を「買う」ことで、その店と購入者、さらに商品を受け取る人を結び直す支援でもある。
建物を直せば、元の暮らしや商売がそのまま戻るわけではない。営業が十分にできない間も返済や光熱費は発生し、先に復旧した店へ客は移る。従業員の仕事や、長年築いてきた地域の取引先も失われていく。連綿と受け継がれた一つの商いが幕を閉じようとしている。それでも、そこで売られるはずだった商品と店の思いを、別の誰かの食卓へつなぐ。九キ災が、その取り組みを「バトン」と名付けた由来はここにある。

*【熊本地震レポート】として現地を取材した模様を連続してお届けします。















