「正しいキリスト教」争うより共に問い続ける場を 富坂キリスト教センター創立50年 2026年9月25日

 富坂キリスト教センター(廣石望運営委員長)は9月24日、創立50年記念集会「霊性と社会倫理の旅・ふり返りと新たな出発」を東京都内で開催した。1976年の設立以来、「霊性」と「社会倫理」を二つの軸に、祈りと対話を通して時代の課題に向き合ってきた半世紀を振り返り、分断と排除が深まる現代におけるエキュメニカル運動の意義と今後を考えた。

 同センターはドイツ東亜伝道会(DOAM)主導で設立され、1982年からキリスト教社会倫理をめぐる学際的な研究活動や研修を展開。2012年からは公益財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッション(CEAM)の一事業体として活動している。平和、人権、東アジア、天皇制、環境、ジェンダー、セクシュアリティなど、教会と社会が直面する課題について研究・対話を重ね、その成果を書籍や紀要として発信してきた。

 来賓として祝辞を寄せた福音連帯宣教会(EMS)東アジア・ユニット代表の韓康熙(ハン・カンヒ)氏は、同センターが東アジアの社会的課題に向き合い、教派や国境を越えた対話と研究を積み重ねてきた歩みを評価。これからも国境や民族、宗教や教派を越えて共に歩む場となることへの期待を示した。

 開会礼拝、歴史をまとめた動画の上映に続き、同センター運営委員で日本キリスト教協議会(NCC)ジェンダー正義に関するワーキンググループ代表を務める藤原佐和子氏(明治学院大学教員)が、「エキュメニカル運動の現状と課題――グローバルシフトと分断を越えて」と題して講演=写真。

 1910年のエディンバラ世界宣教会議を起点とするエキュメニカル運動が、社会倫理を重視する「生活と実践」、神学的対話によって教会の一致を探究する「信仰と職制」などの流れを経て世界教会協議会(WCC)へと展開し、人種主義、経済的不正義、人権、難民・移民、核兵器、気候正義など、その時々の社会が直面する具体的な課題に取り組んできた歴史を概観した。

 その背景にある「ミッシオ・デイ(神の宣教)」については、従来の西洋中心的な宣教が帝国主義や植民地主義と結び付いてきたことへの反省から、宣教の主体を教会ではなく神と捉える考え方で、教会がすでに「正しい答え」を持ち、それを社会に教えるのではなく、神がすでに働いている世界へ出て行き、社会の現実から問い返され、変えられていくものと説明した。

 その上で藤原氏は、20世紀後半以降の変化を、「西洋の教会もアフリカの教会も、キリスト教全体を代表できない。同じように福音派もエキュメニカルも、それぞれキリスト教の大事な部分ではあるものの、キリスト教全体を代表することができなくなっている」とした。

 多極化によって互いの違いが可視化されるにつれ、「誰が本来のキリスト教なのか」「何が正しいキリスト教なのか」をめぐる争いも激しくなったとして、特に女性の按手やセクシュアリティをめぐる対立を取り上げた。聖書や伝統を重んじる側が自らを「本来のキリスト教」と主張する一方、人権や多様性、ジェンダー正義を重視する側も、自らこそイエスの教えに忠実なキリスト教だと主張し得る。藤原氏自身もかつて後者に近い立場にあったと振り返りながら、現在は「このどちらからも距離を取りたい」と語り、主張の内容は異なっていても「自分たちにこそ本来のキリスト教がある」と考える点では、よく似た構造を持つからだという。

 そこで提起したのが、「何を巡って分断されているか」だけではなく「その分断によって何が見えなくなっているのか」を問う視点。保守かリベラルか、同性婚に賛成か反対か、どの教会の神学がより正しいかという対立に関心が集中すれば、教会内部における権力の乱用、性虐待やその隠蔽、弱い立場に置かれた子どもや若者の安全など、より深刻な問題が見えにくくなると指摘した。

 「神の正義を求めることと、私や私たちの正しさを絶対化することは同じではない」と述べ、批判する相手の問題には気付きやすい一方、自分自身や所属する教会、共同体の問題には注意が向きにくいとして、「自分の正しさを自分一人で問い返すことには限界がある。だからこそ、異なる立場や背景や経験を持つ人々と共に考えることが必要」と語った。

 藤原氏は、そこに「エキュメニカルであること」の意味を見出す。エキュメニカル運動が掲げる「一致」とは、全員が同じ答えを持つことではなく、「誰も自分の正義を自分の正しさとして所有することなく、共に問い続けることはできるのではないか」と問いかけ、「それもまた一致の一つのあり方であり」、富阪キリスト教センターの歩みは「社会の現実によってキリスト教そのものを問い返されてきた50年だったのではないか。キリスト教の過去の正解ではなく、共に問い続けていくための場所を守り続けてきた。多極化と分断のただ中にあっても、安全で対等で妥協のない学びの空間は作れる」と評価した。

 集会ではこのほか、三村氏の進行によるワークショップ「哲学対話」も実施。特別な知識や立場を前提とせず、それぞれの経験から問い、考え、語り、聴くことを通して、答えを一つにまとめるよりも共に思考することを重視したもの。同センターの次なる50年を前に、新たな「問い」を模索する時間となった。

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